家族写真の1枚目 後編
「ごめんね……?」
可愛く言ったって、許…………せてしまうのは、顔が整っていて、こういう野次馬っぽいひねくれた所に目を瞑れば至って普通の美少年だからだ。
大体、プリントを1日放置したくらいで人生が終わる訳でもないし、幸村くんは私の家なんか知らないのだから、適任ではない。つまり、頼まれた訳ではなく自分から名乗り出たのだ。そして結局行けなくて(知らないのだから当然だ)、次の日学校で手渡してきた。
真田を連れて行こうと思ったんだけどさぁ、なんて言われて、もう1回、言えるものなら言ってみて?と返した私の声は、自分でも怖くなっているのが分かった。
「もうしないから。許して」
「まあいいけど……でもなんでそんなこと」
「真田が困ってる姿を見るのは楽しいからね」
上目遣いに睨みつければ、分かってるよと苦笑された。
何の思惑があって、私と弦一郎を会わせたかったのか知らないけど、根本的なところはそこではない。そうやって、幸村くんの満たしたい好奇心に、私はさておきあまり彼を巻き込まないで欲しい。まあ、幸村くんが、弦一郎にとって大事な人なのは知っているし、弦一郎だって、幸村くんがこういう人だと分かって付き合っているのだから、本当は首を突っ込まない方が良いのだけど。
けれど幸村くんが自己満の好奇心を武器にするなら、私だって、多少の自己中は許されるだろう。
「ねぇ、どうして学校で話さないんだい?別に隠すような間柄じゃないだろう」
難しい時期だ。男と女が話すだけでやれ付き合ってるだの、面倒くさい……だなんて、私も弦一郎も気にするような人じゃない。そこまで分かって尋ねてくるのだから、本当に、彼の好奇心は何をいくらやれば満たせるのだろうと考えてしまう。
「真田くんにも同じこと聞いた?」
「? そうだね、聞いたけど……」
「じゃあ私からは話せない」
予想が外れたのだろうか。幸村くんにしては、少しだけ間抜けに、ぽかんと口を開いたまま動かなかった。なんとなく見ていられない気持ちになって、窓の外に目をやる。今日は風が強いらしい。まだ黄色に染まる前の葉が、風にあおられて枝を離れていった。
「ねぇ、日向さん」
名前を呼ばれて、再び見つめあったその目は、真剣だった。さっきまであんなに楽しそうだったのに、急に、どうしたのだろう。
「真田のこと、好き?」
「好きだけど」
「ふふ、即答だね」
「そうだよ。好きだけど、幸村くんが思っているような面白いことはないよ」
そう。何も面白いことなんてない。なんなら幸村くんも好きだし、クラスのみんなも好きだ。昔、私にちょっかいを出てきたクラスメイトは嫌いだし、昨日レジで面倒くさそうに応対してきた店員も嫌いだった。
私の今言った好きとは、その2文字で最初に思いつくような、ピンク色の意味ではない。弦一郎は、好き。弦一郎が健やかに日々を送れれば良い。誰と付き合って、誰と結婚しても、相手がおかしな女じゃないならそれでいい。
「そうかな?日向さん、恋してる顔だよ」
「まさか」
「う〜ん……恋、だと、違うかな。……何だろう……あぁそうだ」
真田が同じ気持ちじゃないとしたら、君はどう思う?
・・・
「今日は一緒じゃないのか」
「日向さんに会いたくて、俺に会いに来たのかい?」
違うと否定すれば、冗談だと笑われた。
本当は、幸村とも顔を合わせたくなかった。先日のことを揶揄われるような気もしたし、何より、例えその時の自分の感情が分からなかったとしても、逃げ出してしまった俺自身が不甲斐なくて仕方がない。だから、この気持ちに整理がつくまでは会いたくなかったのだ。
「一緒にいたのは否定しないけど、帰っちゃって」
「休みが多いな、体調でも良くないのか」
「この前のは家の用事」
ひどく安心したのが、自分でも分かった。自分には、茜を心配する義務もなく権利も与えられていないというのに。図々しい、と思ったのは自嘲だった。
「今日は、俺が怒らせちゃって」
「なんだと?」
「怖い顔するなよ」
眉間、シワ寄ってるよ。怒りが湧いたのは言うまでもない。一刻も早く、その、他人で楽しんでいる表情を辞めて欲しい。
振り上げた手のひらは、既の所で握り返された。
「君のそういうところ嫌いじゃないけど、本当に今やることは『これ』でいいの?」
「何が言いたい」
「待ってると思うよ、日向さん」
それでもこうしたいなら、殴れば良い。幸村は、自ら頬を差した。腕を降ろしてから、拳を握りしめる。
「あいつは、どこに行った」
「知るわけないだろう。俺のせいだし」
「ならもういい」
焦りが歩幅を大きくさせる。5、6ほど歩いたところで振り返って、
「幸村、」
「何?」
「……感謝する」
言うだけ言って、また踵を返した。
「まったく。貸しだよ、2人共」
背中に呟かれた声は、聞こえていない。
・・・
茜は、コスモスが好きだった。
まだ互いに幼かった頃から、ランドセルを背負えなくなる頃も、そしておそらく、今も。道端でコスモスを見れば目をキラキラとさせたし、嫌なことがあれば、あいつは1人電車に乗って、遠くの花公園に行った。いつだったか、迎えにいった時彼女は、入場料が必要なのを知らず入口で立ち尽くしていた。
やがてコスモスの咲き始める季節だ。この記憶だけでは、具体的にどこか、なんて分かりはしない。昔のあいつは、県境のコスモス園にも、海にほど近い花公園にも、どこにでも行った。
電話をかけるか、メールを送るべきか。悩んでいるようでそうではなかった。携帯を手に握ったまま、するつもりは最初から無い。どうせ今から会おうとしているのに、やはりまだ分からぬままの理由で、逃げ出したいと思っているのかもしれない。
俺が、関わるなと遠ざけた。幸村が俺たちの関係を知ってしまったら、2人まとめて玩具にしてしまうだろう。俺のことはどうでも良いが、茜で遊ぶことだけは許されない。例えほんの少しでもその可能性があるのならば、避けるべきものだと思った。
……これは、正しかったのだろうか。
一度浮かんだ疑問が消えることはない。そして答えもまた、出なかった。
電車を降りる頃には、空は橙色だった。ここに、いれば良いのだが。いくつかの選択肢から選んだ花公園で、帰って行く人とはすれ違えど、同じ方向へと進む人はいない。入場口にいるスタッフに声をかければ、
「あと15分ほどで閉園ですが…」
どうされますか、と尋ねられた。
中で探すつもりだったが、それならここで待っている方が良いかもしれない。けれど不審がられるだろうし、そもそもここが正解でないのなら時間の無駄だ。いっそ、訊いてしまった方が早いだろうと思った。
「いえ、人を探しているだけです」
「迷子ですか?」
「迷子……ではないですが、この位の背丈の、多分、同じ色の制服を着ているはずです。髪は……」
伝えるために思い浮かべる茜の姿が、どうしてかぼやけてしまって。ああ、俺はこんなにも、あいつから離れてしまったんだと自覚した。苦しい。胸が痛い。俺たちの関係は、いつからこうだった?
「写真はありますか?」
「ああ、写真はたしか、」
携帯を出して、茜の写真を探す。何への緊張なのか、うまく指が動かない。モタモタとしてしまう自分に更に苛立って、そんな時だった。ぱち、と手首を掴まれて、指の動きは止まる。視線を寄越せば、
「写真なんて、いらないよ」
茜は俺を見上げて、にこりと笑った。
・・・
私は昔から、何かあった時はコスモスを見に来た。別に、他の花や、海でも山でも良かったのだけど、それに決めたのはどうしてだろうか。
――真田が同じ気持ちじゃないとしたら、君はどう思う?
尋ねられた時、本当に、頭が真っ白になった。幸村くんに肩を揺すられて、我に返った頃には真剣に謝られた。でも言いすぎたつもりはないよ、と付け足して。
「真田も君のこと、君と同じ意味で『好き』だと思うけど。このままだと良くない気がするなぁ」
「へぇ〜、それ、幸村くんに関係あるの?」
「あるよ」
棘のある物言いをしてしまって、揶揄ったのか、威嚇だったのかは自分でも分からない。けれどそれに対して、幸村くんはすぐに、私の目を見て答えた。
「真田は大事な友達だ。もちろん君もね。このままだときっと2人とも傷ついてしまう。友達が傷つくのは好きじゃない」
だからちょっとだけ、世話を焼きたくなって。幸村くんは、首を突っ込む野次馬の表情に戻ってニコニコとしていた。
閉園時間までもうすぐだ。入場口に戻れば、にこりと笑ってチケットをくれたスタッフのお姉さんが、弦一郎と何やら話している所だった。
この時の、私の感情は何だったのだろう。多分、嬉しい。嬉しかった。それと同時に、私の求めているものが「コレ」だったのかと思って、勝手に傷ついた。これじゃあ本当に、恋してるみたい。
けれどその後、弦一郎の手首を掴んで、目と目をかち合わせたって、全く心は踊らなかった。ああそうだ。恋じゃない。弦一郎も私と「同じ」だから、今日抱えた不安が無くなったんだ。
「場所、よく分かったね」
「………………」
「もう遅いし帰ろう?ね?」
「………………」
弦一郎は、喋らなかった。かと言って動く訳でもなくて、ただ、立ち尽くしている。それが何だか怖くて、私のかける言葉はこれでは無いのだと悟った。
「…………ごめん。授業サボらせちゃって」
この真面目な男が私を選んでくれた優越感と、この男の生真面目さを踏みにじった後悔は、同じくらいだと思う。わがままな私のことは許してくれなくて良いからと、後者の方だけはしっかりと謝った。
「日向」
「はい、真田くん」
「ついて来い」
掴んでいた手は、いつのまにか掴まれる方へと変わっていた。まるで引きずられるように、されるがまま後ろを歩くのは、自分が思うより傷ついている証拠なのかもしれない。
……名字、初めて呼ばれたなあ。この場には私たちしかいないのだからという気持ちと、そもそも学校ですれ違うことすらなかったから、初めてだったんだと気づいてしまった。
弦一郎が足を止めた場所は、さっきまで私がいた場所だ。一面のコスモスを指さして、
「そこに立て」
「ここ?」
「うむ……いや、もう少し右だ」
数センチずつ足を動かして、そこ、こ言われたところで止まる。風に煽られた前髪を耳にかけ直して、次に目に入ったのは、私に携帯を向けている弦一郎の姿だった。
カシャ。
洒落てもない電子音が鳴る。
「どうしたの?」
「写真を撮っている。……ああ、もういいぞ」
「それは見たら分かるよ。なんでって意味」
帽子の鍔を下げられてしまえば、表情は伺えない。口を動かしていたが、弦一郎にしては覇気のないそれは、風の音にだって負けていた。
「聞こえない!」
「っ…………、お前の! 写真がないのだ!!」
叫んでから、口をキュッと結び直して、また帽子で表情を隠してしまう。ああもう、まどろっこしい!
ずかずかと歩み寄って帽子を奪ってやれば、驚いた瞳と至近距離で見つめ合った。
「写真がないから?なあに?」
「………………」
「ゲンイチロ〜?」
「………………さっき、写真を見せて欲しいと言われただろう」
うん。頷いて、続きを待つ。
「俺は、写真の1つも持っていなかったと、今更気づいた」
ずっと近くにいるようで、ずっと他人の距離だったことに、やっと気づいて、やっと傷ついたという。
そんなの私だって同じだ。これ以上傷つけないように、出来ればその傷を舐めてあげたい。
「さっき初めて『日向』って言ったでしょ」
「今は制服だから、どちらが良いかと……」
「違うよ。名前呼ばないって約束はしたけど、1回も学校で会話してないってこと」
「………………そう、だな」
すまなかった。謝罪の声は消え入りそうだった。
全くこの人は。そんな顔をさせたい訳じゃないし、弦一郎は常に明るくまっすぐ、ウザがられるくらいの大声で自分は自分だと叫んでいる方が面白いのだ。だから、
「だから、ね?」
「? 何だ?」
弦一郎の腕を引っ張る。隣に立たせて、ポケットからスマホを出した。カメラを起動して、きちんと内カメラにしてから、
ぱしゃ。
「よしよし」
「突然どうした」
「写真撮ってるの」
「それは、見れば分かる」
デジャヴだけど、立場は逆転だ。写真に収めた弦一郎は全然笑っていなかった。それがおかしくて、愛しい。
「弦一郎の写真はあるけど、弦一郎『と』の写真はないから」
じゃあ、帰ろうか。差し出した手を、握ってくれなかったらどうしよう、なんて、考えもしなかった。ここに来る前と今では、私の思考も気持ちも、随分と変わってしまったようだ。
弦一郎の一回り大きい手は、骨格も、肉の付き方も何から何まで私とは違う。男らしい手のひらは、あたたかい。
入口に戻る頃には当然、閉園時間を過ぎていた。スタッフのお姉さんは相変わらずニコニコとしていて、大丈夫ですよ、良い思い出はできましたか?と。それが逆に、申し訳なさを増幅させたのだけど。
「弦一郎」
並んで電車に揺られながら、名前を呼ぶ。
「本当は、将棋で勝ったら言いたかったんだけど」
「うむ、何だ」
「暇な時でいいから、遊びに行きたいな。2人で」
今度は行き当たりばったりじゃなくて、2人で行きたい所に。そう伝えれば、週末にでも行こうと二つ返事で、思わず私の方が、え、と聞き返してしまった。
「都合が悪いのか?」
「ううん。全然。ビックリしただけ」
「今まで、苦しい思いをさせただろう。もう辞めようと思ってな」
「…………つまり、そういうこと?」
「……そういうことだ。今更、かもしれんが」
もう、他人じゃなくていい。そういうことだと受け取って、気分は嘘のように晴れ晴れとした。
今からでも、やりたい事はいっぱいある。お昼は一緒に食べたいし、試験前は一緒に勉強したい。好きな子でも出来ようものならいじり半分キューピット半分で話を聞いてあげたいし、部活……はもう応援の機会があまりないのは、心残りだけど。
「今更じゃないよ、ありがとう。……あー、でも、幸村くんがイジってきそうでちょっとなぁ」
「そう…それだ。そもそもあいつが煩いから黙ろうと、俺は余計なことを……」
「やっぱり?最近幸村くんと話してて、そうなのかなーって思ってたの。当たってた?」
つまり、バレたから開き直ろう、ということでもあるのだろう。何から何までおかしな話だった。
ずっと、このままがいいな。
小さい頃のままの距離感は、勘違いでも何でもなくて。きっとこれから、私が知らない男と付き合って、弦一郎がかわいい女の子と結婚したって、それでもこのままの距離なら、私たちは何も変わらない。
いつか何十年経って、今日撮った写真をお互い見せ合って、中学の時はおかしかったよねえ、なんて言える日を想像した。