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 傷付いたユシライヤを抱えエルスが駆け込んだのは、王城の医務室でもなく、街の診療所でもなかった。普段からエルスの世話で王城に籠りがちなユシライヤにも、唯一外に出て顔を見せる場所があると言っていたのを、思い出したのだった。
 それは貴族街と呼ばれる、上流階級の者たちの居住区にあった。外壁は白で統一され、屋根は薄い青色で、周囲の煌びやかな建物に比べると、落ち着きのある佇まいの屋敷だ。
 エルスが敷地に足を踏み入れると、すぐ扉が開いた。出迎えたのは白髪の男性。少年の背中に抱えられているユシライヤを見ると、

「ユシライヤ様ぁっ! どうなされましたか!」

 と、血相を変え近付いてきた。

「あ……あの、倒れているのを、見付けて……」

 嘘である事がばれてしまわないかと、しどろもどろでエルスは答える。男性はそれに関しては気にしていない様子で、ユシライヤを預かると、思っていた程の重傷では無さそうな事に胸を撫で下ろした。

「ふむ、事情はよく存じませんが、ユシライヤ様を助けて下さったこと、感謝いたします。ところで、貴方は……」
「ええと……友だち、だよ」

 自分の顔を知られていない事に、今更エルスが驚くことは無かった。ここへ歩いてくるまでもそうだった。エルスが屋敷への道を尋ねた人物は、途中までユシライヤを代わりに抱えてくれた親切な若い男性だったが、ユシライヤを騎士団の人間だとは知っていても、エルスの事は判らないようだった。また、王妃の崩御について立ち話をしている女性達からは、エルスが歩いているその横で、『王子エルス様に続いて、王妃様が逝去なされるなんて』と嘆きの声も聞こえた。
 それが民の認識だと、エルスは確信に近いものを得た。この国では、自分はもう死んでいるものとして扱われているのだ、と。

 屋敷の主だろうか、男性はレーヴと名乗り、エルスをユシライヤの命の恩人だと敬い、もてなしてくれた。外傷は少なく、レーヴ自身にでも出来る手当てで済んだと言うのだから、エルスはそう呼ばれるのが大げさだとは思った。

「本当に、何物にも変え難い幸せでございますよ。ユシライヤ様は、この屋敷にはたまにしか、顔を見せては下さらないものですから」
「そうなんだ」

 と、エルスは知らないふりをした。

「ええ。なんでも、王国と王城に仕える事を誇りに思っていらっしゃるのだとか。護りたいと思える人が出来た、と仰ってましたな。……いや、こんな事を申すと、ユシライヤ様がもし聞いておったら、恥ずかしさのあまり、火を吹いてしまうでしょうなあ」

 レーヴは笑った。彼の言葉の一つ一つが、エルスには突き刺さるかのように感じた。

 ふと、エルスは部屋の奥の方に見えたものを、レーヴに知らせた。別室で休ませておいたユシライヤが、驚異の回復力を発揮して、無言で立っていたのだ。

「レーヴのじいさん。誰が火を吹くって?」
「ユシライヤ様、お目覚めになられましたかあ!」

 恥ずかしがるというよりは、怒っているというようにエルスには見えたが、ユシライヤが感情を露に元気でいる様子は、見ていて嬉しかった。
 ユシライヤは、その部屋の中にいつもは居ないはずの存在を認めて、驚くようにその名前を口にした。

「……エルス様」

 名を呼ばれた少年は、慌ててユシライヤの口を手で塞ぎ、首を横に振ってみせた。
 従者は状況が理解できないまま、しかし彼に従うようにした。幸いにも−−と言って良いのだろうか、レーヴには何も聴こえていないようだった。

「彼が、ユシライヤ様をここまで運んで下さったんですよ。しかしユシライヤ様、あなた様にお友達が出来る日が来ようとは。このレーヴ、感激で涙が……前が見えませんぞ」

 レーヴの眼からは本当に雫がこぼれていたが、彼は何故だか、ユシライヤの怒りを助長させる言葉しか言えないようだった。

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