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現在では立ち入る者がごく限られている地下通路は、領地争いがあった頃は要人の逃走経路として使われていた。だからこそ、敵勢から発見されにくいようにと、木々に覆われた場所へと繋がるように造られたのかもしれない。
湿気た通路から抜け出してきた二人は、澄んだ空気を自身の中に取り込んだ。
見渡す限りに広がる深緑は世界の広さを物語る。エルスにとってこの先は未知そのものであり、先が見えないのは不安でもあり期待でもある。
その不安を拭い去るのは彼の叔父で、彼はエルスの一歩先を進み、先導してくれた。その右手は腰に提げた剣に添えられたまま離れない。
「耳障りだと思う程に聞いている事だろうが、既にこの近辺にも魔獣が棲息している可能性はある。私から決して離れるんじゃないぞ」
「うん。全然怖くないよ。兄上がいるから」
そうは言ったものの、現にもし背後から襲われたらと思うと、エルスは自分の後ろばかりが気になっていた。
普段は人が通らない為に整備などされてはおらず、二人は道ならぬ道を進んだ。暫く歩いても獣などに襲われる事は無かったが、エルスは結局のところ景色を楽しむ余裕が無いままに、叔父に付いていく事しか出来ずにいた。
やがて開けた所に辿り着き、二人は足を止める。エルスは思わず「わあっ」と感嘆の声を上げてその先へと駆けていった。
そこからは王都が一望出来る。随分高いところまで登ってきていたようだ。
先程までの不安は嘘であったかのように、エルスは嬉々としてその景色を眺めている。足場が崩れたら危険だからあまりはしゃぐな、と叔父から戒められる程だ。
しかし当のエルスは、一緒に眺めたいからと言って彼を自身の隣に招いた。
歴代の王は、位を継承する直前になると、ここから見える自国の景観を目に焼き付けてきた。善意で守られてきた大地の自然を肌で感じ、生活の中に潜む悪意を想像しながら、上に立つ者としての責務、その誓約を揺るがないものにするのだと言う。
「お前が産まれるより少し前の事だ。リオに連れられて私もここへ来た。国というものは、人間一人が抱え込むには大き過ぎると思ったものだ」
僅か十歳の頃から背負ってきた思いを、シェルグは初めて他人に話した。
彼にすら大きく感じるものは、城の中しか知らないエルスにとってはどれ程のものになるのだろう。
王城を出てどれだけの時間が経った事だろうか。暫くそうしていたが、話の途中でふとシェルグのほうが口を噤む。
彼は何やら背後を気にし始めた。
「兄上、どうしたの?」
エルスの問いに視線だけで応えると、シェルグは静かに武器に手を添えた。
「声を出すな。相手に無防備だと報せるようなものだぞ」
相手−−と言うからには、彼は何かの気配を感じ取っていたのだった。
それを聞いたエルスはきょろきょろと辺りを見回すが、何も捉える事は出来ない。しかしシェルグのほうはその相手を目で追っていた。彼の視線の先は、まさに二人が辿ってきた方角だ。
茂みの中を進んでくる影を捉え、エルスには下がっているように言うと、そのままシェルグは剣を抜き、対象へと向かっていった。
陽の光に反射して閃いたシェルグの剣が、相手の身体を斬りつけた。
シェルグが対峙するのは、彼程の背丈がある獣だ。熊に近いようだが、緋色の眼、逆立った銀色の毛並み、そして何より異様に長く伸びた鉤爪が、普通の獣ではない事を示している。
異端の獣は創傷に呻き声を上げながら、尚も攻撃の意志を緩めない。
エルスは言われたままに離れたところでその様子を見ていた。怯えは震えとして表れる。
今、彼の目の前で繰り広げられているのは、互いに情けなどかけてはいられない、生命の行方を二分する戦いなのだ。
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