臆病者の恋
「せやなあ」
避暑目的でやってきた図書室で、机に突っ伏して動けなくなってしまった。
「先輩ら、うるさいっスわ」
「なあ財前、これどう思う? もうアイツ重症やねんけど」
「生まれた時からネジ外れてるんとちゃいます?」
「分かるわ、もう手に負えへんもん」
「部長は人のこと言えませんって」
「なんか、2人とも辛辣だね……」
それが仲の良さから来ることは分かっていたけど。
「日向さんはもっと怒って良えで」
「え、も、もっと怒るの?」
「そうでもせんと、謙也には伝わらんやろ」
彼の名前を出されれば、口を噤んでしまうのである。
事は数ヶ月前に遡った。
特にタイミングとか、きっかけがあったわけじゃない。謙也くんとの関係に、友達では満足出来ないと気づいた時は、枕に顔を埋めて叫んだ。これが恋か、おおこれが恋なのか。そうなればもう言ってしまった方が早い気がしたけど、変なところで臆病だった。告白して、フラれてしまうくらいなら、友達という関係を続けていた方がまだマシだった。
「自分歯痒いねん」
と言われたのは、それから数週間後、謙也くんにどうやって話しかけていたかを忘れてしまった末期の時だった。本当に全然分からなくて、白石くんを通訳に挟むことで会話が成立していた。多分謙也くん本人は気づいていなかったけど、通訳の本人は気づいてしまったらしく、歯痒い、と言われたのだ。
「な、なにが」
「謙也のこと好きなんやろ? 俺のことダシに使わんと」
「え、つ、使ってない」
単に話し方を忘れただけだと言えば、白石くんはそれはもう、かなりツボに入ったらしく、10分くらいは笑い転げていた。落ち着いたと思えば思い出し笑いをして、私はそれを、かなり複雑な気持ちで見ていた。
「謙也、今フリーやで」
ひとしきり笑って、落ち着いた頃に、私だけに聞こえるように呟いた。ここには2人しかいないから、わざわざ声を小さくしなくてもよかったのだけど。
「うそ。あんなに格好いいのに」
「ナントカは盲目やなあ。」
俺も謙也はカッコいいと思うけど。と付け足して笑うのだった。
それから白石くんには、かなり相談に乗ってもらった。わざと教科書を忘れて借りに行く術を教えてもらったし、自然とお昼ご飯を食べられるよう配慮もしてくれた。彼には感謝しかなかった。
それでも、やっぱり、最後の一歩を踏み出すには時間がかかった。
でもそろそろ、その一歩を踏み出さないといけないようだ。
偶然だった。謙也くんが女の子から手紙を受け取っていた。告白だと、一瞬で理解した。
ああ私はなんて将来有望の家政婦だ、なんて冗談を言っている場合じゃない。気づけば滝のような汗が出ていた。
読むのだろうか。呼び出しとかだろうか。仮にそうだとして、それに謙也くんがイエスと答えたらどうしよう。先を越されたという焦りだけが募った。
家に帰っても気持ちが晴れなくて、ついに困り果てて、白石くんに電話をかけてしまった。白石くんはそのことか、と言って、苦笑した。
『焦っとる?』
「……うん。多分、かなり。」
『そうかぁ』
何か言いたげな雰囲気で、私から喋るのを憚られた。
『そろそろ踏み出しても良えんとちゃうかな』
「でも……」
『日向さんが不安になるのも、分かるわ。せやけどホンマに先越されたらどないするん? 面と向かって言われたら断れへん奴やで、アイツ』
「知ってるよ、だから」
『だから?』
「…………どうしよう」
電話越しに、ふ、と笑う声が聞こえる。全然笑い事じゃないのだけど。白石くんにとっては笑い事らしい。
『……ええタイミングやと思う。とりあえずデートでもしたらどうや? 気持ちを伝えるかは置いといて』
「そんな、私」
『大丈夫やって。友達なら休みの日くらい一緒に遊ぶわ。告白出来んかったら、また誘えばええねん』
白石くんに言われれば、本当に大丈夫な気がしてくる。そうだね、そうしよう。と考え始めれば、これ以上の名案はないように思えた。
「そうだね、誘ってみる。ありがとう白石くん」
『おおきに。ほな、自信もって』
「はい」
『また進捗教えてや』
「うん」
いい人にはいい友達がいるんだと、感じた。
・・・
と、そんなこんなで無事、謙也くんとの遊園地デートが確定した。………………白石くんのオマケつきで。
意味が分からなくて、分からなさすぎて、その場で何を言ったかも覚えていない。耐えきれずにこうやって報告しながら、私の奥から出てきた語彙は「バカじゃないの」の一言だけであった。
「部長がドタキャンすればええでしょ。そんなん」
「謙也は自分らが思うよりめちゃくちゃアホやねん。そんくらいで解決する事案ちゃうの」
「はあ……」
偶然図書室で居合わせた後輩も巻き込んで、全員で頭を抱えている。当然私もだ。
「ま、俺も行くけど、絶対くっつけたるから安心せえよ」
「アリガトウ。タノモシイ」
「アカン、日向先輩、思考停止しとる」
この日どうやって家に帰ったかなんて、覚えていなかった。
・・・
「……謙也、遅くなるって」
「……はい」
電話を切ってすぐ、深すぎるため息を吐いてからの報告だった。
「謙也くん、私のこと嫌いなのかな」
「そういうの、やめや」
「けどそうじゃなきゃおかしいよ。わざわざ白石くんまで誘ったり、それに遅刻でしょ? 謙也くんが遅刻することある?」
「ないなあ」
「ほら、やっぱり」
デートは始まる前から難航していた。多分、もう、脈ナシというやつだ。当たっても砕けるだけだ。本人に会う前から、今日は気持ちを伝えるのはやめようという気分になった。
遅れてやってきた謙也くんと合流し、1時間遅れでスタートした。白石くんは、気を遣ってか先頭を歩く。地図を広げて、あそこ混んでるからこっちから行こか、なんてナビゲートを始めた。隣の謙也くんとの雑談を楽しめということだろうけど、肝心の謙也くんの歩幅は、白石くんについていた。つまり2人の後ろを、私が歩いていた。ダメだ。やっぱり私のこと嫌いなんだよ。
「2人とも、体力ありすぎない?」
だからつい、そう言って引き止めてしまった。そのまま休憩する流れになって、猛暑に負けた私は水を一気飲みする。もう少し欲しいと思ったところで、それはなくなってしまった。
「あー、なくなっちゃった」
「今日暑いからなあ。新しいの買ってくるわ」
新しいのを、と言われて、はっとした。そんな話だった。飲み物買いに行ったり定期的にトイレ行くからその間に頑張りや! と背中を押されたのは、待ち合わせ時間の30分前のことだった。ごめん、今のはそういう意味じゃなくて普通に足りなかった。あと、今二人きりにされても会話が全く見つからないから、今いなくなったら大変困る。ちょっと待ってほしい。
「良いよ、自分で…」
「まあまあええから。謙也は? なんか飲む?」
だから断ったのに、白石くんは勘違いをしたままだった。そして、そんなことより、話を振られた瞬間立ち上がった謙也くんの方に、唖然としたのだけど。
「俺が買ってくる」
「はあ? 今めっちゃ俺が買う流れだったやん」
「俺が買いに行った方が早いっちゅー話や!」
意味の分からない理屈で駆け出した謙也くんに、何も言うことができなかった。
「……やっぱり私、嫌われてるのかな」
「そ、そんなことないやろ……その、多分こう、せや、パシリしてカッコエエとこ見せたいだけや! 謙也アホやから」
そう思いたいけど。思いたかったけど。なんだか少しだけ、限界が近い気がする。
「ごめん、ちょっと、1人で考えてきてもいい? すぐ戻るから」
「……せやな。お手洗いならあそこが1番空いとるで」
「え、トイレまでチェックしてたの」
「当たり前やろ。トイレの待ち時間が1番無駄や」
一番近いトイレを指差して、けろっと言う様が酷く面白かった。
個室に鍵をかけて、座りこもうとした身体を、ドアに凭れ掛るだけに留めた。どれくらいそうしたか、分からない。10分くらいは経ったんじゃないだろうか。そろそろ戻らないと、心配をかけてしまう。ふう、と一息吐くと同時に、ポケットの中で携帯が震えた。
「……白石くん?」
『そろそろ落ち着いたか?』
「うん、大丈夫。ごめんね」
『謝らんでええよ。落ち着いたなら、はよ戻りや』
「うん」
電話を切って、外へ出る。日差しは相変わらずで、目眩がした。
2人が待っているのはどっちの方だったか。手の甲で日差しをカットしながら、ふらふらと歩き始めた。程なくして突然、腕を掴まれ、びくりと身体が跳ねる。振り返れば、
「……謙也くん?」
息を切らして、真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。
「茜。大事な話あんねん」
「白石くん待ってるから、後で」
「好きや」
好き。その言葉が鼓膜を震わせた。あっちのアトラクションの声も、隣を通る団体の笑い声も何もかも聞こえなかった。
「え、…っと……」
「俺、白石みたいに全然顔良くないし、全然ダメやけど、ホンマに茜のこと好きやねん。せやか、ら…………茜?」
真っ直ぐな瞳は、不安げに揺れた。どうして突然そんな顔をするのだ。答えは簡単で、どうやら私は泣いているみたいだ。
「あ、いや、すまん! 泣くほど嫌だったな! 忘れ」
「バカ!」
泣き腫らした目はそのままに、謙也くんの両頬を思いっきり引っ張る。
「い、いひゃ、茜……おま、」
「嫌じゃないの! ありがとう謙也くん、私も好き」
そう返せば、不安げに揺れていた目はぱっと見開かれた。たった数秒で、くるくると、色んな表情をする。ああ、謙也くんだ。そう思った。
「嘘やろ、ホンマに?」
「ホンマ」
「俺のこと好きなん…?」
「何回でも言う。好きだよ謙也くん。だから私が好きな人の悪口言うの、やめて」
「…………はい」
一体なにがどうなって、こうなったのだ。嫌われていると思ったら好きだと言われた。たった10分ちょっとの出来事に困惑する。まあ、深く考えてはいけない。結果オーライと思うことにした。
元の場所に戻れば、白石くんは口を尖らせて、遅いわ、と言う。彼にだけ見えるように親指をぐ、と立てれば、白石くんはふんわり、微笑んだ。