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 旅の人間に言わせれば、アストラは常春の地である。木々を覆う緑色は褪せる事無く、枯れ落ちる事も無い。一年中どの時期に訪れても変わらない、過ごしやすい気候なのだという。
 極寒のフリージアからさほど離れていない土地であるにも関わらず、気候が大幅に異なるのだ。理由としては、アストラのイースダインに在す紋章の影響が大きい。此処にはギラの紋章の力が色濃く現れている。
 生命の維持に欠かせない緑色の紋章、ギラ。ターニャがその身に宿す紋章の一つでもある。彼女が生まれ持ったその紋章の力は、自身のみならず他者をも癒す事が出来る。命さえ守られていれば、どんな傷をも完治させる。

 今、アストラの中心部カルーヌを目前にして倒れたエニシスを、山道の比較的安全な地帯で休ませている。カルーヌに到着するまでは歩かせるべきだとファンネルは急いたが、ターニャは道中で傷を負った彼の治療にあたったのだ。

「私の、せいだな......」

 ユシライヤが自らを責めていた。ここまでの道のりで何度か魔獣に出くわしたが、エニシスの負傷は、戦闘中に彼がユシライヤを庇った為のものだった。

「ユシャ、大丈夫か?」

 無意識的に紋章術を行使したあの時から口数の少なくなっていたエルスだが、船を降りてからはいつもの彼を取り戻したかのようだった。
 むしろ、その頃からはユシライヤの様子がいつもと違っていた。どこか遠くを見つめるようにぼんやりとした目で、声を掛けてもまともな返事が返ってこなかった。普段なら先導をきるユシライヤだが、ターニャに譲るかのように、自身は後を付いて来るような形をとった。魔獣との戦闘でもなかなか前に出られず、剣を握ったまま立ち竦んでいたりもした。目前に迫る敵に気付かなかったのか、後方に居たエニシスに庇われたことで攻撃をようやく避けられた。普段の戦闘では冷静である彼女が、らしくないのだ。

「ユシライヤさん、きっとお疲れなのでしょう。エニシスなら私が治しますから、大丈夫ですよ」

 横たわったエニシスの顔は、術者に委ねて安心しきっているかのように見えた。ターニャがユシライヤに休息を促すと、彼女は頷き、木々の陰へと隠れるように、一人歩いていった。
 心配を寄せるエルスの横で、ユシライヤの姿が完全に見えなくなったのを確認した後、ターニャが言った。

「エルスさん、申し訳ありませんでした」
「......え?」

 エルスには何の事だか判らなかった。

「貴方たちを、私たちの都合に巻き込んでしまいました。結果、貴方の辛そうな表情を、変わっていく貴方を......ユシライヤさんはきっと、見ていられないんだと思います。私たちは、貴方たちの日常を壊してしまった」

 それはターニャがずっと気に掛けていた事だ。オルゼとユリエの紋章。本来ならば、人間に宿してはならず、ミルティスで管理保管すべきもの。それらがエルスに宿ってから、彼の中で様々なものが崩れ落ちた事だろう。今までの認識が偽りであったかのように。現在のエルスの状況は、ガーディアンらの失態が招いたとも言えるのだ。

「謝ることじゃないよ。王都のことはターニャたちのせいじゃないし、でもターニャは頑張ってくれてるんだから」

 それでもまだ、エルスは立ち上がっていられる。彼女が、道を示すと言ってくれたから。ターニャだけではない。翻弄されるエルスに、ユシライヤもエニシスも、黙って付いて来てくれる。孤独ではないと伝えてくれる。

「はい。貴方を紋章の束縛から救い出すのは勿論ですが、それだけではありません。必ず、以前のような貴方たちを取り戻させます」

 ターニャは笑顔で宣言した。本気でそう信じているのだ。しかし、

「あいつはまた余計な責任感を......どうにもならない事にまで干渉するなと、何度言えば良いのか」

 木陰で丸くなっている獣型のファンネルは、呆れたかのような、諦めたかのような視線を、彼女に向ける他なかった。

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