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 −−世界を形作るのは、不可視的な神ではなく、日常に存在するすべてのものだ−−歴史の浅い小国ではあるが、かつての王が民に向けたその言葉は、ベルダートの人々に多大な影響を与えた。
 フリージアとは異なり、オルゼやユリエといった固定の神を信仰しないベルダートは、祈りを捧げる対象は唯一つのそれではない。苦しい時、飢えを感じた時には、神に乞うのではない。自らを立ち上がらせている大地、無限の希望を抱かせてくれる蒼空、間違いを正してくれる人間たち、数えきれない程の存在が一人一人の人間を支えている。それらすべてに感謝せよと。
 孤独で閉鎖的なベルダート王国だが、民はその名を胸に抱く事を誇りに思った。王妃自身は身体の事で国を救えないと嘆いていたものだが、その存在があるだけで彼らの心は癒えたものだ。国民は王妃を心から愛していたのだ。

 王城に程近い森の高台。王が治めるべき国の景観を一望する場所。
 歴代の王に見守られるようにして、王妃の葬儀は、厳かに、静かに行われていた。棺が運ばれてくると、参列者−−希望する者は多く居たが、この狭い丘へ登って来られたのはほんの一握りだ−−のすすり泣きがより響いた。
 王族の代表としてシェルグが、国民の代表として一人の男性が、それぞれ棺の前へ出て王妃への感謝と愛を告げると、その場に居合わせた者は、こぼれ落ちるものを堪えながら祈りを捧げた。エルスは他の国民に紛れ込むようにして立っていた。彼だけではない。王とその妃の他の血縁者も、ユシライヤや騎士団長ロアールも、位などは関係なく一人の人間として祈りを捧げている。それこそが、争いの無い平等な世界を望んだ、ベルダートへの敬意でもあるのだ。
 哀悼の意を示され、王妃はまた別の場所へ運ばれようとしていた。ここから少し下った所に、王の墓がある。彼女の身体は、ついに地の下へと葬られる事になるのだ。
 民は再び涙を流し、その場を去っていく。王の墓には、王族しか足を踏み入ることが出来ないとされているのだった。エルスの知らない顔の王族が、ぞろぞろと棺と共に歩いた。しかし何故だかエルスはその後ろに付いていく事が出来なかった。
 呆然と立ち尽くすエルスを、後方から叔父が横切る。その時、彼の声がエルスの耳に微かに届いた。

「後で、二人きりで王の墓へ足を運ぼう」

 エルスが返事をしないうちに、彼も行ってしまった。王妃の棺も人々の姿もそこからは見えなくなり、エルスとユシライヤだけが残った。
 しかし、従者ですら彼に声を掛けるのは躊躇われた。どんな慰めの言葉も、彼を癒すものにはならないだろう。

「どうしてだろう」

 沈黙を破ったのはエルスだった。その時にようやく、ユシライヤは彼の顔を見る覚悟ができた。視線の先には、彼の後ろ姿しか映らなかったが。

「みんなのように泣けないんだ。悲しいんだけど、寂しいんだけど、でももっとそれよりも、違うことばかり頭に浮かんでくる感じでさ」

 従者は黙って聞いていた。それは何なのですか、という質問もせずに。
 ふと、エルスが振り返る。

「ユシャは……僕の護衛だ。だから、ずっと一緒にいてくれるもんな」

 彼はいつものような笑顔だった。頬には涙の跡も無い。ユシライヤには、それが余計に悲しく見えた。しかし、沈黙のままでいる訳にもいかなかった。彼に言葉を返さなければ。

「それは質問のつもりですか? もしそうなら、今更何なんですかって答えますけど」

 −−と。

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