14
涙で視界がぼやけても、影像は次々と頭の中を過っていく。少年の記憶は、この森で拾われたところから始まる。それ以前の事は覚えていない。自分を最初に発見した人間には結局受け入れてはもらえず、この森を一人でさ迷う事になった。
ある時、一匹の獣が他の獣に襲われているのを見掛けた。助け出した獣は眼の色が緋色で、他とは違っていた。恐れられるその外見とは裏腹に、大人しく怖がりで、その後も決して他の獣と戯れる事は無かった。
少年は、その愛らしい鳴き声から、獣にキュピィと名付けた。キュピィは孤独な少年にとって、唯一の友であった。
突然の強風に木々がざわめく。急に夜が訪れたかのように、辺りが暗く染まった。鳥や動物といった、他の生命の気配が消えた。
同時に、ターニャの胸に提げられた透明色の石が、僅かながら光を放った。ほのかに赤色を帯びた光は、ほんの数秒でその輝きを失う。
「レデの……紋章術の反応? まさか、あの子は……」
ターニャが少年に見向いた時には、もう遅かった。
大地が轟き、あらゆる所から何かが地中から勢いよく突き出した。それは木の根。姿を現したかと思うと、瞬時に成長し、まるで蜘蛛の巣のように地上を張り巡らせる。
蔓延る根から逃れる事が出来ず、その場の人間は全員が−−否、獣の死体を抱きかかえて踞る少年を除いて−−木の根に脚を絡め取られてしまった。尚も成長を続けるそれは、対象の全身の動きをも封じ込めて締め付ける。
騎士グランドルは、この森の噂を仲間と話した事を思い出す。犠牲になったであろう人間の話をして、自分ならそんなへまはしない、と笑っていた。苦しみにもがく姿から、その時に張られた虚勢が一気に崩れた。
少年が、男の目の前に佇んだ。抵抗出来ない彼にその視線が突き刺さる。魔獣が受けた痛みをそのまま返すかのように、地中から新たに現れた木の根が、その身体をも突き刺した。
しかし、少年の怒りの矛先はあらゆる方向へと向いていた。抑えきれない感情を放出すると、共鳴するかのように木々が蠢く。
「何が悪いんだ。他とは違う事が、弱い事が、生きている事が」
誰に問い掛けるでもなく、少年はエルスらのほうに近付いてくる。見境の無くなっている彼を、どうやって止められるだろう。
腕の自由を奪われているターニャは、防ぐにも術の発動が出来ずにいた。彼の正体にいち早く気付けなかったのを悔やむ。
「彼は、オルゼン−−あなた達の言うところの、天上人です」
異端と呼ばれる存在は、潜むように暮らすものだ。その少年が森を出なかったのも、そういう理由からなのだろうとエルスは思った。
「あの子の怒り、悲しみといった感情が、この森を暴走させているのかもしれません」
彼が森の中で生きていくうちに蓄積してきたもの。そのすべてが解き放たれているような、黒い風が覆う。
「じゃあ、あいつを止めれば治まるんだな」
そう言ったのはユシライヤだった。彼女は自らの力で、まとわりつく木の根を引きちぎる。
答えを聞くまでもなく、武器を携え、ただ一点に少年を見据えて、荒ぶる森の怒りを薙ぎ払い、駆けていった。
拘束を解かれた事に動揺し、少年は脚を止める。自分に向かってくるのが敵意だと理解した。しかし、既にその時には彼女が目前に迫っていた。もはや対抗する術は無い。
その先の光景を想像し、見たくはないと思ったエルスは、一歩も動けず何も出来ない自分を悔やみながら、思わず「やめてくれ」と叫んだ。
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