0日目 何も知らないままでいて
肩を揺すられている、気がする。
「藤崎、おい起きろ」
「………………私、寝てた?」
「ぐっすりな」
「嘘だあ」
「こんなつまんねえ嘘吐くかよ」
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
バスは既に目的地に到着しており、私と跡部さんだけが取り残されていた。
乗り物で寝たのは、初めてかもしれない。
寝起きでぼうっとしたまま歩いてしまったせいか、
「う、わっ!」
何もないところで盛大にコケた。
と思ったが、そこには足を出されるという古典的な引っ掛けがあっただけで、驚くと同時にだらりと冷や汗が出た。
「ざ、財前くん……?」
「仲良しっすね」
彼は拗ねているのが分かりやすい。それは分かっても、何故なのかという理由が分からないから、付き合いにくいところもあるかもしれないけど。悪い人でないのは知っているから些細な問題だった。
跡部さんに視線を送ると、2人で行ってこいよ、なんて言うから、何故か拗ねている財前くんに腕を引っ張られる形となった。
「怒ってる?」
「別に」
「ごめん……」
なんだか申し訳なくなってそう言うと、財前くんはぴたりと足を止め、振り返った。
怒っているような、困っているような、そんな顔をしていた。
「京子ちゃんなあ」
「何?」
「そのごめんのバーゲンセールやめろって何回言うたら分かるん?」
「ば、ばーげんせーる……」
「すぐ謝るの悪い癖やで」
いやいや、怒っていたのはそっちでしょ、と思った。言わないけど。
財前くんの歩幅に、早歩きでついて行った。
集合場所までもう少しの地点で、私たちとは別の足音が聞こえた。
音のする方を振り向けば、アイスブルーのジャージが見えて、視界にちらついて、
……一瞬で、視線を逸らしてしまった。
誰だか分からない。分からないけど、嫌な予感がする。早く行かなきゃ。
「ねえ財前くん、そろそろ腕を離してもらって良いかな」
「どないしよっかなあ」
「冗談じゃなくて」
「別にええやろ…………って、どないしたん?」
震えが抑えられない。流石に気づかれただろう。気づかれたものは、誤魔化しようもなくて。
「ごめん、大丈夫だから、早く行こう」
「全然大丈夫じゃないやろ。落ち着いてから……」
「早く行こう」
あんなに心の準備をしたのに全く足りなかった。
目の前にするとやっぱり怖くて、彼らに嫌われている事じゃなくて、そんなどうでもいいことじゃなくて。
「お、本当に来てるじゃねえか、藤崎」
ぴたり、と、足どころか時間まで止まった感覚だった。
赤髪をぱっつりと切り揃えたそれと、自慢の長髪を靡かせたそれを、次はしっかりと視界に捉える。
合宿に行くと決めた時から、覚悟はしていたのだけど、大丈夫だと思ったのだけど、やっぱり駄目だ。この人たちには会いたくない。
「……お久しぶりです」
「誰も会いたくはねえよ。つーか、」
向日先輩は、不機嫌そうな顔で隣の財前くんを見て、
「お前まだ男で遊んでるのかよ」
手が出る寸前だった。
この場に私だけなら良かった。早速他人を巻き込んでくる相手に腹が立った。相手になのか、それとも隣にいる彼に「そういうひと」だと思われてしまったことに対してなのか、逆上した頭では分からなかったが、とにかく衝動に近い行動だった。
それを止めたのは、抜けようとした私の腕を握りしめた、一回り大きい手のひらだった。
「ざい…ぜん、くん……」
「何言うてはるんスか。俺が京子ちゃんで遊んでるの間違いですけど」
「はぁ? こんなヤツに肩入れするなんて、どうかしてるぜ」
「自分こそ、身長と一緒に人生も終わったんちゃいますか?」
「ば、っ」
ばか。流石に言いすぎだ。口が悪いのは知っているが、止めるのが間に合わなかった。
自分の立場は一旦置いて、仲裁に入らないとまずい。何を言おうかと考えていると、頭に強い衝撃を受けた。
「いたっ」
物理的に。振り返ると白石先輩がいて、驚いた。
いたことに驚いたのではなく、あまりに怖い顔をしていたから。
「財前、言葉には気ぃつけなさいっていつも言うとるやろ」
「……すいません」
「俺やなくて、向日クンに謝らな」
「…………」
そう促されても、財前くんは向日先輩に謝る気はないようだった。
「堪忍な。ウチの部員が」
「別に。行こうぜ宍戸」
2人が去ってから、最初に深く溜息を吐いたのは、白石先輩だった。
「遅いから来てみたら、何喧嘩しとんねん」
「喧嘩ちゃいますわ」
「京子ちゃんも」
「ごめんなさい」
財前くんに足を踏まれた。無闇に謝るなと言いたげな顔で。まあ、さっき言われたばかりだし。
それから何も言わなくなってしまった財前くんと、お説教を続ける白石先輩に挟まれて、集合場所へと向かった。