見たくない見たがりたい
「やだ」
「1回だけ」
「やだ」
やだ。絶対やだ。胸の前で大きくバツ印をつくって、いやという程声を張った。
ついさっきの話である。日吉くんは突然、嬉々と、私にスマホの画面を見せつけてきた。
つぶやきまとめ? 本当にあった都市伝説? 馬鹿らしい。実に馬鹿らしい。年に1回は見てしまう話だ。マルマルであった本当のバツバツ。全く馬鹿らしい話だ、ええ本当に。こんなの作り話に決まっている。その証拠に、私の足はガクガクと震えていた。
「もしかして怖いのか?」
「こ、怖くない!」
声だって震えていたのだ。本当に、馬鹿らしい。
私は怖いものが苦手だ。いや、全人類ホラーは苦手に決まっている。だから私は一般人で、目の前でキラキラと目を輝かせているこいつの方が異常なのだ。
「ふーん、じゃあこの前仕入れた青春学園七不思議の話を」
「やめて!」
慌てて両耳を塞いでしゃがみ込んだ。丁度良く、そのタイミングでチャイムが鳴るものだから、小さく悲鳴をあげる始末。ふう、と一息吐いて、
「ほんと、ほんとに、怖くなんかないんだから」
返事は呆れた溜め息だった。
何度だって言う。私は怖いものが苦手だ。人間ホラーやグロ系のホラーならまだ、まだ耐えれる。しかし心霊系はめっきりダメだ。子ども騙しのような出来の悪いホラー映画でさえ、トイレもお風呂も行けなくなったことは家族全員に笑われた。
だから、このつぶやきの場所に行ってみようなんて誘われて、首を縦に振るはずがなかった。頼む、他の奴も全滅だったんだ。もうお前しかいない。だって? ふざけるな。ふざけるんじゃない。お願いだから、私もその他の奴に入れて欲しい。頼むから。お願いだから。
と文句を言ったのは心の中だけで、実際は今、懐中電灯を持って、日吉くんの腰に捕まっているのである。
「日向、近すぎだ。あと1メートル離れろ」
「む、むりでしょ……バカじゃないの…」
確かにバカなのだ。幽霊と戦いにきたのに我々、懐中電灯1本にリュックを1つという軽装備なのである。日吉くんへ渡せば、私を置いてスタスタと歩いていくものだから、唯一の生命線は私が持つことにした。
「そんなに怖いなら来なきゃ良かっただろ」
「やだって言った! 日吉くんがしつこいから!」
「怖くないんじゃなかったか?」
こうやって煽ってくるのは、彼がまだ余裕である証拠だ。ふ、と頬を膨らませるが、この暗さなら見えていないだろう。
訪れたのはいわゆる古戦場跡というやつで、山奥と化した戦場の近くにぽつんと、古い民家がある。そこから細い一本道を行くと、お墓があるらしい。いくつもあれば墓地なのだろうが、本当に、ひとつだけぽつんと、ある。らしい。
幽霊がいるのはその民家か、はたまたお墓の方なのか。墓荒らしのようなことはしたくないと言えば、どうやら民家もお墓も昼間には「無い」らしい。じゃあ何。夜だけ「見える」んだ。ぞわ、と鳥肌が立って、日吉くんの服を思いっきり引っ張った。
「無理。帰ろう? むりでしょ、人間がやることじゃない、帰ろう今すぐ」
「……少しは落ち着け」
日吉くんはそう言って、リュックの中からペットボトルを取り出し、私へと渡した。無色透明なそれを水だと判断して一気飲みすれば、その不思議な味に噎せてしまう。
「馬鹿。飲む用じゃない。塩水を口に含むことで、幽霊から……」
「そんなリアリティ求めてない!」
といいつつも1口含んで、吐き出さないよう、飲み込まないように細心の注意を払った。
「いいか。やばいと思ったらやばいやつに吐きかけて、すぐに逃げろ」
そんなやばいことにはならないでほしい。睨みつけながら頷く。日吉くんへとペットボトルを返せば、彼もまた同じように口に含んだ。関節キスですよお兄さん、なんて騒げる余裕があれば殴ってやったというのに。
身を守る(守ってくれるのか…?)塩水のせいで、そこからの会話はひとつもなかった。逆に不気味である。私は既に涙目になって、日吉くんの服ではなく腕を握りしめていたのだけど、多分手汗が凄いことになっていた。
暫く歩けば、不自然な場所に出る。木々の間のほぼ一本道を歩いて来たというのに、所謂開けた場所へと到着した。
日吉くんは、スマホを取り出して現在地を出そうとする。しかしそれを5秒でやめた。電波が届かない。例の発端となったつぶやきのスクリーンショットを見て、目の前に広がる光景と見比べた。
「ここで間違いないな」
それを喋る為だけに態々、塩水を地面に吐きつけたらしい。それを真似して、唸る。
「何もないじゃん」
「本当ならここに民家が……」
日吉くんはくるくるとスマホの角度を変えて、眉間に皺を寄せる。
「早く来すぎたか? 日向、今何時だ」
「自分で見てよ。携帯に出てるでしょ」
「表示がおかしい」
ぼそぼそと絞り出された声に、背筋が震えた。いや違う。きっと私を驚かせる為にそういう雰囲気を出したに違いない。至って平生のフリをして、ポケットから自分のスマホを出した。
「21時2分」
「10時くらいまで待つか」
ここで1時間? 嘘でしょ。正気の沙汰でない。頭がおかしい。どうにかしている。それを言葉には出さず目で訴えるが、引く気にはならないようだ。どうしてここまで摩訶不思議現象が大好きなのだ。この前はUFOが見たいと騒いでいた。その時も付き合わされて、親にどう言い訳するかを1番悩んだ記憶がある。ふと、今まで感じていたモヤモヤの正体が分かった。
「ねえ、帰ろう」
「はあ? やっぱり怖いのか?」
「そうだね、怖いね、ウチの親が」
遅くなる言い訳を忘れてしまっていた。日吉くんの顔には呆れた、と書いてあって、自分でもそう思う。
「全然怖いとか思ってないけど、帰ろう。早急に。日付変わったらもう、ヤバい。殺される。ケツバットだよ」
「今から連絡すれば良いだろ」
「バカじゃないの? 電波入らないじゃん」
そう言い放った瞬間、手のひらの上でスマホが震えた。突然の事で吃驚したが、悟られないようにスマホを落とすことはしなかった。画面を見れば、ショートメールが1通きたようで、
『今どこにいるの?』
という1文だけだった。日吉くんと山奥ですなんて返せるわけがない。私だけのお家ホラーが始まってしまった。肩を落としたが、返信しない方が余計に怒られる。仕方がない。
文字を打とうとして、その人差し指が震えていることに気づいた。
「ねえ日吉くん」
「何だ」
「ここさ、電波入ってないよね」
「入ってないな」
よくよく見ればそのショートメール、知らない番号なのだ。いくらスクロールしても、晩ご飯は唐揚げだよなんて、昨日親と交わした呑気な会話は出てこなくて、
「まって、むり、え、ちょっと! 無理!」
慌ててスマホを地面に叩きつける。リュックを漁って手に取ったのはさっきの塩水で、キャップを外してからスマホの上にぶちまけた。
「何やってんだ」
「防水だから大丈夫!」
「お前が大丈夫じゃない落ち着け」
無理やりペットボトルを奪い取られてしまい、落ち着くしかなかった。中身は殆ど空になってしまっていたが、2本目があることも知っている。なんと用意周到な。とか関心している場合じゃない。
「やだ、むり、帰ろう……?」
多分もう泣いていたと思う。仕方ないと肩を竦めて、日吉くんは頷いた。
知っている道に戻ってきてから、地面に座り込んだ。やだと無理以外の語彙がなくなってしまう。
もう少し頑張れと立たされて、とりあえずコンビニまでやってきた。適当に買われたパックのジュースを持たされる。その後に、塩水でべとべとになったスマホを渡された。きちんと回収しているあたり、本当に冷静な人だと感心してしまって、感心する余裕が生まれていることに気づいた。良かった。大分落ち着いている。多分。指先は震えているし、まともに立てないけど大丈夫だと思う。
「親に返信しなくて良いのか?」
どうやら大量にショートメール(本物)が来ていたらしい。しかし今は、出来ればスマホには触りたくないのだ。
「ホント無理。あとで返す」
触りたくないから、持っててよ。そう言って渡せば、日吉くんはめちゃくちゃ喜んで受け取った。とてもニコニコして画面をタッチするから、多分偽物のショートメールを探しているのだと思う。無いところで気持ち悪いが、残っていても気持ちが悪い。報告だけは絶対にしないでね、と釘を刺せば、なんのことやらと首を傾げられた。
「だから、さっき来たやつ。あってもなくても言わないでよ」
「ああ、その話か。お前の代わりに返信してやっただけだが。そうか、その手があった」
そう言って、さっきよりも気持ちの悪い笑みを浮かべるものだから、まだ何も言っていないのに耳を塞いでしまった。
「やだ、絶対言うでしょ」
「言わない」
日向は怖がりだからなあ。喉の奥でくく、と笑うように言われてしまう。腹立つなこの人。本当に。
帰るぞ、と一言だけ言って、日吉くんは歩き始めた。近くに停めていた自転車に跨って、後ろに乗るようにと促してくる。行きは遠慮して、自転車を押して歩いてきたのだけど、今は一刻も早く帰りたい。家に。行儀が悪いとかマナー違反とかそういうのは頭からすっぽ抜けて、大人しく後ろへと乗った。
「ヘルメットは?」
「あるわけないだろ」
ちゃんと掴まれよ、と言われて、腰に腕を回す。さっきまで服とか腕とかにしがみついていたというのに、恐怖がなければ、こんなに意識してしまうのだろうか。どくりと心臓が跳ねた。
「振り返ったら、俺の顔じゃなかったりしてな」
「はあ、ば、ばか! バカ言わないで! バカ!」
撤回。考えていたこと何もかも撤回。何も見たくなくなって、背中に顔を押し付ける。日吉くんは肩を震わせて笑い、ペダルを踏みつけた。
・・・
「良いだろ」
「やだ」
「1回だけ」
「やだ」
やだ。絶対に嫌だ。バカ野郎。ふざけるんじゃない。
今度は何だ、あそこの滝がやばいらしい。滝は本来どうのこうのとうんちくを始めた日吉くんを止めることは出来ない。耳を塞いだがもう耐えられない。
「……別にいいだろ。今度は昼間だ」
「そういう話じゃない!」
そうは言っても結局、流されてしまう自分が、安易に想像出来てしまった。多分彼の誘いを断るなんて無理だ。そうなれば、いかにダメージを受けないかを模索しなくてはいけなくて、
「ハァ……耐性つけなきゃなあ」
「オススメの映画貸してやろうか? 本でも良いが」
「やだいらない」
彼には私の、やだ、という単語は聞こえないらしい。次の日にはいくつかのDVDと数冊の本を私の机に置いた。
要らないと言っても押し付けられ、家に持ち帰ったそれを、見てしまうのが私だ。
それは何故かって? ホラーだからである。