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 与えられたのは、家族が今も寝室として使っている部屋。床に敷かれた布の上で眠るので、寝台は用意されていない。相部屋となった彼女からはなるべく距離をとり、エニシスは部屋の隅で、壁を向いて横になった。何せ彼女の寝姿を見ながらではまともに眠れる気がしない。今晩、エニシスはユシライヤと二人きりなのだ。

『進行に憂いを抱える者を、同行させるつもりはない』

 ファンネルがそう言ったのが切っ掛けだった。反対したのはターニャだ。彼女は一時でもユシライヤの側から離れるのを認めなかった。しかしユシライヤの方がターニャを拒んだ。

『あなたが救うべきなのはエルス様でしょう。私なんかじゃない』

 突き放すような、剣に代わるような物言いをして。
 結局、エルスら三人は別の宿を探しにここを出ていった。彼らにはここで脚を止める理由は無い。恐らく明朝にでもイースダインへ向かうだろう。このまま合流しなければ、もう会うこともないかもしれない。

 この場所を、旅の終着地とするのか。エニシスの本心は、秤に掛けるまでもなかった−−この状況に置かれるまでは。ファンネルに従ったのは、今、自分の存在を求めてくれる場所が此処だけだからだ。
 会話の無いまま過ぎていく時間。瞼を閉じれば遮るものは無いのに、エニシスはなかなか寝付けない。

「ここの記憶は無いのか?」

 突然の質問だった。振り向けば、彼女は上体を起こしていた。

「……はい。何一つ引っかかるものが無いので……初めての光景にしか見えないんです」
「記憶が戻った訳じゃないんだ。その状態で決断するのも苦しいだろう」

 気遣ってくれているのが判る。けれどこういう時の対応をエニシスは知らない。何年もの間、人間との関わりを絶っていた彼には。

「……なら、エニシス。リーベリュスという人を、覚えているか?」
「……!?」

 −−胸を抉られるような感覚だった。知らないはずの名前が、記憶の奥底で響くような。

「私の母の名前なんだ。もしかしたら、どこかでお前と会っているかもしれないと思ったんだが」

 少年は、言葉を紡げない。
 ユシライヤはその反応を、何も知らないゆえのものだと受け取り、視線を落とした。

「ご……ごめんなさい」
「いや、いいんだ」

 エニシスは、ユシライヤと初めて出会った時、彼女が「両親の記憶がほぼ無い」と言ったのを思い出した。父親は生まれる前に亡くなった。母親は生死すらもわからないと。

「もし、母さんが生きていたら……会えるだろうか。会いたいと、思ってくれているだろうか」

 ラードラには、帰りを待っている人間が居た。その事実が、彼女の過去を抉ったのかもしれない。

「……余計なことを訊いてしまったな。忘れてくれて良い」

 しばらくの沈黙。エニシスはその静寂を破った。

「やっぱり、僕はここには残りません。ユシライヤさん、僕がリーベリュスさんを一緒に探します」

 ユシライヤは目を丸くした。
 
「だって、生き別れの娘との再会を望んでいない訳、ないじゃないですか」
「気持ちは嬉しいけど……私には、手掛かりが何も無いんだ」
「僕もそうでした。でもここに辿り着きました。だから今度は僕が、あなたの手伝いをしたいんです。だから……その、絶対にまだ、死んじゃったりしないでください」

 ユシライヤは返答に詰まった。しかし少年の潤んだ瞳と強く握り締めた手を、拒むことは出来ない。

「……私の事ばかり心配して。もっと自分の心配をするべきなのに。お前は本当に……それで良いのか」

 エニシスは頷いた。ようやく出来たのだ、彼女の側に居られる理由が。だからもしすべてを思い出したとしても、彼はきっと同じ道を選んでいただろう−−

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