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 アストラの船着場で、エニシスが意識のないユシライヤを抱えてきたあの時。
 船の乗客に医者は居ないかと尋ねながら、出航を待ってほしいとエルスは乗員に頼んだ。しかし多くの乗客に影響が出る為、船の時間を遅らせる事は出来なかった。ユシライヤの快復を待って、次の便でイスカへ向かうべきか−−エルスがそう考えていた時、ターニャが歩み出た。

「移動中でも治癒術は可能です。私に任せて下さい」

 彼女の存在を忘れていた訳ではない。だがエルスは、今ターニャに頼るのには気が引けた。何故なら、

「お前こそ、消耗が激しい状態だろう」

 ファンネルの言うように、度重なる術の行使でターニャは見るからに疲弊していたからだ。

「平気です。彼女の危機を救えないままでは、私も前へ進む事は出来ません」
「……そのせいで、お前が倒れたりなどという失態を晒すなよ」

 ファンネルは決して良い顔をしなかったが、直接禁じた訳ではないので、ターニャはユシライヤの看病を決めたのだった。

 −−それからもう、二晩が過ぎようとしていた。ユシライヤはまだ、意識を取り戻さない。波に揺られながら、時の流れに抗うことなく船は進行していく。
 エルスは一人、甲板に出ていた。視線は深い海の底に落としたまま。そうすれば、溢れた思いも海の中に溶かしてしまえそうだったから。他に当たるところが無くて、手摺を掴んだ手に力が込められる。
 情けない。自分のことばかり気にして、ユシライヤを気遣わなかった。思い返せば、時にこういう事はあったのだ。それでも彼女はその度に、これからも何度だって再起する。それが当たり前なのだと、エルスはどこかで思い込んでいた。彼女は、病気か何かを抱えていたのだろうか。そんな話は聞いたことがない。だがもし、それを今まで隠されてきただけなのだとしたら。

「僕は……本当はユシャのこと、何も知らないんじゃないか……?」

 ふと、背後の音に気付いて、ようやく顔を上げる。エルスを案じたエニシスが探しに来てくれたらしい。

「……エルスさん。ご自分を責めないで下さい。ユシライヤさんは貴方を責めたりはしませんよ」
「……でも」
「悪いのは僕です。だって……知っていて、黙っていたんですから」

 少年は目を合わせない。

「どういうことだ?」
「彼女は……僕と同じなんです」

 それだけでは理解に至らないだろうが、エニシスはそれ以上を語らなかった。

 二人が船室に戻ると、未だ目覚めないユシライヤの傍らに腰掛けるターニャと、ファンネルの姿があった。治癒術で体力を酷使したせいで、ターニャはだいぶやつれていた。

「やれることはやった。じきに目覚めるだろう。ただ……治癒術では、症状を一時的に抑える事は出来ても、その原因を取り除くまでは不可能だ」

 そこまでに酷い容態なのか。不安に押し潰されそうになるエルスに向かって、ターニャが躊躇いがちに口を開く。

「……ユシライヤさんには、レデの紋章が宿っています。それも不鮮明な。その紋章の影響で、安定した生命の維持が難しいのだと思われます」

 あまりにも思い掛けない宣告を、飲み込むまでの惑いがあったが。

「なんだよ……それ。紋章なんて、なんでユシャに……。そうだ、呼応術とかで何とか出来ないのか?」
「既に試みました。けれど紋章は彼女から離れる事を拒絶しました。それは、本来そこにあるべき紋章だという事実を示します」

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