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 まるで時が止まっていたかのような静寂に包まれた森に、悲痛な叫び声が響き渡った。
 それを耳にして意識を取り戻したシェルグは、現在置かれている自らの状況を瞬時に理解する。頬を撫でていたのは、愛しい人の手だ。

「ごめんなさい、遅れてしまったわ。どこも痛まない?」

 負傷した胸部を気遣うように立ち上がると、彼の視線の先、絶命した魔獣が俯せているのが確認できた。奴を相手に思わぬ失策だったが、辛うじて致命傷を回避した事と、彼女の施術のおかげで、受けた傷はほぼ完治したようだ。

 血溜まりの上に横たわる獣の遺体に近付き、周囲を確認する。
 もう一人の姿は、無い。

「ああ。何一つ問題など無い」

* * *

 目蓋が開いた時に世界がその眼に映るのを、エルスは「奇跡だ」と思った。彼は自室の寝台の上に仰向けになっていた。
 彼が目覚めたのに気付いて、従者が衝立の奥から姿を現す。

「ユシャ……どうして、ここにいるんだ?」

 訊ねられたほうは首を傾げる。

「自分がですか? 貴方の護衛騎士である他に、どんな理由がありますか」
「そうじゃなくて、なんで僕はここにいるんだろう」

 思い返せば恐ろしい記憶しか蘇らない。
 確かにあの時、魔獣に襲われたのだった。黒の鉤爪が突き刺さると、今までに感じた事のない凄まじい熱さが込み上げてきた。後方に均衡を崩した脚が、崖の上から滑り落ちてしまった。受けた傷のことも、重力に逆らえず身体が空を落下したのも、鮮明に思い出せる。
 だからこそ自分が何故無事でいるのか、どんな感情よりも、信じられないという気持ちが先立った。

「そうだ、兄上は……」

 勢いよく起き上がろうとするエルスを、まだ安静にしているように、とユシライヤが制止する。

「シェルグ様ならさっき女の人とほっつき歩いているのを見ましたけど。あの人が何か?」
「一緒にいたんだ。凄い傷を負って……。あれ、無事なのか?」

 二人の会話にはどこか食い違う部分がある。ユシライヤが説明を求めると、何から話したら良いのかと、エルスは自分に起こった事をすべて順を追ってユシライヤに明かした。
 叔父と二人、彼女に黙って外へ出たこと。魔獣との対峙のこと。シェルグに守られるだけで自分は何も出来なかったこと。

 それは彼女の想像を越えていた事実であり、とても受け入れ難いものだったが、ユシライヤには自分の見た真実を話す事しか言葉を返す方法は無かった。

「自分が見付けた時には、貴方は平地に倒れていました。特に外傷も無くて、眠っているだけのようだったので、ここまで運びましたけど」

 傷を受けたはずの胸部を、服の上からそっと触れてみる。痛みも傷跡もまったく残ってはいない。
 エルスにとっては彼女の言葉こそ真実味に欠けるとさえ思えたが、今の自分の状態を鑑みれば、それは虚偽ではないのだろう。そもそも彼女がエルスを相手に嘘をつく理由など無いはずだ。

 夢を見ていたのだろうか。戸惑いを見せるエルスに、「それにしても」と、彼女は言葉を続けた。

「自分という存在がありながら、貴方をそこまでの危険と恐怖に晒してしまうなんて。本当に……すみません」

 それを聞くまで、彼女が信じるかどうかもわからなかった。むしろ自分のほうが咎められると思い込んでいたエルスには、彼女の謝罪は意外なものだった。
 だから、逆に素直に謝ったのかもしれない。

「僕のほうこそごめん。兄上は一緒だったけど、本当は怖かった。僕は一人だったんだ」

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