正解は虫めがねで覗いて
「カニとカニカマは雲泥の差なの。別物」
「聞いてへんなあ」
日向さんはそう言いながら、カニカマを口に運んだ。カニが食べたいと付け加えて。そうか、カニか。今月のお小遣いでは少し厳しい。
「もうすぐ妹の誕生日やから、プレゼント選ぶの手伝うて欲しいんやけど」
「カニ」
「うーん、物が良えな」
苦笑すれば、彼女は不機嫌を隠すようにきゅっと唇を結び、箸を置いた。
「私に聞くのが間違い」
それはとても小さな声だった。だから、聞こえないフリをしたのだけど。日向さんは弁当箱を仕舞いながら、近くにいた謙也を呼んだ。白石くんが妹のプレゼントで悩んでるんだって。と、淡々と言葉を紡ぐ。やめてくれ、話がややこしくなる。案の定、俺の消しゴムやるわなんて言い出すから、苦笑することしか出来なかった。
「日向さん、今日の部活は」
「ポチが危篤なの」
「先週ポチの葬式しとったやん」
流れでツッコめば、バツが悪そうに舌を出した。
日向さんは、新聞部では大変有名な幽霊部員だった。部活動への加入を強制されているこの学校で、仕方がないのでとりあえず入ったようなものだ。無理やり聞き出した理由は、一番、人と話さなくて良さそうだったから。だ、そうだ。そんなことないと思うけど、と周りの文化部を見てみたが、確かにそうかもしれないと思った。
ついに耐えかねた部長が、日向にも記事を書かせろ! と柄にもなくイライラしていたのは去年の冬のことだった。マンネリ化していたのだ。なんとか頼み込んで出来上がった校内新聞は、掲示だけでは満足出来ず希望者に配られるほどの出来で、部員全員が目を丸くしたことを覚えている。
きっと、頭が良い。成績がいいとかそういう話ではなく、きっと頭のつくりが俺たちとは違うのだと思った。
それからは、せめて月に1回、日向さんに記事を書いてもらうよう交渉している。同じクラスの俺が。でもそれは、部長に言われたから仕方なくというわけではなくて、
「白石くんがいつもきいてくるから、ネタ切れよ」
「ネタ切れしたら部活くる約束やん」
「…………もう毒草聖書手伝わない」
「わかった! わかりました! ポチが危篤ですね!」
単に彼女との会話を楽しみたいのと、自分のコーナーを守るためである。毒草聖書のネタに詰まった時(日向さんの記事が大ウケした次の週の事だった)、やっつけで相談してみたら、油田の如くネタが湧き出てきた。最高や、石油王だと褒めちぎれば、日向ですと真顔で返されたのはいつだって思い出せる。あれ以来、彼女へ推敲をお願いしているのだ。それが無くなるのは、少し、いや、大変困る。今日も無理でしたと頭を下げる自分を想像して、部室へと向かった。
「白石もようやるわ」
何の話、ときけば「日向の話」と、ものすごく早い切り返しだった。
謙也は、荷物を俺の自転車の籠に詰め込んで、欠伸をした。能天気だ。委員会の方が早く終わるから、先に帰っていいと言ったのに、話し合いは漫才大会にすり代わったそうだ。昇降口でばったり会って、その話を聞かされた。
「俺、なんもしてへんけど」
そう、なにもしていない。ただ話の口実を見つけて、他愛もない話をしているだけで。何をどう良くやっているのかなんて分からなかった。
「日向、何考えとるかよう分からんやん。よう話せるな思うて」
「せやろか」
「おん」
確かに、部活の件で話しかける前は、少し話しづらそうだとは思っていた。それは彼女が、誰とも話さないからである。クラスでの話し合いとかで他人ぶることは無かったけれど、休み時間や昼休み、放課後も、誰かと一緒に居る所を見かけなかった。
「意外と単純やで、あの子」
「じゃあ今日、俺呼んだ時何考えとったん」
「カニ」
それだけ言えば、は、と口を開けて足を止める。そう驚かれても、確かに日向さんは、カニのことを考えていた。あとカニカマ。謙也を置いていくように自転車に乗れば、俺の鞄! と叫んで全速力で追いかけてきた。
・・・
「お前、何考えてるか分かんない」
会う人みんなに言われた。
私、何を考えているのか分からないんだな、と自覚したのは小学生の頃。それが分かれば、他人と関わることが人生の得でないことくらい、すぐに分かった。
今日も逃げるようにまっすぐ帰宅した。ベッドに寝転がり、
「…………や、ってしまったあ」
わああ、と、誰にも聞こえない呻き声を枕に吐き出していた。
「カニとカニカマって何! 確かに違うけど何考えてんの?! アホ、私のアホ!」
何をどう毒づいても枕さんは答えをくれない。5分ほど小さく暴れて、やがて小さな溜め息で締めくくった。
今日の空の色をカラーコードに例えたらどれになるだろうと考えていたら、突然、聞いているかと尋ねられた。聞いてないよ、ごめんなさい。箸の間に置き去りになっていたカニカマのせいで、意味のわからないことを言ってしまった。
多分、生まれるところから間違えてしまって、赤ちゃんよりも、他人とのコミュニケーションが下手だった。人の話なんて聞けないし、何を返せばいいのか分からない。返したところで相手は大量の疑問マークを抱えるのだ。挙句の果てには「何を考えているのか分からない」と言われ続けた。つまり、そう、他人と関わることをやめたかった。
だからあんなに、私に話しかけてくる人がいる、ということが、人生初の出来事だった。幽霊部員の私に、いい加減活動をして欲しいとお願いしてきたのは、白石くんだった。適当に編集した新聞は何故か大ウケで、日向さんが書いたんやでと自慢したがる白石くんの口を押さえて、匿名でとお願いした日が懐かしい。あれ以来、主に新聞部の話で、白石くんはほとんど毎日私に構ってきた。
嬉しさが半分と、怖さが半分だった。1番は、嫌われたくないだった。貧弱なボキャブラリーからありったけの返しを引き出して、正解に近いと思う言葉を返す。特にツッコまれなければ胸を撫で下ろし、今のはどういう意味かと返されれば、心臓が震えた。
白石くんは、私がコミュニケーションが苦手なことを、多分察している。それでも怒らず、私の話を聞いてくれるのだ。それがどうにも耐えられなかった。
「誕生日プレゼントかあ……」
誕生日、プレゼント、妹、検索。スマホを眺め続けて、3分でやめた。どれが正解なのかなんて、分からなかった。
「弟が見たいアニメ、録画予約忘れてたの」
「え、弟おるん?」
「いないけど」
「おらんのかい! ……って、まあまあウケたから俺の負けや」
今日の部活に行かない言い訳対決は、私の勝ちだった。いや、なんやかんやで、いつも勝たせてくれるのだけど。
「そういえば、妹さんの誕生日プレゼント決まった?」
「それが全然やわ。思いつくやつはもう結構あげてるからなあ」
本当に悩んでいるようだ。ポケットからスマホを出して、昨日ブックマークしたまとめサイトをいくつか画面に出した。
「私もあんまり浮かばなかったけど、こういうページ見つけたの。参考になるかな」
スマホごと渡せば、白石くんは包帯から少しだけ覗かせた指で、画面をスライドさせていた。うわ、指綺麗。つい見とれてしまって、名前を呼ばれていることに気づかなかった。
「日向さん?」
「え、っと、な、なに?」
思ったより、白石くんの顔が近くて、どっと熱が上がってくる。顔がとても、赤いだろうなと自覚した。これだからコミュ障はつらいのだ。
「なあ、今何考えとったん?」
やってしまった。また違うことに気を取られていた。白石くんの指が綺麗でした、なんて、本人を目の前にして言えるわけがない。顔は急激に青ざめているだろう。とにかく何か、言葉を返さなくちゃ。何を返そう。あ、多分、誤魔化すのが1番正しい返しだ。
「カニ」
続、やってしまった。これではただのカニ大好き妖怪だ。ぎりぎりと歯を噛んでいると、白石くんは声を漏らして笑っていた。それがなんだか楽しそうで、首を傾げる。私を、バカにしているんじゃ、ないのだろうか。
「日向さん、カニ好きなん?」
「うん」
格別好きなわけじゃないけど、つい口から出てしまった。ああ、白石くんと話す時は、カニが好きなことにしなきゃ。こうやって一番いい選択を探しているから、自分があべこべになるというのに。私は、いつになったらそれが分かるんだろう。
「カニは無理やけど、カニカマ買うてやるわ。帰ろ」
「だから、カニとカニカマは」
「雲泥の差やろ? ま、カニはお正月まで我慢してな」
白石くんは私の答えも聞かず、腕を捕まえて引っ張った。部活はいいのかと言えば、今日は一緒にサボろうな、だって。
そのままスーパーまで連れて来られて、5本入りのカニカマを持たされた。
・・・
どうやら3年2組に勇者が現れたらしい。
天涯孤独とうたわれる日向茜に、告白した男がいるという噂は瞬く間に広がった。
誰が告白したのかも、日向さんがオッケーしたのかも、それは誰も知らないらしく、こんな教室の中で白を切っている男はかなり根性があると思った。
「またカニカマ入れとる」
「カニは高いの」
だからこうやって、いつも通りの日常を送ることに決めた。仮にめでたくお付き合いをしているのであれば、俺が一緒に食事をするなんてご法度だろう。ただ、相手が隠したいのであれば、いつも通りを装う方が大事な気がした。そしてそれを、当事者の片割れである日向さんも望んでいたように思う。
「日向さん、今日の部活は」
「…………行こうかな」
訂正。あまり日常は望んでいないようだ。いつもなら喜んでいるはずの俺が、手を止めてぽかんと口を開けてしまったのが、どうやらおかしかったらしい。首を傾げた彼女に、何でもないと見え透いた嘘をついた。
「3週間ぶりやなあ。記事のネタあったりする?」
「図書室でよく借りられる本ワースト5位」
「ベストやないんかい! ……ああ、いや、ちょい気になるな」
「……を、誰もが借りたくなるようにプレゼンしようと思う」
「採用」
なんだかいつもより、口数の多い昼食だった。
噂は所詮、噂なのだと思う。放課後まで、日向さんから浮いた話は聞けなかったし、日向さんに近づく男子もいなかった。もしかしたらフラれて消沈しているのかもしれない。そう思うと何かが嬉しくて、何が嬉しいのかは、分からなかった。
記事の構成と下書きが出来て、キリがいいからと投げ出された。今週分の発行は明後日だから、明日までに仕上がれば良いのだけれども。部員は文字通り、日向さんという藁に縋っている。だから、書いてくれるなら内容がなんだろうが、ギリギリに完成しようが、両手をあげて喜んだ。
自分の枠が埋まった部員から、帰っていく。部室は徐々に閑散としていった。
「日向さん、もう帰る?」
「やっぱり今日仕上げようかな」
試しで印刷した、かなり不完全な新聞を眺めて、日向さんは呟いた。パソコンでチェックすれば良いのに、と言えば、こうして紙媒体にしないと何も浮かばないと返されたことがある。
「ほなら、日向さんの分終わってから、推敲頼もうかな」
「それで待ってたの? 今からで良いよ」
日向さんは、持っていた新聞を投げやった。俺の隣まで移動し、並んで原稿用紙を見つめる。
「2人とも、あんま遅うならんようにな」
ドアの前で、今にも帰らんとしている部長が言う。部長が出れば、俺と日向さんの二人きりであることに、この時気づいた。皆帰るのが早すぎだ。
「せや、内鍵忘れんといてな」
何の話だ。語尾にハートマークが2つくらい飛んでいそうなトーンで、だから、顰めた顔を隠さなかった。ストレートに、何の話ですかと問いかければ、
「日向に告ったの、白石ちゃうの?」
「え」
ぐしゃ。
手元にあった原稿用紙が犠牲となった。思わず力が入ってしまったようで、我に返ってから後悔する。その頃には、部長はもういなかった。
この状況を表せるものは、きまずいの4文字だった。髪で隠れた目の、目線だけを日向さんへと向ければ、彼女も原稿用紙を1枚握り潰していて、そのまま固まっていた。
「あ、んな、日向、さん」
「はい、はい、なんで、しょうか、白石さん」
互いに、まるでロボットだ。いやむしろ、ロボットなら良かった。そうだとしたら、こんな気持ちで話さなくて良いのに。
「……今日、クラスの奴が噂しててん。その……こ、告白された、って」
話題を逸らすことも考えた。多分そっちの方が、正解だったと思う。けれど、そんな優しい白石蔵ノ介よりも、野次馬精神が異常に高い白石蔵ノ介の、圧倒的勝利だった。
日向さんは、膝の近くで手を擦り合わせて、俯いている。やっぱり話題を変えた方が良かった。言ってしまった言葉は訂正出来ないけど。どうしようと考えていれば、口を開いたのは彼女だった。
「うん。」
ただの噂ではなかったようだ。それが何故か、少しだけショックだった。背中を震わせて肯定した彼女は、あまりに弱々しい。手を伸ばそうとして、やめた。多分それは、自分の役目じゃない。
「一目惚れ、だって」
「話したことない奴?」
「うん。」
「で、どうしたん?」
30秒くらいの無言を挟んで、
「…………断れなかった」
なんだかその言葉に、違和感を覚えた。
「グイグイ系だったん?」
「そうじゃないの。私が、断り方分かんなかったっていうか……ごめん、なんか、わかんない」
あまりに乏しい語彙を探って、彼女は頭を抱えていた。しきりにごめんというものだから、その口を塞いでやりたかった。謝ることなんて何一つない。ただ自分のことを、そうやって、言葉にしてくれるのが嬉しくて。いや、どうして嬉しいというのだ。
つまり断ろうと思ったが上手く断れず、流れで付き合うことになってしまったらしい。それなら明日にでも、誤解だからと伝えればいいのに。それが彼女にはとても、難しいことなのだということは、察することが出来た。
慰め方が分からない。仮とはいえ、断りたかったとはいえ、彼氏がいるのだ。今すぐ抱きしめて、彼女が怯えている何かに対して大丈夫だと言ってやりたいのに、自分の役目ではなかった。
「………………カニ、買うて帰る?」
「カニカマがいい」
カップ焼きそば現象だよ、と言う日向さんは、無理な作り笑いをしていた。
・・・
日常がなくなった。
顔も名前もよく分からない男の子に告白された。人生初めての告白である。でも私は、誰かと付き合うなんて、考えていなかった。友達だっていないのに、恋人なんて要るわけがない。それで断ろうとして、1番いい言葉が分からなかった。気づけば、付き合うことになってしまった。
みんなにバレたくないから、と、教室での過ごし方はいつも通りで。部活が終わってから、一緒に帰ろうと。昨日は、白石くんと流れで帰ってしまったのだけど。だから多分、今日から。心臓が爆発しそうだった。
だからせめて、それ以外は普通であって欲しかったのに。いつもなら、私が関わった時は必ず発行前の新聞を見せてくれる白石くんは、一緒にお昼を食べてどうでもいい話を聞かせてくれる白石くんは、私の前にはいなかった。
彼氏、に気を遣っているのだ。だから、嫌われた訳じゃないのは分かるのに、泣きそうになる自分が嫌だった。5限はトイレに籠って泣いた。
それから毎日の心労は耐え難いものだった。付き合ってしまえば、別れるというのは、嫌われたも同然だった。だから、付き合いたくなかったなんて言っても、別れないように、言葉を選ぶのだ。そんな自分に吐き気がしたし、言葉の選択を間違えたと気づいた時も吐きそうになった。
「日向さんって、何考えとるん」
「え?」
「なんか、ぼーっとしとるやん。いつも」
そうだろうか。私は、あなたの言葉にどう返すかを考える為に、一言一句聞き逃すまいとしているのだけれども。
「……そうかな」
「おん」
即答だった。そうか、ぼうっとしてたらしい。気をつけなきゃ。そう思った矢先に、彼の頭が、顔が、ぐ、と私に近づいていたから、思わず後ずさってしまった。
「はあ、ちゅーするチャンスやったのに」
「え、と」
そうだ。付き合ってるんだ。手だって繋ぐし、キスだってする。当たり前だ、もしかしたらその先だって。それを考えれば、途端に怖くなって、多分、ひどい顔をしていたと思う。
「ほら、また人の話聞いてへん」
「え? あ、ごめん……」
なんだか、泣きそうな気分だった。答えを、彼に対する答えを全部間違えている気がする。何をどう答えればいいのか分からない。語彙はみんなして、私の知らない所へ出かけてしまって、何も残っていない。
「やっぱ、別れよ。日向さん何考えとるか分からへんもん」
確かに望んでいた言葉は、ナイフのような形をしていて、心臓に突き刺さった。
私が何を考えているのか、私が1番分からない。だから他人に分かるはずがない。
放課後になって、新聞部の部室に入った私を見て、目を見開いたのは、白石くんだった。
「お、日向さん、2週間ぶり」
「こんにちは」
話すこと自体が、2週間ぶりだったから、どちらを指しているのか分からなかった。
白石くんは、机に大量の原稿用紙を広げていた。毒草聖書だ。そういえば先週は、推敲を頼まれなかったことを思い出す。
「そんなに散らかしてたら、他の人使えないでしょ」
「今日活動日やないから良えの」
「え、」
確かに、白石くん以外は誰もいなかった。まだ来ていないだけだと思ったけど、どうやら来ないの間違いらしい。流石幽霊部員になれば、活動日すら把握出来ないのだ。
「じゃあ、帰ろうかな」
気まずくなって、踵を返す。ドアにかけた手を、後ろから掴まれて、背筋がびくりと震えた。
「ちょお、お話ししよ」
「推敲なら、明日……」
「今話したい」
断れない。断ることができない。小さく頷いて、彼の隣に腰掛けた。
「今、彼氏とどう?」
単刀直入だった。そして遠慮を知らなかった。今さっき別れました、なんて、言っていいものだろうか。彼氏がいるからと、会話を控えた彼の優しさを無駄にしてしまうんじゃないだろうか。まだ黙ってた方がいいんじゃないか。どちらがいいのか答えが出なくて、だんまりを決め込んでしまった。
白石くんが、溜め息を吐く。あ、やってしまった。多分、黙るは不正解だった。下を向けば、日向さん、と名前を呼ばれたが、それにも何かを返すことが出来なかった。
「首振るだけで良えから。まだ、付き合うとる?」
黙るのはダメだ。少しだけ悩んで、首だけを、横に動かした。嘘なんて、つけない。
返事をしてから約3秒後、横からの衝撃を感じた。驚いて思考が追いつかない。白石くんが、私に抱きついているのを、少し経ってから理解した。抱きついたというよりは、抱きしめているような、感じがした。こういう時は、何と言えばいいんだろう。
「ずっとな、こうやって抱き締めたかった」
包帯のザラザラとした感触が、頭に触れた。まるで子どもをあやす様な仕草で、思考は更に追いつかない。ショート寸前ってこの事かと、納得している場合ではないのだけど。
しばらくそれを続けていた白石くんは、ふと、動きを止めた。がばっと私から離れ、両手をあわあわと彷徨わせる。
「えっと、あ、スマン! ……ああ、やってもうた……」
椅子の上に正座をして、手は膝の上に乗せると決めたようだ。私が怒っているような構図になってしまった。そんなことないのだけど、それをどう伝えていいのかは、やっぱり分からなかった。
「なんか、日向さん、話題ない?」
「白石くんが、話したいって」
そう言ったからここにいるのに。彼との会話はまだ一つだけだ。罰が悪そうに前髪を掻き分けてから、口を開いた。
「俺、日向さんが何考えとるのか、よう分からん」
静かに紡がれたそれは、確かに凶器だった。さっき刺さったナイフの横に、もう1本増えたような。けれど、そんなに痛くはなかった。
「分からんで良えと思うねん。みんな、よう分からん言うけど、日向さんが何考えとるかって、そんな大事な話かな思うて」
「………………」
「日向さんが言葉選んで、会話してくれるだけで嬉しいねん。自分、人と話すの苦手やろ」
やっぱり、気づかれていた。それもそうだ。こんなにたくさんの話をして、私がおかしいってことに、気づかない訳がない。
「せやから、今から日向さんタイムを取りたいと思います」
「………………ん? え?」
今すごく、大事な話をしていたと思う。2時間ドラマの佳境から、突然バラエティ番組にチャンネルを変えられたような、そんな感じだった。
「どういうこと……?」
「色々言うたけど気になるねん。自分が何考えとるか。せやから俺に、何も気にせんと思ったことをぶつけるタイム」
「そんなの、」
出来るわけがない。出来たら苦労していない。そう目で訴えても、白石くんはその笑みを崩さなかった。
ぶつけると言っても、何をぶつければいいのか分からない。何を言おうと頭を探っていれば、口許にあてていた手を握られた。
「ほら、はよ。ごちゃごちゃ考えんと、今思ったこと言うだけや」
私がいつもどれだけ考えて、考えて、言葉を繋いでいるのか、知らない癖に。そこまで言うならもう、後悔させてやろうと思った。
「……白石くんのアホ」
私の手を握った白石くんの手を、反対の手で握る。その上にまた、彼の手が重なりそうになって、少し鬱陶しくて払い除けた。
「なんでお昼一緒に食べてくれないの! 新聞も持ってきてくれないし! 毒草聖書だって私に見せないで出したくせに! 2週間ぶりなんてよく言えたわね! 私の2週間ぶんの部活お断りレパートリーどうしてくれるの! あとカニカマ美味しかった!」
一息に言って、はあ、と息を吐く。吐いてから、後悔した。
他にも色々あった。最近しんどい話とか、彼氏とのあれこれの話とか、授業の何の話とか、あったのに、他にもあったのに、これでは白石くんへの悪口しか考えてない人ではないか。
それに気づいてしまって、気づいた時には遅かった。
やっぱりきちんと、言葉は選ばなきゃ。こんなこと言われたら誰だって嫌いになる。多分もう、嫌われてしまった。白石くんに嫌われた。唯一話しかけてくれた、彼に、嫌われた。ぶわ、と鳥肌が全身を巡った。もうダメだ。ここを出てから泣こうと思ったのに、既に泣いていた。
「ごめん……ちがうの、…冗談で……」
言い訳を重ねている間に、視界が暗くなった。ハンカチをあてられていると気づいて、体がはねる。何、だろう。何だこれは。私は今どんな状況で、白石くんは何を考えているんだろう。
さっき、抱きしめられた時みたいに、また重くなって、頭は混乱の域を超えていた。
「この前5限サボった時、泣いとったやろ。やっと拭けたわ」
「しらいし、くん……」
「みんなの為に言葉選ぶ日向さんも好きやけど、そればっかりやと窮屈やろ。たまには思ったことそのまま言ってもええんやで」
「うん…………」
「明日から、またお昼一緒に食べような」
「うん……」
「この前の新聞、大盛況やったで」
「うん…………」
「泣き止んだら推敲してください」
「うん。」
「またカニカマ買うてやるし」
「…………カニが良い」
我侭を言えば、クスリと笑われた。
涙はそろそろなくなるようで、ハンカチを返した。きっと真っ赤になっている目で、白石くんを見つめる。
「俺は絶対、日向さんを嫌いになることないから、何でも遠慮せんと言うてな?」
「善処はします」
「……なんや、告白みたいやな」
ぼそりと呟かれた独り言だった。
告白みたい。その言葉で、なんだか全部、繋がった気がした。目の前で星が散らばった。
嫌われたくないじゃ足りない。好きになって欲しい。それじゃまるで、私が白石くんを好きみたいだ。とんだ我侭になってしまったようだ。ぶんぶんと頭を振れば、
「なんや、今何考えとったん」
「な、なにも! 考えてない!!」
「ほーら、遠慮せんと」
言わないと逃してくれないという雰囲気だった。こんな距離では逃げようがないけれど。今日の発見、白石くんは意地悪だ。
「カニ食べたい」
全然、食べたくないけど、この際カニ大好き妖怪でもなんでもいい。白石くんは苦笑して、正月まで我慢してな、と、いつか聞いた言葉を繰り返した。