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「……それじゃあ、人違いなんじゃないか?」

 エルスが言うと、反論したのはロナだ。

「あたしが実の子の顔を見間違える訳ないよ! ずっと……待ってたんだ。毎日、この子を思いながら……」

 すすり泣くロナには悪いと思いつつも、エニシスも自分が『ラードラ』と似過ぎている別人なのだと思った。経過した時間だけが理由ではない。この家に自分が生まれるはずはないのだ。何故なら彼は、紋章を持つ『天上人』なのだから。

「……馬鹿だと思うかい? それほど今のあんたは、いなくなってしまったあの時の弟とそっくりなんだ。それから、その額の印さ」
「!」

 隠しているはずの証を見破られて、エニシスは思わずルディアから距離をとった。

「それがあれば、身体の成長は止まるんだろう? ヴァストーク公だってそうじゃないか。あの人も、過去の記憶が無いって言うしさ……」

 ヴァストーク。エルスらをこの場所まで送り届けてくれた人物がその名を名乗っていた。彼こそが紋章を宿した若き君主だったのか。どうやら紋章の存在は、この地に浸透しているようだ。
 エニシスも彼と同じように、紋章の影響で記憶を失い、長い間さ迷い続けた−−ルディアの言うように、その可能性も有り得なくはない。

「ああ、ラードラ……! きっと辛い思いをしたんだろうね……怖かったね。でも、もう良いんだ……我慢しなくて、良いんだからね……」

 そう言って再びエニシスを抱きしめるルディア。その胸の中には、確かな温もりがあった。


 ルディアとロナは、エルスらの分まで食事を用意してくれるそうだ。『ラードラ』が落ち着く時間が必要だろうと、今晩の宿泊にこの家の一室を貸してくれるらしい。まだ記憶が戻らない彼には、自分たちより旅の仲間と一緒に過ごしたほうが気持ちの整理がつくだろうから、というルディアの気遣いだった。
 床に敷かれた布の上に並べられたのは、ラードラの好物だというものばかり。まるで、かつて家族で過ごしたあの頃まで、彼女らが時針を巻き戻したかのようだった。だが、二人がエニシスを歓迎しても、当人は浮かない顔をしている。

「どうしたんだ?」
「……ごめんなさい。ちょっと混乱しているみたいで」

 堪らず声を掛けたが、エルスにも察することは出来た。状況の変化に追い付けないでいるのだろう。彼自身の記憶が戻った訳ではないのだから、当然だ。
 だからエルスはこんなことを言った。

「大丈夫だよ。きっとここにいれば、ゆっくりでも思い出せるよ」
 
 その言葉が、周囲の眼差しが、エニシスの思惑と相反しているとは思わずに。

「……エルスさんは僕に、ここに留まってほしいんですね」
「えっ……」
「もしかしたら、僕じゃない……本当のラードラが、どこかにいるかもしれないんですよ」

 エルスは辺りを見回す。エニシスは小声だったので、周囲には聞こえていないようだった。

「でも……それじゃあさ。お前は嬉しくないのか?」

 黙したままのエニシスに、まるで追い打ちをかけるように。

「帰れる場所があるって。待っててくれた人がいるんだってことが」
「エルスさん……」
「……ごめん。僕とお前は違うのに」

 エルスが視線を反らして、二人の会話はそこで途切れた。
 改めて床上を眺めてみると、食べきれないと思う程に多種の料理が並べられていた。香辛料と香草の良い香りが食欲をそそる。エニシスはとりあえず一番近くの皿を手にして、少し口にしてみた。美味しいと思った。けれど、記憶を揺さぶられた訳ではなかった。

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