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 扉を開けると、からん、という鈴の音と、「いらっしゃい」と店主である中年男性の声が彼の耳に届いた。
 しかしロアールは物を購入しに来た訳ではない。店主の男性は、何も言われず姿を見ただけで、彼がベルダートの騎士団長だという事と、彼がここに来た目的を理解した。「ちょいとだけお待ちください」とその場を離れ、ほんの数分で彼は人を連れ戻ってきた。
 連れられてきたその女性は、ロアールが待ち合わせていた人物である。とても容姿端麗な女性だ。彼女の出身が雪国フリージアである関係もあるのか、美しさの中にどこか氷の冷たさを感じさせる。
 ロアールと女性は店主に一礼を済ませ、店を後にした。

「ご挨拶が遅れました。私がベルダート王都護衛軍を指揮しております、ロアール=イスナーグと申します。フィオナーサ妃殿下、お迎えにあがりました」
「あら、妃殿下だなんて。気が早いわね。でも私、そういう男の人は嫌いじゃないわよ」

 からかうように彼の頬に指を押し当てて、フィオナーサは愉しそうに笑った。
 そういう対応に慣れていないロアールは、その手を払い除ける訳にもいかず、ただ頬を染めながら耐えていた。

「あの……彼らの事ですが」

 ロアールがそれを口にすると、その続きも聞かないうちに、フィオナーサは彼の頬に当てた指を、そのまま彼の口許へと滑らせる。

「ええ。しばらく自由にさせてあげましょう。そのほうがきっと、あの子達の為にもなるから」

 彼女の笑顔は、何かを含んでいるようにも、純粋なものにも見える。彼女の感情を汲めるようになるには時間がかかりそうだ、とロアールは思った。

* * *

 エルスが王城から消えたその日から、幾つかの週が時を巡っても、シャルアーネはずっと寝台の上に臥せったままだ。
 医師によれば、うなされた後に必ずと言って良いほど、息子の名前をうわ言のように繰り返すのだという。
 先程シェルグが彼女の手を握っても何も応えなかった。その時は近いだろう、と彼は悟った。

「エルス様のお姿をご覧になられれば、あるいは……」

 直属の医師はそう言った。彼は何年も彼女を看てきている。その経験から、不安定になりがちな彼女の心身の安定を、エルスの存在で保てている−−彼がシャルアーネの命を長引かせているという気がするのだ。

「しかし義姉上も、奴の身体の事は把握しているだろうに。何をそんなに不安がるのか、理解できんな」
「恐れながら、そういう意味で申し上げたのでは……」
「解っている。奴がここに戻るかどうかという話だろう? だが、それこそ杞憂に過ぎないと言っている。奴らが他に留まる場所など存在すると思うか?」

 医師が何も言い返さないので、シェルグは満足したように笑みを浮かべる。

「まあ、それも……ごく僅かな間であろうがな」

 あと数日も経てば、自分に忠実な騎士が戻ってきてくれるだろう。自分を慕ってくれる人間と、自分に従わずにはいられない人間を連れて。
 そうなれば、こんな些細な気遣いなど不要になるのだ。城の最上階がこの部屋であるべきだと、誰が決めただろうか。

 彼が部屋を出ていった直後、シャルアーネは虚ろな記憶の中で、精一杯の声を振り絞って言葉を発した。ここ最近で医師が耳にした中で、一番長い言葉だった。

「エルス……あの子が、あなたを……連れて、いったのね……やはり、あの子は……あの場所に……」

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