お願い1つぶん

自分は本当にバカなんじゃないかと思う。日曜日だから気が済むまで寝てやろうと思って、お昼過ぎまで寝ていた。ご飯を食べるのも面倒くさくなって、お腹が空いたのに、1階に降りなかったのが原因だ。お腹が空きすぎたのかカロリーが足りないのか気力がないのか、そろそろまずいと気づいた時には、それを食べに行く気力すらなかった。

だから突然鳴り始めた携帯を探すだけで精一杯で、出ようと思ったらそれは切れてしまった。着信履歴、1件、ひかる。あ、やってしまった。慌てて掛け直すと、すぐに出てくれた。

『出るの遅すぎやわ』
「ねてたの、ごめんね」

電話越しに、拗ねたフリをしている彼に謝る。

『まあええけど。今先輩ん家の近くなんですけど』
「え、うそ」
『嘘やないわ。何ならメリーさん風にお伝えしますけど』
「しなくていいよ」
『あがってもええですか?』

大丈夫、鍵開いてるから適当に入ってよ。そう伝えれば切れると思った電話は、繋がったままだった。

『玄関ごっつ汚いんやけど』
「あとで掃除する……」
『ちゅうか、折角3分前からお知らせしたったのに出迎えなしですか』

これは多分、本当に拗ねている。
財前くんはクールで、何を考えているか分からないともっぱらの噂だ。けれどこれが、付き合ってみるとかなり分かりやすい。私だけの秘密だ。

「2階いるから」
『あーほんま、玄関先でカワイイ先輩に出迎えてもらえるの楽しみやったんやけどなあ』
「ごめんって……」

ドアの奥からと、電話の奥から、階段の軋む音が聞こえる。数秒経てば私の部屋のドアはガチャ、と開いて、

「おはようございます」

電話から、少し遅れた声がきこえた。





「先輩、アホすぎ」

お腹が空きすぎて動けません、と言えば、お笑いは全然ツボらないポーカーフェイスはすぐに笑った。

「そ、そんなに笑わないでよ」
「スンマセン、つい……あ、でも心配もしてますよ。大丈夫っすか」
「そんな付け加えたように……」
「ホンマですって」

ベッドから体を起こせば、そのままで良いと言われたので、お言葉に甘えて横になる。財前くんは床に座り込んで、ベッドに腕を敷いた。

「あ、マカロン食べます?」

ガサガサと袋の揺れる音がして、しばらくして出てきたそれは、近所のケーキ屋のマカロンだった。ついこの前、チェーン店のあそこより、ウチの近くの方が100倍は美味しいという話をしたのを、覚えていたみたいだ。

「財前くん」
「何ですか」
「あそこね、バラで買った方が安いの」

1個150円。6個で1000円。謎の包装料が含まれるのだけど、普段買わない彼は気づかなかったようだ。綺麗にラッピングされたそれを片手に持ったまま、不貞腐れてしまった。

「先輩の為に買うたったのに、文句ですか」
「文句じゃないよ! 今度買う時はって話」
「パシリやないですか」
「この前新しいCD買ったでしょ」
「あー、あれ、まだ聴いてないんスわ」
「なんで、せっかく買うたったのに」

語尾を真似してみれば、少しは機嫌が戻ったのか、ラッピングのリボンを解きながら続ける。

「先輩に買うてもらったモン、開けれる訳ないやん」
「聴かなきゃ意味ないでしょ」
「そーゆーモンなんです」

はい、キャラメル。手を差し出すではなく口を開ければ、仕方ないとでも言いたげな顔で食べさせてくれた。うん、美味しい。キャラメルのほろ苦さが味覚を満足させる。続いて財前くんの指に挟まっていたのはピンク色をしたそれで、

「あー、いちご食べないの、あげる」
「嫌いやったっけ」

女子なのに珍しい、と偏見を投げつけながら、それは財前くんの口の中へ消えた。何回か噛むうちに、表情が険しくなっていく。

「あっっっっま」
「せやろ〜」
「こんなお菓子好きなんすか、先輩」
「もちろん」

大好きですとも。マカロン好きな自分が好きだと言われそうだから、普段は黙っているし、財前くんにしか言っていないけど。見た目やブランドで食べる人を悪いとは思わない。ただそういう偏見が、悲しいことにあってはしまうので、自分は誤解されたくない。私は味以外にはこだわらないから、見た目が悪かろうがサクサクしっとりしていれば良いのだ。

「これもあげる。抹茶」
「嫌いなもん多すぎやろ」
「そうかなあ」

チョコならええですか。あ、食べる。財前くんは、箱から抹茶味を取り出して、ポケットにしまった。これもあれだろうか、先輩に貰ったものは以下略。せめて冷蔵庫に、というか、

「食べればいいのに」
「後で食べます。ていうかこれ、先輩が1つ食べる度に俺のお願い1個きいてもらお思うて持ってきたやつですし」
「へ」

やだ、後出しずるい。手を伸ばして掴んだチョコレート味が指から滑り落ちて、それを財前くんがキャッチした。

「何してもらお」

確かに、この前CDを買ってあげたとはいえ、甘えたがりやってもらいたがりの財前くんが、私にお菓子を買ってくるとは思えなかった。しかも1000円である。CDは2000円だったけど。いや、値段で張り合ってる場合じゃなくて。こういう時の財前くんは、大抵あまり良いことを考えていない。大変分かりやすい性格である。

財前くんは、手に持っていたマカロンの封を切って、自分の口へと運んだ。目を見開いてそれを追ってしまう。よりにもよって私が1番好きなチョコレートを。なんてことだ。甘いだのなんだの、文句言ったくせに!
頬を膨らませれば、財前くんは口角を上げて、多分笑っていた。半分だけ齧ったそれの、もう半分を口に入れる様子がなくて、おまけに目を細めてくるのだから、その意図を察した。

少しだけ身を乗り出して、残りの半分を齧る。食べたついでに唇を重ねれば、満足したようだ。指が私の髪を撫でて、耳に触れる。お返しのようにピアスを指でなぞれば、先に離れたのは彼の方だった。

「お願い、これでいいの」
「まさか」

恋人なのに、キスお願いするとかおかしないですか。正論である。分かっていたから、私の胃の中に入ってしまった1つぶんのお願いは、今のってことにしたかったんだけど。つまり彼のお願いは、ハードルが高いということを知っていた。

「ま、それは置いといて、先輩はなんかお願いあります?」

意地悪な彼にしては、かなり気の利いた提案だった。確かに彼の胃の中にも、私が押し付けたお願い1個分が詰まっている。お願い、と言われてもすぐには浮かばない。きっと財前くんはあれとかこれにしようと考えながら歩いてきたのだと思うけど、私は今言われたのだ。少しだけ悩んで、

「炭水化物が食べたい」

自分の今の状況を思い出した。

「……チンするご飯買うてきますわ」
「炊飯器、白米でいっぱいなの」
「しゃーないっすね。よそってきますわ」

そうじゃない。玉ねぎと塩コショウしか入ってないチャーハンレベルでいいから、何か作って欲しい。要約財前くんの手料理が食べたいです。そういう意味だったのだけど、多分、分かっていて分からないフリをしていた。
その証拠に、20分くらいして部屋に戻ってきた財前くんは、親子丼2人前を抱えていた。
体を起こして手を合わせる。食べるにつれて、今までなかった気力は完全に回復した。やっぱり人間、炭水化物がないと生きていけない。

「ありがとう。大好き」
「え、俺が? 飯が?」
「財前くんに決まってるでしょ」

最後の一口までありがたく頂く。ごちそうさま、と声をかけても、なんだか不服そうで、ああ、またちょっと拗ねている。

「ええ加減、名前で呼んで欲しいんすけど」

前後となんの繋がりもないお願いだった。
それは確かに、ハードルの高いお願いだった。前から何回か言われた事なのだけど、恥ずかしくて呼べなかった。せめてもと思って、携帯の登録はひかる、に変えたのだけど。まさかこんなことに、マカロンを使われてしまうとは。いや、こんなことで片付く話ではないのだけど。

「……どうしても?」
「どうしても」

でも私だって、これに対してなにも思っていなかった訳じゃない。この時の為に、とっておきのカウンターを用意していたのだ。そのくらい呼びたくないという意味ではなくて、だからなんでこんなに必死なのか分からなかったけど、多分、普通に、恥ずかしいだけなのだけど。

「財前くんだって、名前で呼んでくれないじゃん」
「はあ……そんなこと」
「そんなことじゃないの。私には名前でって言うくせに、財前くんだって、先輩先輩って……」
「茜」

いつもと同じ声なのに、耳について離れなくて、つい口も動きも止めてしまった。当の本人はけろっとした顔で、多分私だけが、赤くなっていた。

「うーん、やっぱ茜先輩やろか。どっちがええ?」
「え、ど、どっちも良くない」
「アカンなあ、名前でって言うたの茜の方やろ」

カウンターってなんだろう。むしろ、作戦にハメられた気がする。俺も呼んだからよろしく、というような。

「…………………………ひかる」

だから観念して出した声は、自分で聞き取れるかも怪しいくらい小さかった。それでも満足してくれたようだ。

財前くん、訂正、光は食べ終わった食器を片付けて、また戻ってきた。ベッド脇に行儀よく座っていた私の後ろに回ってきて、背中にかかる重みを感じる。

「ねえ、お願いするほど名前で呼ばれたかったの?」
「まさか。恋人なのにそんなお願いするかいな」
「またそれ……」

恋人という免罪符で、2つもお願いをきいてしまった。私のお願いは親子丼に消えたというのに。美味しかったから良いけど。恋人なら、また作ってくれるだろうか。

「家の人ら、いつ帰ってくるん」
「お父さんは県外出張、お母さんは飲み会で日付跨いでご帰宅」
「ほな、もうちょいこのままでええですか」

腰に回った腕をなぞって、手を重ねる。それを了承と受け取ったのか、ぎゅ、とさっきより強く抱きしめられた。

「このまま抱き枕にして寝たい」
「これはお願い?」
「まさか」

恋人やもんなあ。と呟いた光に、無理やりベッドに沈められた。

ああもう。仕方ないなあ。恋人だもの。





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