振り向かない女

4限目の終わりのチャイムが鳴る。今日は午後の授業がないから、みんなどこか嬉しそうだった。だから、わいわいと賑わう教室でため息なんて吐いても、誰も聞いてはいない。
せっかくの半日授業なのだから、時間は有意義に過ごさないと。

教室を出てから、すれ違う人はいても、同じ方向へ向かう生徒はいない。それだけでなんだか悪いことをしているような気になるけれど、私はそれが気になっても引きずるような繊細な女ではない。
だから、校門で腕を組み待ち構えている男に、ひどく苛ついた。

「もう帰るのか?」
「授業終わったけど?」
「バーカ、授業は終わったが、学校はまだ終わってねえよ」

今年こそは参加してもらうぜ、と、既に勝ちを確信したような物言いが気に食わない。無視をしていると伝わるように、大股で彼の横を通り過ぎる。

「日向!」

背中に投げかけられる声は、聞こえない。


・・・


今日は10月4日。我が氷帝学園の誇る王様、跡部景吾の誕生日である。そして学校行事として、彼の誕生日パーティがある。
そんなもの家でも別荘でもホテルでも、とにかく別の場所でしてくれと思ってしまう(それはそれで、学校でのパーティの後にしているらしい)私からすれば、行きたいという感情は皆無だった。

学園の生徒なのだから、学校行事と言われれば、それは強制参加の意だともちろん弁えている。
1年生の頃は確かに参加したのだ。そこで何を話して、何に腹を立てたのかは残念ながら忘れてしまったけど、私はその日、そのパーティの主役にジンジャーエールをぶっかけてから帰宅した。当然締めのあいさつなんか聞いてない。
その翌日、クリーニング代だけを持って跡部の元へ向かった。昨日はごめんなさい。無理やり参加させられたパーティは不快だったし金輪際あなたには関わりたくないけど、感情に任せて服を汚してしまったのは私が悪いから。そう言って渡した白封筒は窓から放り投げられた。
唖然呆然とするしかなくて、跡部が、どんな顔をしていたのかをきちんと見なかったのが悪かった。突然腰を抱き寄せられたのは過去最高に気持ち悪かったし、耳許で囁くように、

「お前、俺様の女にならねえか」

と言われたのは警察を呼ぶ一歩手前だった。
何言ってんのこの人?という感情がぐるぐると回る。

「キモッ」

きもちわる、頭大丈夫?病院行く?一通りの罵倒を浴びせて耳を引っ張る。更に足を踏みつけて、少し緩んだ腕から無理やり逃れた。
踵を返してスタスタとその場を去る。去り際に廊下に響いた、「絶対振り向かせてやるから、待ってろよ!」という声は耳を塞いで聞かなかったことにした。


あれから2年かぁ、と思い返す。
あれ以来跡部は、すれ違う度に気持ち悪い言葉を囁き、贈り物だとゴミを押し付けた。
去年の今日は特にひどくて、思い出したくもない。まあ、あんなにゴネられても首を縦に振らなかったお陰か、今年は私が拍子抜けするほどアッサリ諦めてくれたのだろうけど。

帰宅すると、玄関の前に大きなダンボールが置いてあった。家の中に入れて、すぐに開けようとして、やめた。これじゃあまるで、楽しみにしてたみたいじゃないか。
暫く暇を潰そう。そう思ってソファに横になり、目を閉じた。



目が覚めたのは20時を過ぎてからだった。学園総出のおかしなパーティも、すでに終わってるだろう、なんて、考えてしまうことすら憎い。
昼に受け取った荷物を開ける。中には大量の日持ちしそうな食べ物と、海外にしか売っていないお菓子、あと、大きなテディベアが入っていた。ああこれ、ブランドものだ。
テディベアの手には便箋が握られていた。便箋から取り出した紙切れには、一行だけ、

『茜、誕生日おめでとう。』

「…………はぁ」

誕生日なんて、

クソ、どうでもいい。


・・・


この世には何十億という人間がいて、それに対して日付というものは366個しか存在しないのだ。あの人と同じ誕生日だったら、何だ。今日はこの人の誕生日なんてニュースにして、何だ。何万人、何億人に祝福される人間と、私の違いは何?

そう考えたのは6歳の誕生日。そもそも、誕生日、なんてものを知らなかったのだ。誕生日には家族や友達とケーキを並べるらしいと知ったのが、6歳だった。
どうしてウチはしないの?両親が海外で働いている間、私のお世話係をしてくれる聡子さんに訊いても答えてくれなかった。それから数か月後に一時帰国したお母さんにも訊いた。やっぱり答えてくれなかったけれど、次の年から、毎年、この日に合わせてテディベアが送られてくる。

空き部屋を掃除して、1年ごとに1つ増えていくテディベアはそこに置いた。食べ物はありがたく頂いた(ついでに言うと、定期的に送ってくれるから特別感は全くない)し、手紙はすぐに捨てた。

これが私の『誕生日』だ。誰かに話せば、きっと半分以上の人の抱く感情は同情だろう。世間一般的な誕生日が『そう』なっているから、普通じゃない私は可哀想だと、指をさして決めつけるに違いない。
あぁ、クソくらえだ。誰だって、366個の数字のうちどこか必ず1つが当てはまるのだ。そう考えると、全然特別だとも思えなくて。格別輝いているワケでもなければ、格別暗いワケでもない。つまりほかの300を超える日常と、なんら変わりないのだ。
だから、私は、

「………………」

そうか。私は、あの日――……


長い思考を遮ったのは、来客を告げるインターホンだった。
こんな時間に誰だろう。当然疑問に思うべきそれを、どうしてか、考える前にドアを開けた。いろいろ考えすぎて頭がおかしくなっていたのかもしれない。今日だから、特に。いや、今日はそんな特別なんかじゃない。

「こんな時間にどうしたの」
「お前に会いに来た」

恥ずかしげもなくこう言う男を、私は1人しか知らない。学校であっさり引いてくれたのはこういうことか、と勝手に納得した。
跡部は確認もせずに敷居を跨ぐ。不法侵入、と言ってみたけれど聞いてはくれない。
客間には、さっき開けたばかりの荷物を置いたままだった。

「ごめん、散らかってて」
「テディベア、好きなのか」
「ううん」

全然、好きじゃないよ。あの人たちは、誕生日に何かプレゼントをしたという事実だけあれば良いから、何も考えてないだけ。言おうとしてやめたけど、きっと伝わってしまったのだろう。

「じゃあ本当に欲しいものを教えろ。俺が与えてやる」
「気色悪い」
「……その悪い口、どうにかできねえのか」
「あんたもその上からな態度、どうにかできないの」

……あの日もそうだった。
長く思い出を掘り返して、思い出した、一昨年の今日。跡部だけが主役のパーティ。

当然、あの跡部だ。女子生徒はお祝いの言葉を口実にアトベサマと話したがったし、男子生徒も例外ではない。それだけなら良かったのに、あれは跡部が、跡部だからいけなかった。
このパーティは別に、跡部が自分を祝ってもらおうと、そんな自己中な考えだけで開いたわけではない。もちろんそれも理由としてはあるけれど、あれは跡部が、自分に関わる人間に感謝を伝える儀式でもあった。そんなこと、わざわざ言葉にしないから、ほとんどの人は前者だと思っている。

だから生徒に例外があってはいけないのだ。自ら話しにはいかなかった生徒の元へ、主役は自ら赴いたし、それは部屋の隅で料理だけ食べられたらもういいやと存在を消していた私も例外ではなかった。

「俺様の誕生日に、なに湿っぽい面してんだ」

第一声は、これだ。この時点でジンジャーエールをひっくり返さなかった私を、今の私は褒めたいくらいだ。

「へえ、誕生日って笑わなきゃいけないの」

ぴくり。眉が動く。きっと想像にもしていなかったのだろう。無理やり参加させられて、無理やりお祝いをさせられていると思っている人がいるなんて。

「当たり前ェだろ。凡人だろうが偉人だろうが、平等に与えられた記念日だ。特別な日に笑わねぇなんておかしいだろ」
「じゃあ私はおかしいんだね」
「てめえ、」
「じゃあ、例えとして訊くけど、今日この場に、今日が誕生日の人がいたらどう思う?特別な日を、アンタの為に消化させて、それでも笑えって強要できるの?」

今度は目を見開いて、驚いていた。例え、なんて言葉では誤魔化せなかったのだろう。まあ、いいけど。やがて見開いた目は閉じられ、代わりに喉の奥からクク、と笑った。

「何がおかしいの?」
「そうか、そうだよな……。特別な日は誰にも平等にある。じゃあ、やることは一つだ」

肩に触れていた手は、今度は私の手のひらを取った。引っ張られるまま、中央に作られたステージにあがる。まさか、まさかこいつ、

「よく聞けお前ら!今日の主役は俺だけじゃ――」
「あああ〜〜〜〜!!!!!!!!」

叫ぶ。叫んだ。跡部の持っていたマイクを奪って、とにかく叫んだ。上手くハウリングしたお陰で、会場は一瞬だけ、ステージへの視線を削いだ。その隙に、驚いているのか、怒っているのか分からない跡部の顔にめがけて、グラスを突き出す。びちゃ、と、跡部の顔を汚したのを確認してから床に叩きつけたグラスは、粉々に砕け散った。

「なんであんたの『ついで』に祝われなきゃならないの!平等なんて、365日毎日同じ規模でみんなのバースデーパーティ開いてから言えこのクズ!!」

ステージを飛び降りて、走る。待て、とか、名前とかを呼ばれている気もしたけれど、何も耳には入らなかった。


跡部は、ニュースになる人。私は、ニュースにならない人。2年前の出来事は、それを痛感するには十分すぎた。
けれど、ふと疑問に思う。私はニュースになる人なんてどうでも良くて、だから、そんな人と比べられても、落ち込むことも、嫉妬することもないハズだから。
じゃあなんであの日、帰ってから1人でめちゃくちゃに泣いたのだろう。私は、答えが分かったからこそ、あの日の記憶に蓋をしたのだ。

私はきっと、本当は、ずっと、

「……い、おい、聞いてんのか」
「…………聞いてない」

ハァ、と深い溜め息が続く。俺しかいねえんだ、俺と話せ。…やっぱり、傲慢な人だ。

「いいか。お前の誕生日に俺様が時間を割いているんだ。何が望みだ、主役」
「…………」

じ、とにらみつける。こいつも両親と一緒だ。やってあげて、自己満足を得て帰るんだ。
そう考えて、そう思っているのに。私の望みはあなたが帰ること、と言ったら跡部は帰ってくれるのだろうか。試しに言ってみてもよかったけれど、それを止めているのは私。…そう、私自身が、止めた。

「…………手、」
「あ?」
「手、握ってよ」


跡部は黙って、手のひらを差し出した。おそるおそる、自分のそれを重ねる。

「どうだ?一人じゃない誕生日は」
「うるさい」

顔を見られたくなくて、手は握ったまま、背中を向けた。


本当は、気づいていた。
私はただ、傷つくのが怖いだけだ。転んで、怪我をしても、痛くないよと誤魔化すことでしか自分を守れなかった。今更普通の誕生日なんて送ってしまえば、嘘をつきつづけた過去の何年もが無駄になってしまうから。だから、自分で考えた結論を周りに押し付けることしかできなかっただけで。
本当は、ステージに上がった時だって、少しだけど期待してしまった。みんなが私を、祝ってくれるのかな。けれど、それと同じくらい、怖かった。
祝って欲しい。ロウソク消したい。ケーキ食べたい。プレゼントたくさん欲しい。本当の気持ちはこれだと、あの日の私は気づいてしまって、だから記憶を頭の深い深い奥底に沈めた。

せっかく背中を向けたというのに、ぐずぐずと泣き出してしまえば音で分かる。背中に優しく触れる手が、あの日、気づいたのは私だけじゃなかったのだと言っているようだった。

「日向、聞けるなら聞いてくれ」
「…なに……」
「あの日、お前は俺に言っただろ。平等なら全員同じ規模で祝ってやれと」

あれから跡部なりに考えたらしい。そして出た結論は、ノー、だそうだ。

「地球の裏側の知らないヤツより友達や家族の方が大事だという人間は、悪いと思うか?」
「…………」
「それが悪くねえなら、お前の考えが悪いとか、そういうワケでもない。本当の意味での平等ならそっちの方が正しい」
「……じゃあ、あんたの仲良しなら、あんたと同じ祝い方するっていうの」
「ああ。そいつらが望むならな」

俺は何だってやる。好きな人間には何だって与えたくなるんだ。
傲慢なソレが、いつもより全然引っかからなくて。きっと私は今、どこかおかしいんだと思う。
だから今は、いろんなことを、難しく考えたくない。

「ほかに欲しいものは?」
「……ケーキ」
「あとは?」
「ロウソク立てて、15本」
「当たり前だろ。他には?」
「跡部、」
「何だ?」
「違う」

呼んだんじゃない。あんたが欲しい。

ぴた、と背中をさすっていた手が止まる。きっと、かなり動揺しているのだろう。顔を拝んでやりたかったけど、今は私もぐちゃぐちゃの泣き顔のままだろうから、振り返らずに続ける。

「本当は誕生日ちやほやして欲しい構ってちゃんだって、バレたの跡部だけだから。あんた握っておけば、他の人にはバレないでしょ」

我ながら素直じゃないけれど、もうそういうことにしておいてほしい。ああ、なんか、楽しくなってきた。情緒が不安定でめちゃくちゃなのも、この日に免じて許されるのだろうか。ねえ、返事は?へーんーじーはー?黙りこくった跡部を煽ってやる。

「駄目だ」

次は私が沈黙する番だ。あんなに私に、嫌というほど気持ち悪い言葉をかけてきたのに?

「あーらそう。やっぱ遊んでたんだサイテー」
「……俺はずっと言ってるだろ。お前を振り向かせてやるって。突然追いかけてくるんじゃねえ」

伏せていた顔を上げて、ば、と後ろを向く。視界に入った跡部は心なし、いつもより顔が赤くなっている気がした。が、それを見れたのは一瞬で、次の瞬間には声を出して笑った。

「笑うな。振り返ったよ。ほら」
「ハハ、ひでぇ面だな」

不貞腐れてみたけれど、少し経てば、跡部につられてしまって、ふふ、と声を漏らしてしまった。

「やっと笑ったな、こんなことに2年もかけちまった」
「……笑わせたくてあんなキモい言葉並べてたの?」
「アーン?あれは本心だが?」
「…………」

……コイツが欲しいなんて、一時の感情とか、気の迷いなんじゃないだろうか。ちょっとだけ、いや、かなり後悔した。しかしここまで醜態を晒した以上、手元に置いていないと(?)後が怖いし、仮に、じゃあやっぱり要らないと、捨てるかと聞かれたら、それもなんだか癪に障る。

「もう離さねぇぜ。お前が俺を欲しいと言ったんだ」
「そうだね。私は跡部を貰ったけど、まだ私は跡部のものになってないから」
「だから、ずっと言ってるだろ。振り向かせてやるから、お前は待ってろ」

自信家で傲慢で、自分の価値を疑っていなくて。惹かれるところなんて何もないのに、どうしてだろう。まあ、私は意地悪だから、きっと、80回くらい同じ誕生日を過ごしてから、実はあの時の誕生日で振り向いてたんだよ、なんて、話すのかもしれない。

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