17

 暫くの間感じていなかった強い眠気と食欲が、森の外に出た少年を襲った。
 エルスらに連れて来られたトアの村で目覚めると、空腹を満たしに訪れた大衆食堂で、周囲の者が唖然とする程の量を彼は欲した。その後は少年の服を新しく見繕う為に様々な所を回った。あまり目立ちたくないと少年が言ったので、派手な物を好むエルスの意見は一切受け入れられず、ターニャとユシライヤで彼の物をすべて選んだ。
 四人となった一行の列の最後尾で、ユシライヤが財布の中を確認しては溜め息をついた。

「お前、ちっちゃいのによく食べるんだな」

 先程まで少年の向かい側に着席していたエルスが言う。彼が食べ終えても、その何倍もの量の皿が、少年の目の前に積み重なっていた。
 エルスは誉めたつもりだったが、その言葉は少年の気に障ったようで、彼の歩行が止まった。

「きっとお腹が空いてたんでしょう。ねえ君、それ、ぴったりだね。似合ってるよ」

 ターニャが指したのは、少年の帽子だ。ベルダートの領地において紋章を露にするのは、自ら危険に飛び込むようなものである。額のそれを、「包帯なんかで隠すよりは良いだろ」と、ユシライヤが彼に買い与えた物だった。
 彼らは優しく接してくれる。しかし少年にとっては、失った記憶の中にしか存在しない世界が広がっている訳で、そこに容易に入り込む事など出来なかった。笑顔は刹那のうちに消えていく。常に何かに怯えるように、そして疑うように、彼は視線を下ろして、訝しげに周囲を見回すのだ。
 少年が目覚めても、彼の大切なものは目覚めない。彼の喪失の悲しみを、時の流れは解決してはくれなかった。

「そういえばさ、お前のこと何て呼べばいいんだ?」
「名前……ですか」

 エルスに尋ねられて、少年は悩んだ。自身の名前すら彼の記憶には残っていないが、今まで困ることは無かった。必要のないものだったからだ。

「だって呼びづらいからさ。考えておいてくれよ。明日の朝までに!」

 少年がうろたえても彼は構わず、「出来るだけ短くて覚えやすいのにしてくれよ」と付け足して、駆け出した。その後ろで、「勝手に何処へ行くんですか」と、ターニャとユシライヤが慌てて追従する。
 似たような境遇だとエルスは言った。しかし、彼は少年には無い何かを持っている。名前を忘れてしまった少年は、その中で唯一、彼に追い付こうと走り出す事すらしなかった。


 森を隔ててはいるが王都からさほど距離が無いにも関わらず、トアはのどかな村だ。比較的歴史の浅い村であるせいか、騎士団の干渉が弱く、警備が甘いとも言える。この村の住人には、騎士の存在は珍しいものとしか映らない。むしろ、自分達の生活とは無縁だとすら思われている。
 故に、エルスが王族である事はおろか、ユシライヤが王都の騎士である事も村人には気付かれていないようだった。異質な彼女の赤髪は彼らの目を引いたが、遠方からの旅人だろうと思われたに違いない。エルスらにとっては、都合の良い他にはなかった。
 身を隠さずとも宿を借りる事は容易いものだった。男女それぞれに分かれて二つの部屋をとった。ユシライヤは「四人で一部屋で良い」とか、「エルス様と自分は同じ部屋が良い」と言い張ったが、エルスが彼女を止めたのだった。

 さすがに歩き疲れて、エルスは寝台の上に寝転がると、間もなくして寝息をたてる。
 しかし少年の方は、月が雲に隠れても、じっと窓から外を眺めていた。彼の目線は、王都の方角、つまり森のほうを向いていた。

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