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「また私の知らぬガーディアンか。ただ増え続ける存在……哀れなものだな」

 詠唱を中断させたのは、見知らぬ男。モニカと名乗った少女と同じ、刺繍の施された黒の装束に身を包んでいる。彼もまたユリエ教徒、それも聖職と呼ばれる位に立つ人物だ。
 しかし、ターニャが身構えたのはその理由からではない。

「私達の……何を知っているのですか」
「さてね、何一つ理解していない。創始者などと、御大層な呼称を付けられた愚かな男に従う、忠実で、そいつ以上に愚かで、しかし逃げ場など与えられない、惨めな存在という事くらいだ」

 フレイロッドの言った“あの男”とは、間違いなくこの人物であろう。彼は知りすぎている、ミルティスの者以外には、決して知られてはいない事を。

「ユシライヤさん、エニシス。エルスさんを連れて、今度こそ逃げてください」

 ユシライヤは彼女の指示通り、エルスをこの場から逃走させるのを最優先とした。相手の力量を推し量った結果だ。全員で相手をしたところで敵うはずがない。男の殺気は、まるで可視化出来る程に、空間を染め上げているのだ。
 しかし、エルスが二つ返事で従うはずはない。

「ターニャ達を置いていける訳ないだろ!」

 ユシライヤに腕を引かれ、ターニャとの距離が離れていく中、彼女の元へ戻りたい一心で、エルスは従者の制止を振り切ろうとする。

 ターニャはフレイロッドを抱えたまま、そして男を視界から外さないように、ゆっくりと後退していく。接近を許さず、いざとなれば反攻の術が届く範囲に距離を保つ。

 男は手を下さず、その様子をただ見ていた。未熟な者の足掻く姿を傍観する。それを愉しむように。だからこそ、相手が何もせずただ逃げていくだけでは退屈なのだ。

 彼女の胸の石が、そこにあるはずの無い黒色を示していた。闇色の光は、霧のように彼女の目の前を覆って、近い未来を悲観させた。
 空気が幾つもの渦を巻く。黒い渦はやがて獣のような型を成し、まるで意識を持ったもののように動き出し、標的へと降り注ぐ。
 術者の男にしてみれば、好奇心がゆえの、ささやかな手土産のようなものだ。
 しかし、詠唱を必要としない彼の術に、ターニャは抵抗の意思を見せる契機すら逃してしまった。数歩、後ずさる事しかできない。せめて、抱えた者を庇うように、自分が彼の盾になる事しかできない。

 しかし、ターニャの身体は痛みを訴える事はなかった。
 彼女が捉えたのは、逃がしたはずの、護らなければならないはずの人間の姿。

「そんな顔しなくたって、良いんだ。だって、僕の身体……平気じゃないか……」

 黒い獣に貫かれたエルスの身体は、ターニャに覆い被さるようにして倒れ込んだ。

 そこに響いたのは、顔に愉悦を浮かべた男の耳障りな笑い声だ。

「そうだ。私が欲しいのはこれだ。賢明な膜に閉じ籠る愚かな者より、透明なままの愚かしき者のほうが、飽きが来なくて良い」

 その男に−−あるいは望まぬ事態を止めきれなかった自分の腕に−−向けた怒りは、ユシライヤから冷静を奪った。エニシスが止めるのも聞かず、彼女は無謀にもたった一本の剣を携えて闇の中へと疾った。

「成る程、そうして消えていく事を望むのか。些か急ぎすぎではあると思うが、死こそが生の象徴である事には、概ね同意する」

 男は構えもせず、近付いてくる者をただ待っている。しかし、ターニャには彼の隙が見えなかった。
 これ以上無関係な人間を巻き込まない為に、彼の意思を自分に向けさせようと、ターニャは術の詠唱を始めた。


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