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 そこから数十分歩いたところで、景色が変わり始めた。国境を意味する、高く聳え立つ石壁。円型に拡がるそれに囲まれているのが、ヴェルムの街だ。

 この街の入口ではまず出国証明書を渡される。ベルダート側からこの街に入ったので、その証明書はフリージア側への入国証明書にもなる。
 ヴェルムがどちらの国にも属さない独立した街となったのは、今から二十数年前。領地を奪い合う関係にあったベルダートとフリージアが、この地で終戦を迎える事となった。 現在のベルダート王妃シャルアーネは元々フリージアの貴族だったが、この時にリオに見初められたという。

 ユシライヤは、香水の匂いがするから嫌だと言いつつも、女性から預かった頭巾を身に付けていた。男達が落としていった手配書の絵が、彼女の特徴を捉えていて、とても良く似ていたからだ。
 検問を何とか回避出来たのは奇跡だろう。「いつも何かを睨んでるような眼が特に似ている」とエルスが言うと、まさに彼女のその視線が鋭く突き刺さって、彼は失言を謝った。

 街を見回せば、至る所にそれと同じ物が貼られていた。ユシライヤという一人の人間に、大衆の瞳孔が向けられる事になる。厄介な事になったものだが、一つ疑問があった。何故対象がユシライヤなのか。王都としては、エルスの捜索を第一に優先させるべきではないのか。
 しかしそれは彼らにとって、ある意味では好都合でもある。

「自分一人が捕まれば済むと言うなら、その方が良いでしょう」

 ユシライヤはそう言った。

「別行動をとれば良いんです。こちらに眼を向けさせれば、あなたの出国が人目に付かないかもしれません」
「でも……!」
「自分とて捕まりたい訳ではありません。すぐに追い掛けます。ですから、ターニャさん達と先にフリージアへ向かってください」

 彼女自らエルスの元を離れる意思を見せたのは、今までに無かった。名前を呼べば何時だって側に来て、従ってくれていた。それは従者というだけでなく、自分を慕ってくれているからだとエルスは思っている。
 だからこそ、今の状況で彼女の決断を拒否するのは裏切りになると思った。不安が残りつつも、彼は頷くしかなかった。


 彼女を一人残して、三人は街道を北へと進んだ。国境の街に相応しく、様々な人間が行き交い、雑踏に紛れて溶け込んでしまえば、案外目立たないものだった。
 しかしエルスの足取りは重く、何度も立ち止まってしまう彼に、いたたまれなくなったターニャが声を掛ける。

「やはりあの時、報告をするべきではなかったのですか?」

 彼女が言うのは、紛れもなく王城を黙って出た時の事だ。

「あなたたちが信用して下さったように、王都の方にも事情を理解して頂ければ、隠れる必要など無いのです」
「無理だよ。それが母上に許されるんだったら、僕は今まで、何度だって外に出られてるはずなんだ」

 エルスが産まれてから間もなく下したという王妃の決断は、彼が成人を迎える十八の齢が訪れようとするこの年まで、一度も揺るがない。たとえエルスの身に命の危険が迫っていると言おうが、それを提示したのが天上人だとすれば、彼女は聞く耳を持たないだろう。それ程までにベルダート王国は−−いや、王妃は異端の者を拒絶しているのだと、王城に仕える者は熟知している。
 エルスに会うまでに、ターニャを警戒の目で見る者など幾らでもいた。しかし、彼女に争いの意思が無いと解ると、彼らは抱いていた嫌悪を露にする事は無くなった。だから彼女は信じてほしいと願った。それでもエルスがそこまで言うなら、彼の母親はどこか特別なのだろう。

「では、あなたにとって彼女という存在は、私達よりも、あなた自身よりも、あなたの行動において大きな意味を持つお方なのですか?」

 ターニャのその発言が、エルスの歩みを停止させた。


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