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久しぶりに自室へ帰ってきたエルスは、先程は自分からあんな事を言ったにも関わらず、ユシライヤを部屋には入れずに、「一人にしてほしい」と訴えた。そうすれば我慢していた感情が溢れ出すのではないかと思ったからだ。しかし、結局シェルグが迎えに来るまでの間にも、エルスの頬に伝うものは無かった。
叔父と二人で外を歩くのは、あの日以来だ。エルスは今でも鮮明に思い返せる。恐ろしい魔獣と目が合ったこと。シェルグがそいつに深い傷を負わされたこと。エルスは恐怖と心苦しさとで、居たたまれない気持ちになった。
「以前、あの煩い護衛騎士に何も言わず、二人でこの森を歩いた事を思い出すな」
と、シェルグの方も当時の出来事を重ねていたらしく、そう言った。彼があまりにも優しい眼差しを浮かべて話すので、エルスは自分の悲しい顔を彼に向けるのを申し訳なく思った。
「まあ、お前は覚えていないかもしれないが、実はその時が初めてでは−−」
「ねえ、兄上」
既にシェルグの言葉はまともに耳に入らず、彼を遮るようにエルスが顔を上げた。当時、何も出来ず怯えるだけだった自分を守ってもらった事を、謝ろうとした。
しかし、シェルグ自身はそれに関して何も覚えていないとでも言うような、朗らかな表情をエルスに向けた。だからエルスは、わざわざその笑顔を崩す事は出来なかった。
「ううん。ごめん、何でもない」
王の墓は、初めて訪れる者にも一目でそれと判るように、大理石で出来た門が構えていた。それはベルダート王国の歴史よりも、遥かに古さを感じさせた。荘厳と言うよりは、湿っていて少し暗く、薄気味悪いとさえエルスには感じられる場所だった。
「義姉上が眠っているのは、一番奥だ」
並ぶ墓石を前にしてシェルグが示す。エルスが思わず目を背けたくなるような場景を、シェルグが先行し、エルスはその後ろを付いていく事になった。ふと傍らを見ると、手入れされた墓石のすべてに、美しい花が手向けられていた。
しばらく歩いたところで叔父の足取りが止まり、習うようにエルスも脚を止めた。
砂岩で出来た墓碑には、第十三ベルダート王国王妃シャルアーネ=フェル=ベルダート、ここに眠る−−と書かれていた。その名を囲むように常緑樹、王冠、飛び立つ鳥の姿が彫られていた。鳥が翼を拡げる様は、ベルダートの国章に似ている。
周囲の墓碑には、必ずしもそういった装飾が施されている訳ではなかった。シェルグが言うには、ここはベルダートだけの王の墓ではないらしい。
「手を合わせろ。そして彼女に安らかな眠りを祈れ」
シェルグに言われる前から、エルスは心の中で実行していた。苦しみの中を生きてきた母には、せめてゆっくりと休んでいてほしいと。彼女の手を煩わせるような、心配させるような生き方を、これからの自分はしてはいけないのだと。
エルスは目を閉じて記憶をたどる。母と交わした言葉の数々。それらは彼の心に傷を抉らせてゆく。
母に最後の別れを告げ、再び歩み出そうと、エルスが目蓋を開けた瞬間だった。偶然かそれとも必然だったのか、彼の瞳に信じられないものが映ってしまった。
一番奥と言われていたはずのシャルアーネの墓石の隣に、寄り添うようにしてもう一つ墓が建てられていた。ベルダートの国章を表すかのような鳥と、折れた柱の装飾。そこに記されていたのは、
「……ぼ、僕の……」
見間違いではない。エルス=ベルダート、そう彫られていたのだ。
エルスは思わず、傍らに立つ叔父の腕を、助けを乞うかのように掴んだ。シェルグは弱々しい甥の頭を撫で、「さあ、帰ろう」と促した。
「怖がる事はない。全ては誤りなのだ。真実は隠されてきただけだ。……そうだ、お前が生きているという事実はな」
エルスが叔父の語調の変化を感じ取り、立ち止まった時には、慕っている彼の腕に握られた短剣が、閃いていた。
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