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呼応石が反応を示した先は、思いもよらぬ場所だった。黒色に囲まれた外装。街の象徴とも言える大聖堂である。
ベルダートは無宗教の国であるので、広い敷地に構えられた厳かな教会と、その近辺を歩く信者の姿を見るだけでエルスは圧倒されてしまう。大きな存在とはそれだけで抗えず、そして近付き難いものだ。王族もそれと似たようなものだが、なにせ彼は実感が薄い。
加えて、信者が揃って身に纏う黒という色は、他者を飲み込んでしまう力を持つ。つまり何かを隠すかのようにも見えるのだ。
ゆえに疑惑が向けられるのは必然なのか。此処に捕らえられた者が居る、とターニャは確信にも近い思いを抱いた。
「中へ入るには、手続きが必要なのでしょうか」
「……あなたはまたそんな事を」
間の抜けたターニャの疑問に、ユシライヤが溜め息をついた。
しかし聖堂ともなれば、人目を憚っての進入は不可能に近い。洗礼を受ける為に並ぶ信者の列は、数える暇がない程に刻々と長さを増していった。その人間の多さにエニシスは怯え、ユシライヤの後ろに隠れてしまっている。シェリルの繁華街はベルダート程の賑わいは無いと感じていたが、集まる人間の数だけを考慮するならここは別だ。
洗礼という儀式は、朝昼晩、一日の決まった時間に三回行われるらしい。言わずもがなその時間帯には敷地は人で埋まるだろうし、入信を望む者やその気のない一般の民をも快く受け入れる体制で、常に複数の教役者が留まるという。
統治者へよりも、神への信仰が篤い−−そういう人間も少なくはないこの国で、教会周辺で訝しい眼を向けられるのは流石に避けたいところだ。
かと言って、あの長蛇の尻尾に付く気はなかった。特にターニャは前日から彼への不安ばかりが募っていて、今すぐにでも乗り込みたいという思いが強い。
目の前に佇む目的地へとなかなか立ち入る事の出来ない四人に、声を掛ける者があった。
「先程からご覧になられてますけど、いかがされました?」
黒服に身を包む、信者であろう少女だ。歳は十代半ばだろうか。目から下を布で覆っているので、表情は読み取りにくい。
「うん、どうやって入ろうかなって思っ……」
「国外から来たんだ。ここの教えは素晴らしいと聞いて、興味があってね」
エルスを遮るようにユシライヤが言うと、少女は胸の上で両の掌を合わせ、一礼した後に言った。
「それは嬉しいですね。わかりました。あなたたちを先に通して頂けるよう、特別に許可しましょう」
「ほんとかっ!?」
「申し遅れました。私、モニカはこの教会ではそれなりの権限を持ちます。こちらが証ですよ」
彼女は裾で隠れた手首を露にし、そこに付けられた装飾をさらけ出した。中央の円形部分には黒色で複雑な紋様が描かれていて、彼女自身の名も刻まれていた。改めて見ると彼女の装束にも金の刺繍が施されていて、他の信者のものとは明らかに違う。更には道行く信者がモニカの姿を捉えては礼をしていくので、どうやら少女の言う事は嘘ではなさそうだ。
早速モニカに連れられ、聖堂の入口へと一行は進んだ。彼女が先に中へ入り、ほんの数分待つと、モニカと別の聖職者が現れ、エルスらを導いてくれた。
「それでは、くれぐれもお気を付けて。大丈夫です。我らが神ユリエ様は、あなたたちにも平等に愛を与えて下さいますよ」
後退したモニカの言葉に、ターニャは振り返る。
しかし、もう後へは戻れなかった。急に襲った彼女の新たな不安は、モニカの穏やかな眼で見つめられようと、拭い去る事は出来なかった。
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