家族写真の1枚目 前編

「王手」
「…………」

弦一郎は熟考……しているのではない。私の浅はかな手に呆れて、私のレベルに合わせて次の手を打つか、手加減せずに真っ向から圧勝するか、それとも、

「今のは焦りすぎだ。それに、置くなら角ではなく金を置け」

アドバイスするかを考えて、3つ目を選んだ。

「うるさい。これで良いの」
「本当にいいのか?あと11手で詰むぞ」
「…………」

参りました、と両手を上げた。最後まで諦めるな、なんて言うかもしれないけれど、先にお前は負けだ降参しろと無言の圧力をかけてきたのはあちらだ。

「この前より上達したな。褒めてやろう」
「ありがと。で、何すればいいの?」

この試合には続きがある。というのも、これは「勝った方が負けた方に何でもお願いできる」という条件での戦いだからだ。最初からそのつもりでの提案なら、賭け事などと切り捨てられたかもしれないけれど、わりと、話の成り行きだったので、きっと今更指摘するのは恥ずかしいのだと思う。
弦一郎は、

「来週もここに来い。相手してやる」

……先週も同じことを言った。一応、お願いではあるし、これなら特別何かを賭けたようには思われない。つまりは逃げられていた。
上手く逃げている様はつまらない。けれど、弦一郎にはないかもしれないけれど、私には、勝って言わなきゃいけないことがあるから。これを続けてくれるのなら、まあ良いだろう。都合が良いので文句は言わなかった。

「分かった。2時でいい?」
「ああ」

じゃあ、俺はいってくる。テニスバッグを背負って遠ざかる背中が、あんなに遠いのに、大きい。

・・・

「テニスをするといい」

目の前に広げた本には「将棋入門編」とでかでかと書かれている。将棋好きなの? 別に。でも真田くんと賭け将棋してるから。そう返せば、幸村くんは、あいつが賭けなんてまさかとでも言いたげな顔をしていた。そんなに驚かれたところで事実なんだけど。

幸村くんは、何でも見透かしているようで、たまに心強くて、たまにウザい。
私が弦一郎との時間を求めていることを分かっている。だから、テニスなんて勧めてきたのだ。

「今からなんてムリムリ」
「将棋だって今からだろう?」
「そうだけど、それとこれとは違うっていうか…… 」

なんとなく。いや、決定的に違う。
私が将棋を始めて、辞めたところで、私は私だという確信がある。けれど、それがテニスだった時に、分からない。テニスをしているということだけが私の価値になりそうで。
将棋はまだ可逆性のある趣味だけど、テニスだけはどうしてか、始めて、いつか辞めてしまったら、もう弦一郎とは一緒に居られない気がした。


弦一郎とは幼馴染だ。昔からよく遊んだし、立海に入ると聞いてまるで当たり前のようについて来てしまった。
そこで言われた一言で、悟るのだ。
学校では名前で呼ばないで欲しい。とお願いされて、二つ返事で了承した時に私は、ちゃんと笑えていただろうか。姿が見えなくなってから、顔を覆ってああ〜〜、と声にならない声を上げたと思う。
自分と他人、男と女、周りの人間に敏感になる人々の中で、私だけが弦一郎との関係を幼稚園の頃のままだと勘違いしていた。そっか。そうだよなぁ。10年前から変わらない私の方が子どもだね。
そんな理由で納得できたから、学校では弦一郎に極力関わらないようにしたし、学校の外でも会うのを控えた。

それから気づけば2年半。テニスの大きな大会が終わって、区切りの時期。ちょっとだけ私のワガママを押し通して、弦一郎の家を訪ねた。
久しぶりすぎて、他愛のない会話すらぎこちなくて、ぎくしゃくとした近況報告に耐えれなかった。そういえば、将棋盤なかったっけ。遊びたいなぁ。ただ、話題を逸らしたかっただけのコレが引き金だった。

いざ始めた時には、ルールすらまともに知らないのを呆れられたけど、長く話したい口実だとバレなかったのは幸いだ。上手くなりたいから、勝てるようにご褒美が欲しいな。賭けになったのは、そんな感じの会話がきっかけだった。

あの日も弦一郎は、将棋を打ち終えてからすぐ、テニスバッグを背負って出ていった。
どこいくの、と追いかけた先の玄関で、弦一郎を迎えに来たであろう幸村くんと目が合う。ぱちぱちと瞬きをして、やあ、と挨拶されたのは、今でも耳にこびりついていた。

幸村くんとは同じクラスだけど、たまに話す程度の、本当にそのくらいで。けれど2学期を迎えて、彼は私と話したがった。きっと、いや、100%、弦一郎との関係を知って面白がっているのだと思う。

「幸村くん、相手してよ。読むだけじゃ分からない」
「良いよ。ルールが分かる程度だから、相手にならないかもしれないけど」

幸村くんに負けるのは、20分後の話である。

・・・

「全くお前は……」

それしか考えてないのか。言われなかったけれど、そう聞きたかったのだろう。はい、そうですけど。と態度で示せば、やっぱり、呆れていた。
王手、王手、王手……ひたすら王手で詰ませていく作戦は失敗してしまった。

「私、才能ないのかも」
「才能は関係ない、お前はまず努力をしろ」
「あるよ。だから幸村くんにもあっさり負けちゃうの」
「…………幸村とは、どうなんだ」
「幸村くん?最近すごく一緒にご飯食べて……ん?」

幸村くんと、どう、って、どういうこと?
よくよく考えれば会話の繋がりだって怪しい。探るように弦一郎と目を合わせようとしたけど、明後日の方向を見つめていて、なんだか逃げられているみたいだ。

「どうってどういう?」
「いや、…すまん。言い方が悪かったな。最近、幸村からよくお前の話を聞くから、」
「嫉妬してるんだー?幸村くん取られて」
「……話を聞かんか。」

幸村も、お前も、良いやつだ。お前らが良き友となるなら俺は嬉しい。
珍しく……もない、至って真面目な言葉だった。
そう、珍しくなんかない。弦一郎はいつだって、そうだ。そういう所を時々愚直と呼び、隣で見ていなきゃと思ってしまうのだ。

「…………もう時間だな。行ってくる」

背中は相変わらず、大きい。行ってらっしゃい、じゃなくて、また来るね、と言ってしまうのは、私の心が小さくて弱いからだ。
そういえば、初日以降は幸村くん見てないなぁ。と、ぼんやりと思った。


・・・


アレが唯一の失態だった。

全国大会は終わった。そんなことでは、俺は、俺達はテニスをやめられない。
大会後初めての、幸村と約束していた日だった。突然の来客は寝耳に水で、同時に、今まで我慢させていたのだろうと、察することができた。だから家に招き入れたし、幸村との約束の時間になっても、対局を放棄することは無かった。
一言、一言連絡でもすれば良かったのだ。俺が来ないことを心配した幸村は、家にやってきて、それだけならまだ良かったのに、茜と顔を合わせてしまった。
いや、幸村と彼女は元々同じクラスだ。顔だけなら合わせたことがあるだろうし、会話だってしたことあるだろう。ここが俺の家であることが大問題だ。
案の定、幸村は茜に、やぁ、と挨拶をした後、面白いおもちゃを見つけた子どものように笑った。


「日向さんと付き合ってるの?」

その後、遊び程度にコートで打ち合って、帰りに言われたセリフである。

「たわけ」

そんな浮ついたことはしない。ただの、幼馴染である。そう伝えれば、何が面白かったのか、まだにやついている。

「へぇ、知らなかったな。彼女とは同じクラスなんだけど」
「学校では話さないようにしているからな」
「どうして?」

どうしても何も、俺が頼んだからだ。と言えば、こいつを喜ばせるに違いない。……いや、何を言ってもそうなのだろう。

あの時の、茜の顔は忘れられない。いいよいいよ!こんなとこまでついてきちゃう幼馴染とか重いし!私がいると弦一郎の新しいおともだち作りに邪魔だろうし、うん!と、早口で、声は上ずって、無理やり上がった口角が、この選択が間違いだったのではと思わせた。
しかし今こうして、俺の想定した事態は起こってしまっていて、実際に俺の考えた通りになっている。だから、間違いだったのでは、という問いに対して、はい、とすぐには答えられないのだ。

「まあいいや。……ふふ、2学期が楽しみだね」

こいつは。
幸村は、他人の色恋沙汰を好んだ。

・・・

「それでね、焼き鯖と唐揚げを交換したよ」
「そうか」

そうか。そうですか。言っておくが、俺と茜はただの幼馴染で、お前の好む恋愛感情は一切ない。だのにコイツときたら、どう?嫉妬しちゃう?とでも言いたげな態度で、今日の茜について逐一報告してきた。
1年の頃から、茜と同じクラスになったことはない。何をしているのか。勉強はついていけてるのか。部活は順調なのだろうか。心配したことは数多くあれど、何も聞けなかった。先に、突き放したのは俺の方だったから。
だから、この報告が一から十まで全て余計だとは思わなかった。今は、今になって、茜がこの学校で、何をしているのかを知れて、嬉しいとさえ思う。


だから今日。うるさいほど聞いていた報告が文字通り何も無くて、落ち着かない。
気になる必要が、一体どこにある。今まで通り。何も変わってはいない。それなのに、どうして。こんなに心がざわつくのだろう。
ついに幸村に聞いてしまったのは、放課後になってからだった。

「日向さん、今日は休みだよ」
「そ、そうか」

休みならいい。……いいや、全然良くない。体調は大丈夫だろうか。今からでも会いに行った方が良いのだろうか。いや。俺が行って何になる。

「プリント届けるよう頼まれたんだ。その前に花屋に行って、何か買おうかと思うけど」
「ほう。良いではないか」
「馬鹿。お前も行くんだよ」

俺、日向さんの家知らないし。心臓がばくばくと煩くなって、それから後の言葉は聞こえなかった。

…………違う。心臓の音のせいではない。俺はこの時、何を言ったのか全く覚えていない。事実として、俺は制止する幸村を振り切って、訳の分からない方向へと走っていた。
簡単に言えば、逃げ出した。


何度も、なんどだって言い聞かせる。これ以外の感情を持ってはいけない。自覚してはいけない。
そう。何度でも言おう。
あいつはただの幼馴染だ。
そして、突き放したのは俺だ。

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