1日目 私の心は痛くない
「藤崎はいるか?」
「……何でしょうか」
ドアを開けたのは、立海の真田さんだった。その後ろに、怯えたように隠れる、神田愛子という、天使のような整った顔をした悪魔が見えて。やっぱりこうなるかと、彼らと目が合っていなければ文字通りに頭を抱えたと思う。
「神田の財布が無くなったそうだ。今、全部の部屋を回って荷物を見せてもらってるのだが」
そう言う真田さんの目は私ではなく、侑士の手の中にある趣味の良くないそれへと向いていた。きっと彼の頭の中で答えは出ている。もちろん私の中でも、侑士の中でも。
これはたぶん、まずい。冷や汗がだらりと伝って、神田さんが、それ私の財布と騒ぎ出す前に言える言葉を必死に探した。まあ、見つからないわけだけども。
「もしかしてこれの愛子のだったんか? さっきそこの廊下で拾ったから、京子ちゃんのか思うて訊いてたとこやわ」
流石天才である。さらっとそう言って、財布を彼女の腕の中に押し込んだ。きっとこれは、神田さんが私を犯人にするために仕込んだのだろうが、ざまあみろである。
これで無事解決だろう。真田さんは、神田さんに良かったな、と声をかけている。きっと本当に、善意で付き合ったのだろう。彼のような真っ直ぐな人ほど、神田さんの計画に組み込まれやすく、騙されやすい。
合宿が始まってから、彼女は自分の学校ではなく立海の人達といることが多かった。きっと色々言って抱き込んで、私を悪者か何かに仕立てあげようとしているのだ。今の立海には部長がいない。こんなに扱いやすい副部長がいれば、まあ、なんというか、本人にはご愁傷様である。
私に不信感を抱かせる一手を失敗したのは痛いだろう。侑士を追い払わなかった自分に感謝した。
「………………ない」
「どうした?」
「中身が無くなっているんです……お札と、カード…」
彼女は、泣きそうな声でそう言った。自分に感謝するのはまだ早かったらしい。神田さんは小さな歩幅でずかずかと私の部屋へと入り、ベッドのシーツを思いっきり剥がした。
その風と一緒に、ひらひらと待ったのは数枚の万札とカードで、ああ2段構えか。してやられたと、今度はきちんと頭を抱えた。2人から死角になるよう、いやらしく笑う彼女の顔が、ひたすら、怖いと感じた。
「藤崎。これはどういうことだ?」
「………………」
長考タイムだ。言葉を選ばないとこれ以上この合宿ではやっていけない。
「何か言ったらどうだ?」
と、畳み掛けられても何も浮かばなかった。何も言わないまま立ち上がり、何も言わないまま散ったお札を集めて、神田さんの胸元へと押し付ける。
「私の部屋なので、出ていってもらっていいですか」
「藤崎、きさま」
「忍足先輩もです」
冷たく、そう言い放てば神田さんは真田さんの胸元に顔を押し付け、そして2人して部屋を出ていった。
その場から一向に動かない、もう1人の部外者の腕を引っ張ってドアの外へと追いやろうとするが、
「いやいや何で俺も帰らされるんや」
「当たり前でしょ」
どうやら不服のようだった。
「私は誰とも居たくない」
私と話しているだけできっと石を投げられる。だから誰とも居たくない。せめて合宿が終わるまでは、それが1番穏便に済む筈だと、確信をもっていた。
それなのに、侑士はふ、と笑うのだ。
「なんで笑うの」
「さっきの、忍足先輩って久々やな。もっかい言うて」
「はあ?!」
声を荒げれば、ふに、と頬を左右に伸ばされた。面白がっている侑士の、そのご自慢のメガネを割ってあげたい。解放された頃には、何を言いたかったのかすっかり忘れてしまった。
「……にしても、立海メンバーはもう敵て思ったがええな。あの様子だと」
「その、敵とか味方って言い方、嫌いよ」
これは何回も訂正しているのに、彼に訂正する気はないようで、そのまま話が進んだ。
ふ、と。明日からどうしよう。と。それを考えてしまって、話が頭に入らない。相槌すらやめた私を心配したのか、侑士の手が私の髪へと伸びる。
「京子ちゃん、」
「……………………『たすけて』」
そう絞り出せば、いつものように頭を撫で、背中を撫でた。これ以上、何かを話すことはなかった。
誰にも頼りたくない。誰にも話したくない。誰とも関わりたくない。適当な会話をして、近づかないように、そうやっているのに。
私は狡い。とても狡い。世界一ずるいひとだ。心に傷がついた時だけ、こうやって繋ぎとめて、癒してもらうのだ。
私は、最低の人だった。