憧れのジョン・スミス

「見つけた!」

人のいない廊下だった。その奥から聞こえてきた声はまっすぐで、今この場に、その声を受け取るのは自分しかいなくて。そこから走ってきた女の子が、目の前で止まって、俺の手を取るのだから、余計に俺しか受け取れなかった。

「見つけたぞ、ジョン!」
「はあ、ジョン……?」

犬か。そうボケてみれば、少女はがっくりと肩を落とした。

「…………やはり忘れてしまったか」
「何を」
「しかし構わない。私が覚えている限り、私たちの愛は永遠なのだから……」

まるで聞く耳を持たない。どうしたものかと頭を掻いて、そこでやっと、俺が何もかも把握出来ていないことに気づいたとでも言いたげだった。

「忘れたのなら仕方がない。説明しよう」
「……出来るだけカンタンに頼む」
「では簡潔に。私は日向茜、前世の名前をシャーロット。私たちは前世で恋人だったのだ」


・・・


要約、俺、丸井ブン太の前世はジョン・スミスというらしい。そして彼女、日向茜の前世はシャーロットという名前の貴族だそうだ。
まるでロミジュリのような別れ方をしたのよ、なんて悲劇。そしてジョンに記憶のない悲劇、私だけがあの世界に取り残されている。嗚呼なんということ。

そんなことは真に受けなかったけれど、蹲って泣く少女を誰が見過ごせようか。しばらく宥めていれば、気づけば付き合っていた。
誤解のないようにもう一度言う。俺は、目の前に泣いている女の子がいたから、泣き止むまで宥めてあげただけだ。そうしたら、付き合っていた。

「俺、付き合うとか何も言ってねえし」
「とんだ災難に巻き込まれたのう」

あまりに理不尽だった。この話を幸村君は腹が捩れるほど笑い、柳はドン引きし、赤也はジョン先輩と揶揄った。話すつもりのなかった仁王がどこから嗅ぎつけたのか、でも唯一、真面目に聞いてくれる人だったので仕方がない。

「ま、そんなにぶっとんだ奴そうそうおらんき、少しくらい付き合ってやってもええじゃろ」
「少しくらいって……」

そういう問題じゃないんだよなあ。やはり相談相手を間違えたらしい。
彼女の言動や性格の話ではなく、この全てが彼女のペースにあることに対しての愚痴だった。それを分かってくれる人というのは、いないものである。

「それにしても、そんな電波女が入学したとなりゃ、噂にでもなりそうなもんじゃが」
「いやいや、生徒の数考えろよい。誰が気にする?」
「気にしとるじゃろ」

まあ、実際そうなので、否定は出来ない。
その心配の要点は一体、どこなのだろうか。どちらかといえば、性格そのものよりは、浮いているせいで何かという心配の方が大きかった。1年生からあれでは肩身が狭いだろう。まあ、仁王みたいな奴もいるから、一概にそうとは言いきれないけど。

「ま、せいぜいがんばるぜよ」
「なんで最後に投げやりなんだよ……」
「他人事じゃからのう。なあ、ジョン?」
「お前もなあ…!」

前言撤回。真面目に話を聞いてくれる人なんて、いなかったのである。


・・・


「見つけたぞ、ジョン」

見つけたもなにも、朝から靴箱の前に立っていれば、見つけないワケがない。

「おはよう。……っと、シャーロット?」
「茜でいい。私はジョンと呼ぶが」

何でだよ。思わず言いたくなる言葉を引っ込めて、どうしたのかと尋ねてみた。すると、なにやら鞄を漁り始めて、出てきたものは、1本の紐のようなものだった。

「今日は厄日らしい。ミサンガを編んだぞ、足になり首になりつけるがよい」

そう言うなり、首に巻こうとするものだから、慌てて止めた。

「首は、締まるから!」
「では足首に……」
「あ、あとで! 後で自分でやるから! ありがとな!」
「うむ。効果は保証するぞ」

満足げに笑う表情は眩しい。コイツ、喋らなかったら普通にカワイイと思うんだけどなあ。その考えを、首を振って追い出した。それこそ、アイデンティティの崩壊だ。

「では、教室まで一緒に行くぞ」
「1年は逆方向だろい?」
「ジョンは厄日だからな。教室までに何かあっては大変だ」

分かったなら行くぞ。腕を引っ張られれば、拒否権はなくなってしまった。



茜は、占いが好きらしい。そして凝り性だ。今日の運勢を教えてくれることは毎日で、ラッキーアイテムをくれることもしばしばだ。
それでもきっと疑っていたのだろう。茜の教室の近くを通った時に、人集りができているのに気づいた。その真ん中にいたのは茜で、もしかしたらハブられたりとか、そんな感じなのではという心配は杞憂だったらしい。そして、その前に広がっている、タロットのようなものが見えて、ああ本当に占いが好きなんだと思った。

気づけばずっと、眺めていた。チャイムが鳴ったことで、それに気づいて、慌てる。急いで教室に戻らないと。その間際、茜と目が合った。
困ったように眉を下げて、小さく手を振られる。思わず笑みが浮かんで、手を振り返した。



「困る」
「はあ……」

大変、困るらしい。それはさっきの、休み時間のことを指していた。
教室には来ないで欲しいらしい。会う時は2人が良いのだなんて、もっともらしい理由をつけられれば、頷くしかないわけで。

「大体、ジョンが私に会いに来る必要はないのだ。私がいつでも会いに行くのだから」

頷く寸前で、この違和感に気づく。
彼女は常に、一方的だった。それは前世の恋人という、設定の押し付け(俺が覚えていないのでこう言わせて欲しい)だとか、俺から茜へ、何かをすることを、そうする度に拒否するところもそうだった。まるで恋であって愛ではないとでも言うように。

「そこなんだけどさ」
「うむ。何だ?」

前世を真面目に信じるほどではない。だから、前世の恋人と言われてもぱっとしない。前世で恋人だったら、次の世でも恋人になった方が良いのかと言われても、分からない。
だけどこれは、俺の考えで、きっと彼女の中では違うのだろう。揶揄ったりバカにすることは、彼女に対する冒涜だ。
だからどこからか、ジョンに徹しようと、無意識のうちにそうしていたのかもしれない。……本当にそうだろうか。俺は、ジョンという役があるから、茜を好きになるのか?

答えに気づいて、どきりとした。もしかしたら、とんでもない表情になっていたかもしれない。唾を飲んで、小さく深呼吸をしてから、続けた。

「俺から会いたいって、ダメなわけ」
「だから、必要ないのだ。必要な時は私を呼べ。さすれば来る。不都合があるか?」
「俺から、会いに行きたいって言っても、ダメ?」

あくまで下手で言った。茜はどうしても、主導権を握っておきたいらしい。そこを否定してしまえば、きっと何も聞いてもらえないと思ったのでそうした。
だから、ダメなものはダメとかいう、理不尽な答えでも構わないと思っていたのである。だって、彼女のことは、あまりに独創的で、全ては分からないのだから。知りたいと思ったのは事実だけれど、今知っていることが少ないこともまた、事実だった。

だから、言ってしまえば予想外だったのである。茜は途端に顔を赤くして、慌てて両手で隠していた。

「え、何」
「な、な、何だその、私を好きのような言い方は!」
「言い方もなにも、付き合ってんだ。当然だろい?」
「付き合ってるのか?! わ、わ私たちは?!」

ええー。それ、俺が聞きたい。付き合っているというのは茜が言い出したことで、その本人が分からないというのなら、俺には、はいそうですと言う資格はない。

「……ジョンは、」

しばらく経てば落ち着いたのか、口を開く。口調が、あまりに静かで、やはりさっきは動揺していただけのようだ。今聞いてみれば、付き合っているが何か、くらいは言いそうで、つまりいつも通りで、安心した。

「ジョンは、いや、ブン太は」
「……俺?」
「ああ、ブン太は………………何でもない」

何でもない、が一番気になる。だけど尋ねたところで、何も言わないのだろう。きっと、いつか言ってくれることを願って、今は深追いしなかった。

「さあ、無駄話はしまいだ。屋上に行こう」
「屋上? 今から?」
「うむ。今日のラッキースポットは夕陽の見える屋上だ」

ほら、行くぞ。ここからはまた、主導権は彼女にあった。確かに、窓の外はオレンジ色だったけれど、夕方に今日の運気アップとはこれいかに。まあ、ツッコんではいけないのだろう。
屋上に着くなり、ペットボトルの水をひっくり返して、謎の図形を書き始める彼女にも、まだ深くは突っ込まない方が良いと思った。


・・・


いっそのこと本当に、俺がジョンなら良かったのかもしれない。そう思いながらやってみた前世占いは、平安時代の貴族だったり、カブトムシだったりして、考えることを辞めた。真面目には信じない、という考えは変わりそうにない。
別にジョンでなくても、茜を好きになる権利はあるのだろう。だけどそれでは、彼女の思考そのものの否定だった。だから頭を悩ませる。ジョンではなく、丸井ブン太として好きだと、どうやれば伝わるのだろうか。

「あ、」

教室に入ろうとして、足を止める。教室には茜の姿があった。俺の席に我が物顔で座っているだけならまだ良い。その目の前には、目線を合わせるようにしゃがみ込む仁王の姿があった。

風船ガムを膨らませながら、しばらくは様子を眺めるだけに留めた。それを出来なくなったのは、今まで見たことのないような表情を、くるくると仁王に見せる、茜のせいである。
あんなに不安げに揺らす瞳は知らない。あんなに無垢に笑われたことはない。その笑みは、いつかの教室での表情を思い出させて、割れた風船ガムの回収すら忘れていた。

俺には、知らないことが多すぎる。勝手に傷つくだけの、ネガティブな自分ならまだ良かった。だけどこの不安と呼べる何かを、いやちがう。つまるところの嫉妬を、分かってもらいたいと思うのはワガママだと思う。だけどこの程度のワガママ、許してもらわなければ割に合わない。俺は、都合の良いところだけジョンだった。

「何話してんの」

あくまで、いつもどおり。ニッと笑みを作れば、茜は驚いたのか焦ったのか、目を見開いて、咳払いをした。そうしてから向けられた顔は、いつもの表情、と例えた方が正解で。

「え、まる、……ジョン。な、何の用だ?」
「用っつーか、俺の席だし」
「そうか、そうだったな! ジョンが遅いから借りておったのだ」

自分が悪いとは是が非でも認めない。そんな茜のスタンスにもすっかり慣れてしまった。別に、座ってるのは良いんだけど、問題はその前にいる相手だ。ただ、伝えようとしたそれを、自分から言うのは躊躇いがあって、試しに仁王を睨みつけてみたが、けらけらと笑うだけだった。
……こいつ分かっている。揶揄われているのなら、ここで何もしなければ男じゃない。

「茜、ちょっと時間くれる?」

茜は答えなかった。否定がないのを良いことに腕を引っ張ってみれば、立ち上がったので、それを肯定だと受け取る。

「日向」

教室を出る間際、仁王が呼び止めたのは俺ではなく彼女の方で。見えないように唇を噛む自分が、あまり好きではない。

「今日のラッキースポットは、朝の屋上らしい」



……どうしてだろう。あれは茜が言われたことで、腕を引っ張っていたのは俺で、だから俺が、屋上を選ぶ理由はどこにもなかった。まあ、2人きりになれるのであればどこでも良かったから、屋上でない理由もなかったのだけど。

「…………」

茜は、黙ったままだった。話とは何だ、くらいは言ってくれそうなものだと思ったけれど。呼び出したのは俺だから、もしかしたら気を遣っているのかもしれない。

「仁王とさ、仲良いの?」

だから、単刀直入に聞いてみた。茜はスカートの裾を握りしめるだけで、答えない。背中を震わせていて、今にも泣きそうだと思ったけれど、肝心のどうしては分からない。だから、不安でいっぱいになる。

「悪い、答えづらいなら、別に良いんだけど……」

歯切れが悪いのは、そんなことで諦められない自分のせいだった。思ったより、嫉妬が深いようだ。どうやら自分のこともよくは知らなかったらしい。

「なんか、ゴメンな? 教室戻ろ……」
「あぁ〜〜〜〜!!!」

叫びだった。茜は突然大声をあげて、驚いたのは言うまでもない。耳を塞いで蹲る姿を目で追っていたけれど、あまりに突然のことで、動けなかった。

「だ、大丈夫?」
「大丈夫じゃないです……」

ついに泣いていた。だけど俺には、彼女が泣く理由が、分からないのである。

「丸井先輩の、バカぁ…………」

初めて呼ばれた、ジョンでない名前に、驚いたのは言うまでもない。


茜は蹲ったまま立つ素振りを見せず、また泣き止むこともなかった。腰を下ろして、背中を撫で続ける。嗚咽はやむことがなくて、しばらくは、話をまともに聞けないと思った。全く、今までの我一番のような茜は、どこへ行ったというのだ。

「もう、大丈夫?」
「はい……大丈夫です……」

声は未だ震えていて、多分、全然大丈夫じゃない。ぐず、と何度も鼻水を啜っていた。

「悪いけど、俺、今全然何も分かってねえから、」
「はい、あの、……説明するので……」

茜はポケットからスマホを出した。手帳型のケースから出てきたものは、一枚の紙切れで、無言でそれを渡される。説明すると言いながら、自分の口ではできないという、臆病のあらわれだと思った。

「……『好きな人に前世の恋人と偽って告白』??」
「……はい、あの、全部そういうことなので、あの……すみません……」

俯いていたけど、きっとまた、涙が溢れているのだろう。

「友だちと遊んでて……罰ゲームだったんですよお……ずっと言えなくて、ホント、ほんとに……ごめんなさい」

ついには子どものように、声をあげて泣いていた。こういう時に限って、ハンカチを忘れるところが最悪なのだ。仕方がないので、また、背中を擦る。

「ぐずっ、……あの、……許して欲しいとかは……全然思ってない、ので……っ」

ずっとこの調子だった。まるで自分が、カースト最下位のような話し方をするものだから、今までとまるで真逆だと感じた。
俺は本当に、何も知らなかったんだ。それに対するショックはいくつかあったけれど、騙されただなんて思っていない。だって、そうだ。

「これ、好きな人に嘘ついて告白すんの?」
「……はい、あの、ホントすみません」
「俺のこと好きなの?」
「……はい、あの…………あ、」

今度は顔を真っ赤にした。泣いた顔を隠していた両手が、俺の手に握られた紙切れを奪おうと伸ばされる。しばらくはそれを避けて面白がってみたけれど、いつまでも茶番をしている場合ではないのだ。手首を掴めば、ぴたりと止まった。

俺は、茜のことが好きだ。まるで人の話をきかない、我一番の茜が? 自分の評価が最低の茜が? 一体どちらかなんて分からない。だって、未だ、茜のことなんか何も知らない。何も知らない人を好きになることは、ダメなことだろうか。俺はそうは思わない。きっとこれこそ、恋の本質だと思っているから。

「俺のこと好きなら、謝んなよ」
「……あの、……私、」

唇を、きゅっと結んでいる。謝ろうとして、それを言わないようにしたのだろう。つまりは肯定だ。なんだか、安心した。気づけば茜の頭を撫でていた。

「んじゃ、丸井センパイの彼女がお前で、良い?」
「うぇえ……わたし、……こんなに幸せで良いんですかあ……」

幸せのキャパオーバーだと続けた。どうしてか、自ら不幸を望みそうな危うさすら感じてしまう。
相当、打たれ弱いらしい。茜のことをまた一つ知れて、嬉しかったのは言うまでもない。

「でも……絶対、釣り合わないので……同情なら今すぐ捨ててください……」
「捨てないって。俺はお前が良いの」
「ブスでごめんなさい……」
「可愛いから、自信持てって」

頭を撫でてしまうのはきっと、子どもをあやすのと同じだった。でも、まあ、嫌いじゃない。
茜の自虐トークは、チャイムが鳴るまで終わらなかった。

「ホント、すみません、時間取らせて」

早く戻らないと。そう言って、踵を返す茜の手を、つい掴んでしまう。
正直に、まだ全然足りないと思った。この先どれだけ一緒にいたとしても、多分、全然足りない。

「あのさ……サボらね?」
「え……」

口許に手をあてて、考えている。きっと根は、かなり真面目な子なのだろう。
な、偶には悪いコトしようぜ。追い討ちのように言えば、やがてゆっくりと頷いた。



「で、仁王とは何話してたワケ」

しまった。元々これを尋ねようと思っていたのに、すっかり忘れてしまうところだった。1限の終わるチャイムが鳴ってから、やっと思い出した。

「え、っと……あの……」

今度は、言いづらいなら言わなくて良いなんて逃げ道を用意する気はなかった。ただ、見守る。やがて観念したのか言うことがまとまったのか、ゆっくりと、1つずつ確認するように口を開いた。

「友だちと、仁王先輩が仲良くて、」
「おう」
「ウソってバレたら、絶対嫌われると思ったので……その……そーゆー相談なら、仁王先輩が良いよって、勧められて」

だから言われる通りにしたらしい。何もないのに語尾にスミマセンとつくものだから、その度の否定は欠かさなかった。

「でも、ウソだって教えてくれたじゃん」
「アドリブなんて無理ですよお……」

要は諦めらしい。まあ、結果オーライなので良いだろう。

「丸井先輩は、本当に私なんかで良いんですか?」

瞳は、不安げに揺れていた。まるで犬のようだと思ってしまって、茜と出会った時のことを思い出しては、笑ってしまうのである。

「や、やっぱり……」
「ちげーよ。可愛いなって、思っただけ」

そう言って頭をぽんぽんと撫でれば、黙りこくる。本当に扱いやすい。
休み時間とは短いもので、次のチャイムは思ったより早かった。

「2限、どうする?」
「……丸井先輩が、私と居たいなら」

自分で決めないところである。じゃあ、サボる。当たり前である。そう言ったあとに、欠伸を零したのが失策である。

「……やっぱり、退屈ですか?」
「寝不足」

全くどこまでネガティブなのだ。それが可愛いと思ってしまうところが、惚れた証拠なのだろう。足、伸ばして。フェンスに寄りかかって、体育座りで縮こまる茜にそう言えば、首を傾げながらもしてくれた。
伸ばされた足の上に、遠慮なく頭を乗せる。所謂の膝枕をしてもらった。いい夢が見れそうだ。

「……正気ですか?」
「正気正気」

地味に酷いと思ったけど、伝えれば余計に傷つくだろう。全肯定こそが正しい。あとはこうでもしないと、寝ている間に消えそうだと思ったこともある。

「おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
「暇になったら、起こして良いから」
「ないとおもいます……」

それから目を閉じてはみたけれど、なかなか寝付けない。当たり前だ。こんな状態で寝れる人がいるのなら教えて欲しい。全く、良い夢が見れそうだと思ったのは誰だろうか。

「……先輩、起きてます?」

これは、不可抗力の狸寝入りである。ここで起きてしまえば、やっぱり私の膝なんか気持ち悪すぎて眠れないですよねくらいは言われそうだったので、こっちの方が都合がよかった。

「……寝てる、かな…………」

その独り言のあと、頭を撫でられる。ゆっくりと、何度もそうされて、気持ちが良かったけれど、寝たフリをし続けなければいけない辛さもあった。

「先輩、……好きです」

……ああ、あまりに不意打ちだ。思わず体を起こしそうになって、必死に止めた。ダメだ、ここで起きてしまえば、きっと茜は恥ずかしさで蒸発してしまう。起きている時に言ってくれるのはいつになるだろうかと考えれば冷静にもなって、ただ、口角が上がってしまうのだけは止められなかった。


・・・


いい夢が見れそうだと思ったのは誰だろうか、と思ったのは誰だろうか。結局あのまま寝てしまって、起きたのは4限の途中だった。起きてすぐに謝ったけれど、良いですよ、ええ、全然。まあ、その答え以外は想像しづらかったけど。

昼休みになれば、屋上は人で溢れる。ずっとここにいるのも気が引けて、人が来る前に屋上を後にする。一度、茜の教室に寄って、弁当だけをとって、すぐに出た。丸井先輩の好きなところで良いですよ、とやっぱり、自分で決めてはくれないのだ。どこも浮かばないので教室に戻れば、俺の席には銀髪の野郎が座っていた。

「長いトイレじゃのう」
「サボり常習犯に言われたくねーよ」

仁王は、俺の後ろにいる茜に視線を向けて、にっと笑った。茜がそれに対して、やっぱり笑うものだから、今度は不機嫌を隠さない。

「茜、しばらく仁王と話すの禁止」
「うーわ、ブーちゃん酷。日向からも何か言ってやれ」

分かりやすい揶揄いだ。茜はふい、と顔を逸らしてから、黙々と弁当を片付け始めた。あー、これ、冗談とかあまり言わな方が良いらしい。きっと、根が真面目すぎる。思わず苦笑してしまって、それに気づいた茜が、眉を下げる。

「あの……私なにかしました? 悪いトコなら治すので、あの、……」
「何もしてないって。茜はそのままで大丈夫」
「……ホントですか? 悪いトコだらけですけど……」

本当に、どこまでネガティブなのだ。悪かったら、ちゃんと言うから。少し落ち着かせようと頭を撫でてやる。それを見て仁王が笑うから、ついに睨みつけてしまった。

「まるでお守りぜよ」
「…………」
「茜、こういうのは言い返して」
「え? あ、はい! えっと……」


昼休みはあっという間だった。朝からずっと一緒にいるのに、まだ足りない。せめて、もう少し。教室まで送ると言えば、茜より先に、仁王が口を開いた。

「今日のラッキースポットは、海岸らしい」

屋上とは何だったのか。意味が分かってしまえば無意味な質問を浮かべてしまう。茜の表情を窺えば、予想通りと言うべきか、頬を染めていた。

「5限、どうする?」
「……丸井先輩の、行きたい所に」

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