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朝食と言うには遅すぎる時刻となってしまった頃。結局彼らは食堂には向かわなかった。エルスはその事を詫びながら、二人を連れて甲板に出た。自然の空気を欲したというところだろうか。
幸いなことに、段々とアストラの地に近付いている為に、気候も比較的安定してきていた。暖かな陽射しが与える朗らかさは、他の余計なものが混じらない分、随分と穏やかに身に染み渡るものだ。
だが、彼らの目前に待ち受けていたのは、想定とは違っていた。
そこに居た乗客が、ある者は肘と膝を下に付けた体勢で、ある者は走り回りながら、互いに情報を交換し、辺りを見回し動き回っていた。こぞってエルスの失くし物を捜索していたのだ。
その中に紛れて、ファンネルに周囲の匂いを嗅がせながら探し回るターニャの姿もあった。彼女は仲間がようやく訪れた事に気付いて、笑顔を向けた。
しかしエルスには、そんな彼女に返せるものを、持ち合わせていないのだった。
「見付かるわけない……。だって、本当はいつ失くしたのかもわからないんだ。もしかしたらあの時、海に落ちちゃったのかも」
彼らが何故、名前すら知らない他人の為に必死になれるのか、エルスには疑問だった。それも、あんな恐怖に襲われた直後だというのに。
この船が狙われた理由が自分に有るのだとしたら、自分のせいで彼らを苦しめたのと同じなのに−−。
「あれ……何年も前のやつなんだ。ボロボロになってたし。きっと、もう僕には要らない物だったんだよ」
自身にしか聞こえない程度の声量で、エルスは呟いた。
失くし物を探る人らの手が、彼の過去の記憶の欠片を、一つ一つ拾い集めてくれているかのように見えた。傷口に沁みるようで、痛かった。
エルスは目を逸らした。いっそのこと、捨ててしまった方が良いのかもしれない、今がその機会なのかもしれない−−そう思いかけたのを、偽りの決意だろうと周囲に見透かされるようで、彼らを見ているのが辛かった。
「どうして……もっと早く、気付けなかったのかな」
エルスは言葉の続きを飲み込んだ。僕のほうが捨てられていた事に−−と。
「お、おい! あれじゃないか!?」
乗客の一人の声で、エルスは意識をそちらに向けた。中年の男性が指差す先には、手摺にとまり羽を休める一羽の鳥がいた。他の乗客たちも彼の示す方向に視線を向けていた。その鳥は、何か光る物を嘴に咥えていたのだった。
そこまでは大人の身長三人分くらいの距離があった。もっと近くで確認しなければ、確かにそれだとは判らない。男性に言われるがままにエルスが恐る恐る近付くも、鳥は警戒して羽ばたき、既に自らのものにしてしまった宝物を放す事なく、飛び上がってしまった。
そして、為す術の無い人間たちにまるで見せびらかすかのように、上空を円を描くようにして飛び回る。男性がエニシスの持つ弓に気付いて、あの鳥を仕留める事は出来ないか、等と問うたが、エニシスは無闇に命を奪うことを躊躇った。しかし、いつまでもあの鳥がそうしている訳は無く、持ち去られてしまっては二度とエルスの手元には戻らない。
エルスはその様子を呆然と眺めていた。不思議と彼の表情に焦りは無く、ただ、上空を飛び回る鳥の姿を、見惚れるかのように見ていた。羨ましい−−と彼は思った。手にしたものを自分の物だと言える事が。それを手放さず、自由に羽ばたいていける事が。
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