6

 ユシライヤはエルスを連れて、彼が無事に目覚めた事を報告しに王妃シャルアーネの元へ向かった。
 空席の間−−と揶揄される謁見の間への入り口を横切って、上階へと階段を昇る。その階の一番奥にあるのが王妃の部屋だ。

 扉の前に立つ騎士から入室の許可を得ると、こん、とあまり音を立てずにエルスが扉を叩く。

「母上、入るね」

 天蓋付きの寝台の上に王妃は身を置いていた。 彼女は息子の姿を見て顔を綻ばせる。付き添いの医師の男性に耳打ちし、彼には一時退室してもらった。

「今日は元気そうだね」
「ええ。貴方が無事だと聞いたから。弱っているところなんて見せられないじゃない」

 幼い頃から虚弱な体質であるシャルアーネの病状は、国王リオが行方知れずとなってから悪化の一途を辿っている。玉座の上が長期不在な状態であるのも、彼女が国政を担う体制が限界を越えている事を示す。
 エルスが言うように、シャルアーネの顔色は普段に比べて大分善い状態のようだ。
 それでもほんの短い間の面会だった。王妃は護衛騎士のほうにまだ話があるからと、自分の息子には先に廊下で待っているように言った。

 エルスが部屋を出ると、まるでユシライヤは取り残されたかのような気分に陥る。入室はしたものの、それまで扉の前で黙する事しか出来なかった彼女は、シャルアーネと視線が合って、重い口をようやく開いた。

「私が至らなかったせいで、エルス様を危険な目に遭わせてしまいました。申し訳ありません」
「何も無かったから良かったわ。もし、今度あの子の生命が脅かされるようであれば」

 途中で咳き込んだ王妃は、棚の上に常備してある冠水瓶から注いだ水を含んだ後で、途切れてしまった言葉を紡ぎ出す。

「貴女……あの場所に戻る覚悟をしておいたほうがよいかもしれないわ」


 待っていたエルスは、退室したユシライヤを急かすように彼女の手を引いた。

「ちょっと早いけど、食事行こうよ。今日はおやつ抜いちゃったから、すごくお腹空いてるんだ」

 何の話を母としたのかなどと気にする様子は見せなかった。ユシライヤの憂いをよそに、彼は少し強引にでも自分の側に呼び寄せる。それは初めて会った時から変わらない。
 彼が無事である事に安堵したのは母のシャルアーネだけではない。ユシライヤも同様である。
 出来る事ならば、その手を離したくはないと彼女は思った。


 繰り返される時針の周回を経て、一日がまた終わろうとしていた。エルスは従者が整えてくれた寝具の上に寝転がって、呆然と天井を見上げていた。振り返ってみれば、とても長い一日だったと思う。

 叔父とはあれ以来会っていない。今夜に限った事ではないが、夕食にも顔を出さなかった。
 ユシライヤに言わせれば「もっとおとなしくなってほしい位に元気」だそうだが、実際に会ってみない事には容態はわからない。本当なら今日中にでも彼に謝っておきたかった。

 何度目かの欠伸が出たので、枕元の照明を消し、就寝に努めた。
 しかし、眼を閉じると、今日起こった様々な出来事が頭の中に次々と蘇ってくる。
 ふと、鼓動を確かめるかのように自身の胸に手を当てた。
 もしかしたら、自分はまだ気を失っていて、夢でも見ているんじゃないか。次に目覚めた時は、やはりまだあの魔獣の側にいて、生と死の境を彷徨っているんじゃないだろうか。そんな良くない想像ばかりが廻ってきて、眠りにつくのが段々と恐ろしく思えてきた。

 突如、彼の背中に揺れが伝わってくる。その震動は、やがて彼の日常を形作るすべてのものを引きずり込むかのように大きくなっていく。それは、大地が蓄積してきた歪みというよりは、彼自身に起こったもののように感じられた。
 恐怖に耐えられず、エルスは悲鳴を上げた。

[ 7/143 ]

[*prev]  [next#]

[mokuji]

[Bookmark]


TOP





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -