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 今からおよそ50年前のことである。孤島ギーザにて火龍が復活したという報せが、イスカ連邦に属する13の公国に戦慄を疾らせた。
 かつてこの地に訪れた英雄の手によって亡骸にされたかと思われていた龍は、長い眠りに就いていただけだった。火龍は不死の存在だったと、その姿を目にした誰もが絶望に焼き尽くされた。龍の吹かせた炎の風は多くの命を奪っていった。
 幾人もの手練れが傷一つ付けられずに火龍に倒されてゆく中、立ち上がった者がいた。その名はオレルク=マーディン。彼の刺突が、龍の眼を奪った。不死と思われた火龍は彼の手によって息絶えた。しかしオレルクもまた、全身を強く打ち目覚めなかった。イスカに現れた二度目の英雄は、龍と相討ちとなったのだ。その後、彼の出生地である港町は『マーディン』と名を改められた。
 オレルクが『永劫の英雄』と呼ばれたのには、彼に救われた者の敬意の他、もう一つの理由がある。埋葬を待って安置されていた地下から、彼の遺体が無くなっていたのだった。この不可解な出来事に、民は驚いたものの怖れはしなかった。彼は不死龍の血を受け継いで生き返り、別の地での争いから人々を救済する為に飛び立っていったのだろう、と。

* * *

 他の国を訪れた際には、イースダインに留まる紋章の影響が気候にも色濃く現れていたので、レデの紋章が留まると聞いたイスカは相当暑いものなのだろうと、エルスは覚悟していた。しかしいざ船から降り立ってみると、想像していたよりも大分過ごしやすいのだとわかる。
 船に同乗していた旅人の話によれば、広大な国土を持つイスカでは気候の地域差が大きい。この辺りでは現在雨季にあたるらしいが、それでも月に数日しか雨が降らないと言うので、エルスは驚いたものだ。彼が見渡す限りの晴天に海鳥たちが心地よく飛び交っているのだから、それは確かなのだろう。

「ユシャ! すっごく綺麗だぞ、まわり見てみろよ!」

 港町マーディン。蒼天と青海に映える白壁で統一された町並みは、この場所に風景画を描きたいと言った建築家の手が加えられたものだ。商店通りを歩けば、色鮮やかな陶器や絨毯、本日陸に揚げられたばかりの新鮮な魚介が多く並ぶのが見える。客が長く居座って店主と言葉を交わすのは、値段交渉の為か世間話か。風に煽られ揺れる波とは相反的に、町には穏やかな時間が流れていた。

 ユシライヤとはまともに会話が無かった。『護ってほしいなんて言ってない』、あの時エルスがそれを言ったきりで。だからこそ彼はここで声を掛けたのだったが、

「……ええ」

 とだけ返した当の彼女は、視線こそ周囲を向いていたものの、その瞳には何も映していないかのようだった。
 気まずくなってしまった。エルスは一旦彼女に踏み込むのを止めて前進した。数歩遅れて歩くユシライヤの横にはターニャが、後方にはエニシスが付き添っている。現在彼女の発作は治まり安定しているようだが、原因を取り除けない限り何も解決した訳ではない。再び症状が現れた時にすぐに対応できるようにと、ターニャはずっと彼女の側を離れずにいる。何故だかエルスは、それを見ているのも辛かった。

「あれが英雄像か」

 耳元で呟いたのは獣型のファンネルだ。不意に肩に乗ってきたので、エルスは一瞬身を竦める。

「呆けているんじゃない。お前とあいつは違う。為すべきことを履き違えるなよ」

 そう言い終えてすぐに駆けていってしまうので、エルスも止む無く付いていくことにした。

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