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陽光と共に、幾つかの植生と日干し煉瓦の建築物が遠目に見えてきた。慣れない移動手段で疲労していたせいで、人々の暮らしを想像できる景観に覚えた安心感は、相当なものだった。
ヴァストークは、エルスらを目的地まで送り届けると同時に踵を返した。彼は何も要求しない。エルスがしばらく見つめていると、
「心配は要らんよ。休憩をとりながら無事に帰るさ」
とだけ言って、行ってしまった。
リクリスに着いて初めに目を引いたのが、豊かな色彩を持つ円錐型の建築物だ。最初に駆け寄ったのはターニャだった。彼女に釣られるように、エルスらもそれの前で脚を止めた。
大人も見上げる高さの石壁に、迷路のように複雑な直線の図柄が描かれている。近付けば、それは彩色された石などの小片が埋め込まれているのだと判った。大地の上にも同様に、色鮮やかな装飾が敷き詰められていた。それぞれ色調の異なる六つの円の模様が、中央の円錐を囲むように並んでいる。
ターニャはそれを美しいと感じるよりも、違和感を覚えた。
「あんた達旅人には珍しいだろう?」
エルスらがしばらく立ち留まっていると、集落の住人であろう男性が声を掛けてきた。
「こいつぁ不思議な力で動いてるみたいなんだ。君主様が授かった石のお陰なんだってなぁ」
彼によれば、外の人間は大抵ここで脚を止める。その外観からは彩りの為の建造物にも見えなくもないが、集落の生活に無くてはならない水汲み場なのだそうだ。ここに集まってきた住人は皆、自らの上半身を隠してしまう程の大きな粘土製の壺を抱えている。
「やはり、紋章の力が作用していたのですね」
ターニャが思わず呟いた。呼応石が僅かにこの場所に反応したと感じたのは、思い違いではなかった。
「紋章? ああ、そういや君主さまにはそんなんがあるって噂だな。何せあの人、ずっと小せぇままだもんなぁ」
男性は豪胆に笑いながら腰を下ろし、円形の床に壺を置いた。すると、どこも手で触れずとも、まるで壺の中から湧き出るかのように水が溜まっていった。
その様子を不服そうに見つめるファンネル。彼が足早にその場を立ち去ろうとしたので、慌ててエルスらも付いていった。
「……あんた、ラードラ?」
その背中を見て呟いたのは、水汲みに来ていた中年の女性。
一行が不思議に思って振り返ると、彼女はある一点を見据えながら徐ろに近付いて来る。立ち止まったのは、エニシスの前。少年をまじまじと見つめれば、その瞳からは涙が溢れた。
「やっぱり、ラードラじゃないか!」
たじろぐ少年と、構わず彼に抱き付く女性。エニシスは何も紡げないまま。
「ラードラ、家に帰ろう。母さんにも早くあんたの顔を見せてやりたい」
女性は半ば強引にエニシスの腕を引いて歩き出した。突然のことで状況が理解できずにいたが、喜びに満ちた彼女を止めることは、エルスには出来なかった。
* * *
女性の名前はルディア。その母親の名はロナといった。一家の主であったグーナスは数年前に世を去り、ロナは脚を悪くした。決して裕福とは言えないが、彼女らは希望を捨てずに生きてきた。生き別れになった家族がいつか帰ってくる場所を、失う訳にはいかなかったから。
そしてそのラードラが、二人の前にようやく現れたのだ。
エニシスは躊躇いながらも、自分が記憶喪失であること、そして二人に関する記憶も無いことを告げた。身に覚えのない歓迎に耐えきれなかったのだ。
それを聞いたルディアは、一度は落胆した表情を見せるも、
「……良いんだよ。あんたは何も悪くないんだから。また会えただけで充分だ」
と、エニシスの頭を撫でる。
「実を言うとね、諦めかけてたんだ。あれからもう、20年近くになるね……」
ルディアの言葉に、エニシスを始め一行は唖然とした。
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