24

 お尋ね者が一人の男によって捕らえられたらしい、という誰かの噂は、瞬く間に他へ伝っていって、多くの人間をその場に寄せ集めた。
 円を描くように民衆が囲むのは、派手な服に身を包んだ柄の悪い男と、彼に背を捕らえられたユシライヤ、彼女と対面するように立つベルダートの騎士団長ロアール、そのすぐ後方で従う彼の部下だ。

「抵抗の意思を見せない事だ。これを使わずに済む事を……俺も望もう」

 淡々と忠告をするロアールが手を掛けるのは、腰の長剣。未だ鞘に納められてはいるが、牽制の為であればたとえ相手が部下とはいえ、剣を向けるのに躊躇いは無いだろう。
 まさか聞こえていない訳ではないだろうが、ユシライヤはさも面倒臭そうに舌打ちして、自らを縛り付けようとする男の鳩尾に肘打ちした。
 崩れ落ちる男を心配し民衆が集まるが、ロアールの視線はユシライヤから片時も離れない。

「使えば良いじゃないですか、こんなに一般の民が集まるこの場所で」
「ならば……その前に一つだけ伝えておこう。あの御方の慈悲であると」

 その言葉にユシライヤは一瞬驚きの表情を見せたが、間を置かずに「馬鹿馬鹿しい」と苦笑した。

「その自信過剰な気取り野郎に、余計なお世話だ、って伝えておいて貰えませんか」
「……戻るつもりは無いという事だな」

 その空気に呑まれてしまったのだろう、部下は指揮官の後方で立ち竦んで、瞬きも忘れてしまっていた。彼が回収した手配書を差し出すと、ロアールは眼瞼をすぼめた。
 一陣の風が吹いたかと思われたその刹那。宙を舞った数十枚の紙、その内の一枚の中央に描かれたユシライヤの顔の絵を、ロアールの持つ剣先が貫いていた。

「これは紛い物だ。陛下の筆跡とは異なる。すべて処分しろ」

 振り払われて、その紙切れは破れて舞い落ちた。
 彼の部下は、思わぬ一閃に恐怖を覚え、手を震わせる。彼の目には署名が偽物かどうか判別が付かなかったが、指揮官に短く敬礼をして、地上に散らばった紙をすべて回収した後、街のあちこちを見渡しながら南側へと向かっていった。

「おい、どういう事だ……偽物だって?」

 苦痛に顔を歪めながら、男はロアールに問う。

「言葉通りだ。陛下の許可を得た正式な物ではない。名を騙った者こそ罰せられるべきだ。或いは……それがお前か」
「じょ、冗談じゃねぇっ!」

 ロアールは男に視線を移しただけだが、まるで剣でも向けられたかのように、彼は怖れおののいてその場から逃げ出した。

 すると、次第に民衆も興味をよそに向けて、それぞれがまた別の目的へと散っていく。
 ついに二人の他には誰の姿も見えなくなった。

「貴方も同じですか」

 と、静まり返ったその場所で、ふとロアールが問う。
 ユシライヤは周囲を見回す。それが自分に向けられたものではないのは確かだが、他には誰も居ないものだと思っていたからだ。
 すると、建物の陰から、問われた方の人間が恐る恐る姿を現した。ユシライヤは思わず、そこに居るべきではない彼の名を呼んだ。

「エルス様……どうして」

 エルスはまずユシライヤに視線だけで謝って、すぐさまロアールに返答した。

「ごめん、ロアール。今だけは戻れないんだ。でも、絶対に帰るから」
「……そうですか」

 暫しの沈黙の後、ロアールが言葉を続けた。

「ならば、陛下と妃殿下にそう伝えておきましょう。くれぐれもお気を付けて」

 そう言うと、あまりにもあっさりと、ロアールはその場を去っていった。

 その影が完全に見えなくなると、エルスと同じ所で隠れていたターニャとエニシスも現れ、ユシライヤの無事を確認しては安堵する。

「放っとけなかったんだ。だってユシャは僕の護衛騎士だから」

 エルスがそう言うと、ユシライヤはようやく緊張から解かれた顔を見せて、「意味が解りません。逆ですよね、本来は」と呟いた。


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