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 日も暮れてきたので、エルスらは今晩、この屋敷で休むことになった。レーヴは豪華な夕食を用意してくれた。彼はあれ以来、感激のあまり泣き疲れて、食後すぐに眠ってしまっていた。
 朝の陽気が嘘であったかのように、今宵は冷え込むので、二人はもう寝具の中に入り込んでいた。だが、すぐには寝られそうにもなく、仕切り越しに言葉を交わした。

「ここは、私の父が生まれた家なんです」

 ユシライヤが言った。

「レーヴは父の世話役をしていたそうです。王都護衛軍騎士団員として父が名を馳せるのを、夢見ていたのだと言っていました。でも父は、自由な暮らしをしたいとかで、王都を出たそうです。父が亡くなったという知らせを受け取るまで、レーヴは父がどんな生活をしていたか、まったく知らなかったのだと言います」

 レーヴにとっては、ユシライヤは彼が遺した形見のような存在だった。

「いい人だよな」
「ちょっと表現が誇大過ぎますけどね。まあそれでも、彼の言葉は大抵がその通りだったりするんですよ」

 その口振りから、ユシライヤ自身もレーヴを信用しているんだな、とエルスは感じた。

「……でも、エルス様がまさかこの屋敷を選ぶなんて」

 エルスは息の詰まるような気持ちになった。この場所のことを覚えていたから良かった。でなければ、何処へ行っただろう。遠くには行けないのだとしても、王城にだけは帰りたいと思えなかった。
 何も答えないエルスの心情を読み取ったのかもしれない、ユシライヤは言葉を続けた。

「そういえば、さっきレーヴの言った事はほぼ真実だと言いましたが、これだけは訂正しないと、と思ったのですが」

 仕切りの向こうで、ユシライヤが寝台から身を起こした様子が、エルスにも判った。何やら荷物を漁る音が聴こえる。それどころか、彼女は仕切りを越え、エルスの目の前までやって来たのだった。
 寝間着姿を恥じらいの欠片もなく晒す彼女に、唖然とするエルス。しかしユシライヤが彼に見せたいのは勿論それではない。彼女の右手には、ベルダート王国騎士団員の証である、鳥の翼と剣が描かれた記章、左手には剣があった。彼女はわざと記章を床に落として、剣の柄頭で力いっぱい押し潰してやった。ユシライヤが剣を退けると、脆い素材で造られた記章は、粉々になっていた。

「彼は、自分が王国や王城に仕えているのを誇りに思っていると言いました。でももうこれで、自分にはその理由や権利が無くなりました」

 エルスは不安げにユシライヤを見つめる。彼女ですら、自分の従者という立場ではなくなってしまったら、ベルダートで生まれ育ってきた今までのすべてを、失ってしまうかのように思えた。
 ユシライヤは怯えるエルスの手を取った。

「貴方がたとえ、ベルダートの王位に戻る事はないのだとしても。自分が王国の騎士ではなくなったとしても。自分は、貴方の護衛役である事に変わりはありません」

 最初の誓いの時にそうしたように、改めて従者は、主の手の甲に、そっと唇を落とした。
 エルスは思わず、その手を勢いよく引っ込めて、頭まで掛け布団の中にくるまってしまった。今更こんなことをされるとは思わなかった。−−今更。そう、彼自身も、無意識のうちにユシライヤが側に居ることを当たり前であるかのように感じていた。しかしそれは思えば我が儘だった。自分を守ろうとしてくれる人、自分を仲間だと言ってくれる人。それらはエルスから孤独感を拭い去ってくれる、数少ない存在だった。

「さあ、ゆっくり休んだら、命令でも何でもしてくれれば良いんですよ」

 ユシライヤはそう言って、仕切りの向こうへ戻っていった。

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