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あの日の朝、締め付けられるような頭痛に襲われて目覚めたので、外は雨だとユーシェリアには判った。
雨は空から降る恵みなのだと母が言っていたが、少女には空が泣いているように見えた。だから雨の日は苦手だが、一つだけ良いことがある。冷たくて、暗くて、外で遊べないけれど、それは他の子も同じで、ユーシェリアだけではない。羨む相手がいないから、孤独を感じずに済む。
ついこの前までは、兄が紹介してくれた近所の子どもたちと一緒に外で遊んでいた。だが、ある時ユーシェリアが転んで怪我をして、背中を見られてしまったのを境に、誰も近づいて来なくなった。以来、兄がたまに見せてくれていた笑顔もすっかり消えてしまった。
戸口の開いた音がして、思わず身を隠す。どうせこちらには来ないだろうに。出迎えた母と、玄関口で短い会話を交わす兄。近付いてくる足音は、やはりこちらを通り過ぎて、彼の自室へと消えてゆく。
『やっぱり、お前とは無理だ。本当の兄妹なんかじゃないし』
言葉を交わしたのは、それを言われたきり最後だ。兄は最近、頻繁にどこかへ出掛けているようで、夕飯の時刻を過ぎても家に戻らないという日も多い。今日のように、次の日の朝に帰ってくることもままあった。偶然姿を見掛けても、視線を逸らされてしまう。本当の兄妹ではない−−その意味を問い詰めたいのに、ユーシェリアはいつも訊くことができない。
雨の止んだ夕暮れ時、兄がまた家を出ていった。後から母に聞いた話だと、些細な出来事から兄と母が言い合いになったらしい。元々口数の少ない兄は、滅多に母に反抗を見せなかったので、もう以前の兄とは違うのだろう。いや、本当の兄妹ではないと言うのだから、その呼び方はおかしいのだ。
結局、その日も、次の日も、幾つか日を跨いでも、彼は−−ロアールは帰って来なかった。ユーシェリアに孤独の時が戻って来てしまったのは、空が涙を落とさなくなったからだ。
それからの二人は、身を隠すように生きる他なかった。優しかったはずの村の長は、「行き場の無い異端者に土地を貸してやっているのだ」と言い、過剰な貢納金を要求してきた。
母は寝る間も惜しんで、仕事をしに外へ出掛けるようになった。夕食の後はユーシェリアの就寝を見届けてから外へ出掛け、彼女が眠りから覚めた時には既に帰っていて朝食を用意してくれている。娘の食事が済めばまたすぐに外出する。日常にはそんな母の姿があった。
一日のほとんどを一人で過ごすことになったユーシェリアが寂しさを面に出さなかったのは、母リーベリュスから笑顔が絶えることがなかったからだ。
「大丈夫ですよ。いつだって、願い続けることを、信じることを諦めてはいけませんよ」
毎日のように彼女はそう言った。
しかしある日、ユーシェリアが普段より遅く目覚めたにも関わらず、リーベリュスはまだ帰っていなかった。
一人の時は、決して外へ出てはいけない−−言われたことを守り続けてきたユーシェリアだったが、その時に初めて逆らい、母を捜しに出掛けた。
息を切らせて走り回る幼い少女に、慈悲の手を伸ばす者はいない。村人たちの排するような視線を、ユーシェリアが気にする余裕はなかった。
少女が見たのは、知らない人間と身体を寄せ合い歩いて行く母の背中。向かう方向は村の外だ。
何処へ行くと言うのだろう。まさか、自分は捨てられてしまうのではないか。きっと兄はもう戻らない。母にまで出ていかれてしまっては、自分は独りだ。瞬間的にそう感じたユーシェリアは、
「ま……待って! 置いてかないで!」
そう叫んでいた。
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