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 あまりにも場違いな存在を、目の前の真実だと受け入れるのには時間を要した。自分と同い歳くらいだろうか、上品な召物を身に付けた少年が一人。ユーシェリアが他の人間を見たのなんていつ以来だろう。

「なあ、ここ何なんだ? なんか寒いし真っ暗じゃん。人がいてびっくりしたなー」

 檻の中の少女は何も答えない。むしろ、同じ質問を返したいくらいだ。

「そうだ、ちょうどいいや。僕のかくれんぼ手伝ってよ」

 少年は承諾も得ないまま扉に手を掛けるが、鉄同士の擦れる音が空しく響くだけで、開かない。

「もしかして……お前、ここから出られないのか?」

 ユーシェリアは黙したまま頷いた。

「うーん、鍵とかどっかにあるんじゃないのか? お前何もわかんないのか? さっきから、なんで何も喋んないんだ?」

 次々と重ねられる問い掛けに応えられるはずもなく、ユーシェリアはたじろいだ。
 他人を信じられなくなってしまった−−それもある。だがそれ以前の問題だった。実は先程から、返事くらいはしようと口元を動かしてはいるのだ。だが声が出ない。長い間、感情を他人に伝える機会の無かったユシライヤは、思いを声にする方法すら忘れてしまっていた。
 音の代わりに伝ったのは一筋の涙。それを見た少年は慌てて言葉を捻り出す。

「え……ご、ごめん! 僕なんか変なこと言ったかな? もしかして、僕のこと怖いとか?」

 泣いている理由がわからないので、動揺する。そこで、少年は叔父の言っていたことを思い出した。相手の素性を尋ねる前に自分の身の上を明らかにするのが礼儀だと。叔父のように上手くは出来ないかもしれない、だがなるべく彼に近付けるように、一息深い呼吸をしてから、話し始める。
 自分の名前はエルス。一日中勉強を強いられて、それが嫌で部屋を抜け出して逃げている最中、知らない場所を見つけて偶然ここへ入り込んだのだと。だから怖がらなくていいと。
 しかし彼の差し出したものに、ユーシェリアは何も返すことが出来なかった。

「……エルス様! このような場所に居てはなりません、お戻り下さい!」

 鎧の人間が慌ただしく駆け寄ってきて、エルスの腕を引いて行く。眼前の有様を見せまいと、片手で彼の視界を覆いながら。
 今更そんなことをされても、見なかったことには出来ない。エルスはその場を離れるまで、ずっと抵抗を見せていた。

「僕を連れてくなら、あいつも出してやってよ!」

 遠いところで少年が訴えているのが、ユーシェリアの耳にも届いた。

 ほんの僅かな時間の出来事だった。きっと彼とはもう会うことは無いだろう。ユーシェリアにとってエルスの存在は眩し過ぎて、同じ場所には居られない。汚れてしまった手で、彼の手を握り返す訳にはいかない。少女は再び長い暗闇の中に、身を落とした。

 しかし、彼女の想像はいとも簡単に覆される。次の日も、その少年はユーシェリアの元へやって来たのだった。

「なあ、僕すごいだろ? 部屋を抜け出すのだけは才能あるって言われたことあるんだ!」

 エルスは得意げにそう言ってみせて、辺りを見回した。無いも同然の明かりの下で、何かを捜している。そう、ユーシェリアがここを脱出する為の何か。
 その様子を、当のユーシェリアは憂うように見ていた。ここに捕らえられているのは自分だけではない。獰猛な獣たちの目に、もし彼が触れてしまったら。捨て置かれたような『異端』の屍体に気付いてしまったら−−

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