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「……ノーア」

 サジャにそう呼ばれたのは、歳の頃は十代前半と思われる、この地では初めて目にする亜麻色の髪の少女だ。

「もー、どうしてニクスもサジャも、約束守ってくれないの? 御使い様が来たらノーアに教えて、って言ったのに!」

 頬を膨らませながら、ノーアが抗議する。しかし、ターニャの姿を改めて確認すれば、すぐに表情を綻ばせて彼女へと近付いた。

「ノーアが宿まで案内する! 良いよねサジャ」
「え、ええ……すぐ近くだし」

 そうと決まると、ノーアは嬉しそうに飛び跳ね、戸惑うターニャの手を引っ張った。

「えへへ、御使い様、とっても良い香りがするの! 海の匂い、草の匂い。不思議な香りなの」

 少女が示したのは、偶然にもターニャの宿す紋章、ルビとギラの色を象徴しているものだった。エルスは思わずその匂いを確かめたくなった。ターニャに近付くも、本人の拒絶よりも先にノーアに阻まれてしまった。

「宿までは御使い様はノーア専用だよー!」

 と、ターニャの意思とは関係なく、ノーアは『御使い様』の隣を占領した。少し遅れて続く三人と一匹は、呆気にとられたままで。

「す、すごい……。あいつがいると、ターニャが全然しゃべれない」
「他人事のように言って。まるで最初にターニャさんを見た時の、貴方みたいですよ」

 前を歩く二人の背中を見て、エルスとその護衛騎士はそんな事を思った。

* * *


 カルーヌの夜はとても静かだ。日中、あんなに賑やかだった生命のすべてが、休息を得る時間なのだ。
 他の仲間も寝静まった頃。ターニャはずっと訝しげであったファンネルと、陰に身を落とすようにして言葉を交わしていた。
 予言とは真実に存在するのか。それとも事情を知る何者かが伝達したのか。この旅の発端はミルティスの者にしか伝わっていないはずだ。しかし、ガーディアンがファンネルの許可を得ずしてまで他に広める理由も、それに応ずる利益も見付からない。敢えて挙げるならば、未だ音沙汰の無い、一人の女性のガーディアンがファンネルの意志に逆らいそうではあるが。

「……そういえば、マスターは今、何をしているのでしょうか」
「リナゼか。相変わらず一切の連絡も無いな」
「まだ信じられません。何故マスターが、私の元を離れてしまったのかが」
「お前の、ではない。ガーディアンそのものが、自分の運命が、あいつには受け入れられなかっただけだ。……それはともかくとしてだ。リナゼには俺たちの現在の動向が伝わってはいない。この村との関わりは無いだろう」

 そう、ターニャに呼応術を教えたガーディアンであるリナゼは、百年もの間ミルティスに姿を現していない。エルスに紋章が宿った事実すらも、彼女は知り得ない。

「それに、あいつとお前との契約は断たれている。誰とも繋がらないあいつには大した事は出来ん。何を考えていようが脅威にはならんだろう。現に警戒すべきは、リナゼよりもあの黒装束だ」

 ユリエ教。アストラへの船路を阻んだ術師は、それに属する者だとファンネルは見ている。彼はその教団に旧友の存在があった事を知ったばかりだ。ゼノンが何を企んでいたのかは解らない。知らないという事が、何よりも恐ろしい。

「まあ、そのゼノンも紋章に喰われた。主導者を失った集団に何が出来るかと言えば、底は知れているがな。俺が居るんだ。何より、こちらには適格な紋章の宿主が居る。警戒はしても、恐れる事はない」

 ファンネルはそう言うと、欠伸をして身体を丸めてしまった。彼はユリエ教に関しても脅威とは考えていないようだった。彼が同行しているなら、ターニャにとってもそれ以上の助力は無いだろう。だが、

「あの、創始者様。もしも……」

 ターニャに過ぎった不安は、ファンネルの耳に届かなかった。よほど疲労が溜まっていたのか、彼は寝息をたてていた。

 ゼノンは紋章に心身を奪われた。それならば、その紋章を宿しているエルスだって、現在その可能性は決して皆無ではない。急がなければ、彼も同じように−−


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