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 並べられる言葉は淡々と。その表情に、微かな愉悦も現れない。

「それから……ユリエの器よ。一切の抵抗も有りませんでしたが、本領を呈する事すら不可能とは。何故そのような者に父さまが及ばなかったのか、まったく理解出来ません。次は……必ず、あなたを捕らえます」

 転移術の門が開き、刹那にしてモニカは姿を消した。まるで闇の中に入り混じるかのように。その姿を掴める者は、居ない。

 闇の淵源は去った。しかし同時に、一つの灯火も消え失せた。影も灰も残らない。今となっては、少年の存在は、彼らの記憶に刻まれているだけ。

「……ユシャ。お前だけでも無事で……良かった」

 エルスに声を掛けられても、ユシライヤは地の上に座り込んだまま。意識をどこかへ置いてきてしまった。
 かつて彼女はエルスの為になら、他の何者の犠牲も厭わないと誓った。だから剣を握った。しかし、エルスが側に居るのに、エニシスの犠牲で結果的に彼は守られたのに、彼女は現実を、今を受け入れることが出来ない。それは、彼女が心の奥底で、捧げられるべきは自身だけだと思い込んでいたから。携えた武器は、見せ掛けに過ぎなかったのだ。

 エルスが待ち続けていると、彼女から、震えた声がようやく絞り出される。

「私が……! どうせもう長く生きられない私の方が、犠牲になるべきだったんです! 側に居ても……何の役にも立たない。貴方に望まれなければ、自分なんか……!」

 彼の顔もまともに見ていられず、ついに首を下ろす。砂を掴んだままの手の甲に、雫が落ちた。

「ごめん……ユシャ。傷付けるつもりなんて、なかったんだ」

 エルスは腰を下ろして、彼女と同じ視線に立った。

「ユシャも僕も……同じだったんだよ。ユシャだって僕に、護ってほしいなんて言ってない。でも僕は、ユシャが苦しんでるのは嫌だし、なんとかしたいと思う」
「……エルス様」
「だから……今まで、お前が僕の分まで背負ってきたもの、返してくれ」

 突き刺すようなその瞳に、ユシライヤは捕らわれて動けなかった。今、自分の前に居たのが本当にエルスだったのか、疑わしかったから。

 返答を待たずにエルスは立ち上がる。黙したまま、惨劇があった何も残らないその場所を見据えた後、風向きに逆らい西進した。

「行こう……ユシライヤ」
 
 ターニャが差し出した手を握り返すのを、ユシライヤは躊躇っていた。だからターニャは、彼女の腕を強引に引いた。
 ようやく地に足を付けたユシライヤにファンネルが近寄る。

「小娘。身を滅ぼすくらいなら、残された時間を俺に預けろ。紋章の制御方法を教えてやる」
「……!」
「ただし、直ぐに純血のオルゼンと同等に扱えるとは思うな。それこそ砕身の覚悟を要する」

 ユシライヤは迷わなかった。

「私はもう誰も……大切な人を、失いたくない」

 そう言って、改めてターニャの手を取る。同じ道を歩むと決めた。彼の残した足跡が、風で消し去られる前に。
 夜明けには未だ遠い。彼らが進む陰りの地上で僅かに輝くのは、天上から零れ落ちた石屑だけだった。

 ファンネルは少し遅れて歩む。先導する彼の背後に重なるのは、かつての友の片影。

「ゼノン。俺は……お前を侮っていた訳ではない。むしろ逆だ。過去の俺は、お前への信頼を完全には捨てきれていなかった」

 相容れない関係だった。だが認めている部分もあった。だからファンネルは最後、非情にはなれなかった。
 あれから幾度、月陽が巡ったか。創成した機関で、数多の生命の流転を目にしてきた。有すると同時に廃してきた。

「お前達には……悪いことをした。俺が、総てを引き受ける……その時が訪れるまで、どうかお前達は……」

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