15
力を失った剣撃は、少年の眼下から頬をかすって頭上までの、短い斜線を描くに過ぎなかった。
はらり、と彼の頭部を覆う白い布が裂かれて落ちた。露になった少年の額には、彼の頬を伝うものと同じく赤色の、文字のような模様が刻まれていた。
隠されていた異端者の紋章。それを目にしたユシライヤは一歩後退する。その腕は少し震えていて、次の一手を下そうとはしなかった。
少年のほうも思わぬ一撃に我を取り戻したのか、彼の気が緩んだと同時、エルスらを縛る木の根も力を失って、地中へと戻っていく。霧が晴れたかのように周囲が明るくなった。
解放されたターニャは、倒れているグランドルのほうへと急いだ。彼は意識を失っていたが、幸いにもまだ息があった。彼女が手を翳すと、みるみると傷が塞がれてゆく。
その様子を見た少年が、ターニャも自分と同じ天上人と呼ばれる存在である事に気付いた。
少し遅れて、エルスが従者と少年の元へと駆け付ける。
「良かった、みんなが無事で」
彼が少年の頬を掠めた傷を拭ってやろうとするも、差し出した手は拒絶された。
少年は、ユシライヤの攻撃から身を呈して庇うかのように抱いていた魔獣の亡骸を、今もずっと離さない。しかし、彼らがしてやれる事はもう何も無かった。ターニャの治癒術をもってしても、亡くなったものを甦らせる事は出来ないのだ。
エルスが「ごめんな」と言ったのを、少年が自分に向けられたものであると気付いたのは、少しの間を置いてからの事だった。
「あ……あなたが謝る事じゃない、です」
「そいつ、大切だったんだな」
そう言われて、ようやく少年は獣を両腕の束縛から解放させる。横たわる姿は、永遠の安らぎを求めているかのように見えた。もう苦しまなくて良いのならと、少年はその上に土を被せてやって、死を現実として受け止めた。
すると彼は、覚えている限りの過去を語りだした。
初めにこの森で少年を見付けたのは、幸いにも同族だった。しかし彼は、思うように能力を操る事が出来ない少年を、自らの集落へ受け入れようとはしなかった。森に迷いこんだ他の人間は、少年の額の証を見るだけで恐れたり、襲い掛かったりした。
同族からも、異種族からも、迫害される存在だ。少年は森で一人生きる事を選んだのだった。
「キュピィは、僕の唯一の友だちでした。僕の居場所なんて無い。受け入れてくれる人はもういないから」
「なんで? 森の外には、いるかもしれないだろ」
エルスは事もなげにそんな事を言う。怪訝な表情を浮かべる少年に、エルスは自らの左腕の袖を捲り上げて見せた。彼の二の腕に、うっすらと浮かび上がる白色の複雑な模様。傷跡ではない。少年には、それが何であるか、すぐに解った。
つい最近までエルス自身も気付けずにいたオルゼの紋章は、ターニャにその存在を指摘されてから、そこに現れ始めていた。
「最初の一人、僕がそうだよ。僕とお前って似てるのかもな」
嘆くでもなく、自ら孤独を選ぶでもなく、エルスはそう言って笑った。少年が隠し通そうとしたものを、彼は自ら明かしてきたのだ。
対する少年は何かを言おうとしたが、そのまま力が抜けたように崩れ落ちる。エルスがなんとか身体を支えると、彼が寝息をたてている事に気付いた。
少年を抱えたまま戸惑うエルスに近付いて、口を開いたのはターニャだった。
「やはり、レデ族の子だったんですね」
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