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「だ、だめ……!」

 思わぬ喚起の声に、エルスが振り向く。

「いらない! 見ないで! 帰って!」

 溜め込んでいたものが溢れ出すかのように、少女の閉ざされていた唇から次々と紡がれていくのは、否定的な言葉ばかりだった。首を横に振りながら涙ながらに訴える様子が、痛ましくて、落ち着かせようとして、エルスは彼女の前に一歩踏み出し、手を差し伸べた。
 だがそれが、ユーシェリアには却って刺激となってしまった。

「いやいやいや! 来ないで……!」

 沸き起こるものが抑えきれなかった。一瞬、身体中に炎を纏ったかのような感覚だった。少年が悲鳴を上げて転倒したのに気付いて、ユーシェリアは我に帰る。

(私……今、何を? 私がやったの?)

 平静を取り戻した時には、エルスはその場から駆け出し、去っていた。空虚となった檻の中で、動悸と疑念だけが残り、彼女を支配した。

 その数日後、再び彼の姿を見ることになろうとは少女は思わなかった。
 エルスはそれからも頻繁にユーシェリアの元に訪れては、その日にあった出来事を楽しそうに話したり、食事を持ってきたりした。

 その日、彼が外套の中に隠し持って来たのは、ユーシェリアが初めて目にする物だったが、彼が言うには甘くて美味しいらしい。枝のような形に、濃紫色の小さな実が幾つも成っている。エルスが先に一粒取って食べてみせるも、ユーシェリアは口にしなかった。

「……なんで、来るの?」

 突き放すような言葉も、エルスは気にも留めない様子だ。
 
「お前が寂しそうだからだよ」
「! 寂しくない……!」
「ウソだよ。こんなとこに一人でいたらいやに決まってるじゃん」

 と、得体の知れない果実を、無理やり相手の口に運んでくる。ユーシェリアは含んだそれを味わうこともなくようやく飲み込むも、込み上げる悪心に耐えきれず吐瀉した。

「……私、普通じゃない。生きてちゃダメ。誰かが言ってた。生きるの、いや。見られるの、いや。汚い私。だからもう……来ないで」

 強い拒絶、あるいは自棄の思いが、触れる者を消却しようと燃え上がる。
 しかしエルスは、彼女を恐れることも、逃げることもせず、

「この前のは、ちょっと痛かった。でもさ、初めて見えたんだよ」

 と、格子の隙間から、ユーシェリアの額に触れた。

「髪の毛に隠れちゃってるけど。お前のその目の色、すごくキレイなんだな。母上の部屋にある、キラキラした石みたいだ」

 その時に、二人はお互いの顔を初めてまともに目にした。

「なあ、お前、名前なんていうんだ?」
「……ユー……シェ、リア」
「? ゆし、らいや? 長くて覚えられない! ユシャにしよう!」

 名前を改められた少女は唖然とする。彼の刻む調子が速すぎて、付いて行くのに精一杯だった。

* * *

 程なくしてエルスは、どこからか鍵を探し当てて檻を開き、少女を外に連れ出してくれた。一緒にいようと言ってくれた。
 ユシライヤもそうしたいと願ってしまった。彼を汚したくはないと思った。自分が決して、汚しはしないと。

(この人には……私みたいには、なってほしくない)

 −−その数年後、正式にエルスの護衛騎士に任命された際に彼女が述べた誓いは、礼節に従った訳でも、飾りなどでもなく、偽りない本心だった。

「私の命は、この剣と共にエルス様の為に捧げます。彼の障害となるすべてを、私が阻みます」

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