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暖風が葉を踊らせ、鳥が木々につられて歌うように囀る。疲れが溜まっていたという訳ではないが、正直ターニャの気遣いは有り難かった。今のユシライヤには、優しげな自然の諧調すらも煩わしく思えた。
仲間から離れたところで、木陰に隠れるようにして、苦しむ胸を押さえる。幼い頃から耐えてきた苦痛だが、ここ最近は発作の頻度が高い。悟られまいとしてきたが、もう限界だろうか。武器に手を掛ける。震えた手では、思うように剣を握れなかった。このような身体で、エルスの護衛はおろか、今後彼らとの同行が許されるのか。
『エルスさん、私はそんな貴方に道を示していきたい。もし貴方がそれを拒否しようと、私は手助けをしたい......それが、本当の意味で、貴方を護るという事だと思ったんです』
何故だか、ターニャがそう言ったのがふと蘇ってきた。ユシライヤは彼女の決意を目の当たりにした瞬間、言いようの無い衝撃を受けたのだった。それは、自分には考えられない覚悟だったから。
「私には......出来ない」
身体が弱っているせいか、心までもが脆くなっている。
「もし、エルス様に不要とされたら......拒まれてしまったら、私は−−」
「ユシライヤさん」
背後からの呼び掛けに、言葉を途切れさせて振り返る。
「ごめんなさい。ターニャさんは止めたんですけど、気になって来てしまいました」
それはエニシスだった。顔色からは、先程までの創傷に苦しむ様子は見られない。
「もう大丈夫なのか」
「はい。ターニャさんのお陰で」
「......そうか。彼女はやっぱり凄いな」
「ユシライヤさんこそ、大丈夫なんですか? 以前も同じように苦しんでいましたよね」
エニシスには感付かれているだろうと思っていた。ミルティスでアシュアに傷を看てもらっていた時、彼も側に付いていた。エルスにも知られていない背中の証を、あの時エニシスには見せたのだった。
「それって......レデの紋章が、不完全だからなんですか?」
彼女に宿る紋章を目にした時は、自分と同じだとエニシスも思った。だがエニシスは、ユシライヤのような発作に襲われた事はない。だから疑問だった。
ユシライヤもそれを悟った為に、今まで言わずにいた。彼と自分が、同じではないという証明になってしまうと思ったから。
「......ああ」
躊躇いがちに、ユシライヤはついに認めた。これでは、エニシスの苦悩をより深くしてしまう。彼に近付いたつもりが、遠ざかってしまった。
後悔したはずなのに、また過去と同じ経験をしてしまうのか。何故、自分は周囲と同じ歩幅で歩けないのか。共に居たいと思えた人物とすらも。
だが、その後に少年が浮かべた表情は、ユシライヤの想定とは少し違っていた。
「それを、ずっと一人で抱えてきたんですね」
そう言ったエニシスは、そっとユシライヤの手をとる。
「僕なんかが言ったところで、何にもならないかもしれません。でも、あなたが前に言ってくれた言葉は嬉しかった。だから僕も−−」
その先は、風に掻き消されてしまう程の小声だったか、そもそも言えなかったのか。
「……何?」
ユシライヤが聞き返した。だがエニシスは首を振って、
「……戻りましょう。エルスさんもとても心配していました」
とだけ言った。
二人が戻ると、仲間は確かに安心した顔を見せてくれた。苦痛は一時的に消え去っていた。だが依然として、彼の紋章の正体も、彼女が痛みから逃れる術も、自らが導き出すべき答えも、わからないままだ。
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