10.5 昔の話
本を読んでいた。
ただ、図書室で、本を読んでいた。
同じクラスに転校してきた藤崎という女は、一言で言えばコミュ障の類だった。大人しすぎて、ああ多分、この学校についていけない方の人間だとも。選ぶ学校間違えたな、と教えてあげたかったが、彼女がこの学校を選んだのはどうやら偶然ではないようだった。それを知ったのは転校2日目の昼休みで、教室へ遊びに来た謙也さんと、軽口を叩き合っていたのがきっかけだ。
「なんや2人、知り合いだったんスか」
「おん、大親友や」
彼女と別れた後の謙也さんに、そう答えられたのを覚えている。
その日は図書委員の仕事で、放課後の誰も来ないような図書室でスマホをいじっていた。偶に本を借りていく生徒と、偶に本を返しにくる生徒の相手をして、その他は特になし。スマホの画面に夢中になっていて、すみません、と声を掛けられたのは不覚だった。
「これ、借りたいんですけど……」
黒い長髪をサイドでまとめ、黒縁の眼鏡を通して俺と目を合わせた。まじまじと顔を見るのは初めてで、ああ、藤崎だ、と理解するのに時間がかかった。
「はいはい。……あー、カバー破れとる。直すから少し待っといてや」
こういうのは、見つけた時に修復をしないと面倒くさい。待って、と言えば、藤崎は頷いてカウンターに近い席へと座った。
カバーへテープを貼りながら、彼女の様子を盗み見る。どうやら違う本を読みながら待っているようだった。小学生向けのファンタジー本で、ああ、そのシリーズ面白いっスよね、と口に出そうとして、止めた。言ったところで返答のないタイプだ。よりギクシャクしてしまうだろう。
修復も終わりがけのころ、遠慮なく図書室のドアが開く。顔を上げればよく見知った顔で、
「謙也さ、」
「おう京子ちゃん。お待たせ」
俺のことなんか見向きもせず、真っすぐに藤崎の方へと向かった。何も言わずに彼女の前の席に座り、彼女が読んでいる本を指差しては「それめっちゃ面白い奴やん、この前読んだ」とはしゃぐのである。
「嘘、イグアナのしか読んでないでしょ」
「んなことあらへんわ」
「じゃあ貸しなさいよ図書カード」
「誰が貸すかいな!」
少しだけ驚いて、テープが変なところにひっついてしまった。こんな失敗初めてで、ああやり直しやな、とそれを剥がしている間にも、爆弾は投下され続ける。
「謙也さんそうやってすぐに話盛るんだから。侑士に言っちゃお」
「盛ってへんし! それはホンマに読んどるから、何なら今からネタバレしたろか? 最後ローアンはなあ」
「待って! 言わないで! 今まだ魔法の地図までしか持ってない!」
いつもならうるさい、と注意しているところだ。今この部屋に3人しかいないことと、なかなか続きが気になるもので、カウンターの影に隠れて続きを聞いていた。
「まだそこまでしか読んでへんの? 俺に図書室おるーって連絡して何分経ったん? 読むん遅いわ」
「はあ、違う、違うやつ読んでたの。それを借りようと思ったら装丁破れてるって言われて、待ってる間に読んだんだから。早い方よ」
「それでも遅いやろ」
「謙也さんが早すぎるの」
夫婦漫才でもさせたら息ぴったりなのでは、と考えて、自分もなかなか校風に飲まれているのを自覚した。謙也さんの言い返しを待つが、喋らない。丸め込まれたか、と思ったら、
「何隠れて聞いとんねん」
カウンター越しにそれは降ってきた。ああ、隠れていたのに、姿勢を上げれば、これまでにないほどムカつく顔をした謙也さんと、恥ずかしそうに口許を押さえる藤崎が見えた。
「俺空気なんで、続けてもろてええですよ」
無意識に口から飛び出した言葉を、自分で理解するのに時間がかかった。
本の修繕なんてとっくに終わっていた。2人の間に入りづらかったことと、普段無口な彼女の、口の悪い会話を聞いていたくて、つい黙っていたのだけど。しかしその時間も、チャイムが鳴ってしまえば悲しくも終わってしまうのだ。もう帰らな、と言い出す謙也さんをすり抜けて、本を渡した。
「はい。返却期日は一週間後なんで」
「ありがとう、ございます」
しおらしい声は、先程まで大騒ぎしていた藤崎とは、まるで別人だった。だから確信を持った。
藤崎は良い人のフリをしている。当たり障りない人のフリをしている。本当はああやって、謙也さんと話していたような、活発で口の悪い女の子なのだろう。それが何らかの理由で、こういう態度を取らざるを得ないのだ。黒い髪も、黒い眼鏡も、その奥にある黒い瞳も、彼女の纏っている闇のようだった。
次の日も、急に休んだクラスメイトの代わりに図書室のカウンターに座る。朝の利用客は、あんなに少ない放課後よりもずっと少なかった。つまり暇をしていた。こんなことなら朝練をしていた方が有意義なのだけど、と考えていると、控えめにドアを開けて入ってきたのは藤崎だった。
「あの、返却を……」
昨日装丁をなおしたそれを、1日で読んできたらしい。受け取って返却手続きをして、その本の続きと、魔法の地図が出てくる所までしか読めなかったそれを、カウンターの裏から出した。
「続き借りるやろ? “京子ちゃん”」
藤崎は、闇に覆われた目をしぱしぱと瞬かせ、無言でうなずいた。
to be continue...
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