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何故、ノーアはガーディアンへの転生を望んだのか。それも含めての神の予言であり彼女の運命だったのか。果たしてそれがギラの紋章を維持するのに必要だったのか。そもそも、予言とは真実なのか−−判らない。
ファンネルはかつてアストラの人間を愚かだと思っていた。しかし元を辿れば、彼らを神の元へ誘ったのは、ガーディアンが管理すべきイースダインの異常が原因なのだ。
「……だから俺は、先を急ぐと言っているんだ」
アストラに背を向けるファンネル。幾重にも重なる罪を背負うように。彼に従う一行の中、エルスだけが立ち止まったまま。
「生まれてきたことを、失敗しただなんて言うなよ」
そんな事を言ったので、周囲も脚を止めて、視線が彼に集中した。
「生まれ変われなかったのかもしれないけど、それだけじゃん。ターニャもファムもちゃんと生きてるんだ。失敗だなんて、さみしいこと言っちゃダメだよ」
エルスの悲しげな面持ちに、ターニャは唖然としたまま、彼に返せる言葉を捻り出せなかった。彼女にとっては有りのままの真実を伝えただけに過ぎず、そんな顔をされるとは思わなかった。自分の存在が、誰かを悲しませるようなものだとは思わなかったのだ。
失敗作。戦闘用に生み出されたというヘレナも同じ事を言っていた。認められない自分を、壊して欲しかったという事も。そのヘレナが死を迎えた時、エルスは悲しみとも怒りとも言えない、どこにも向けられない感情に苛まれた。雄鹿の時もそうだ。誤って紋章が宿った存在は、ある意味では失敗作と言えるのではないか。
つまるところ、エルスはその言葉を自身に重ねていた。いや、実のところその場の誰もが、少なくとも一度は葛藤したはずだ。
重い一歩を踏み締め、再び彼らは歩み出す。それぞれの孤独を背負いながら。
「……俺たちのこの状態が、生きていると言えるならな」
風に拐われたファンネルの呟きは、そもそも何処に向けられていたものだったのか。
* * * ここアストラには三箇所の停泊場がある。アストラから見て北のローンレイブ、南東のフリージア、南西のイスカ、それぞれ別の三国へ向かう船が発着する。
エルスらが辿り着いたのはアストラの南西部。緑に囲まれた景色を見続けてきた彼らにとって、久方ぶりの海が目前に広がっていた。
次なる目的地はイスカ連邦公国。広大な面積は幾つかの地域に分かれ、それぞれに君主が存在するという。長い間をほとんど城の中で過ごしたエルスにとっては、ベルダートという自国の大きさに驚いたものだが、それとは比べ物にならないという事は想像だけでも解る。エルスは従者から借りた地図を綺麗に折り畳んで、懐にしまった。
そのユシライヤはと言うと、出航の時間までには余裕があるからと言い、一人鍛練に出掛けていた。近辺には魔獣も現れるのでエルスは心配したが、彼女にとって腕が鈍るのが良くないらしい。
しかし、あれから随分と時間が経過した。出航時刻も迫っているので、エニシスが呼びに行ったところだ。
「エルスさん、あれ……!」
ターニャが示す方向には、こちらへゆっくりと歩いて来るエニシス。そして、彼の背中に抱えられたのは。
「ユシャっ!」
駆け寄ったエルスに、従者の反応は無い。顔は青褪めて、瞼は閉じられている。意識が無いようだ。一見、外傷は見当たらない。
「エルスさん……ごめんなさい。僕の、僕のせいで……」
エニシスから雫が零れ落ちる。何故、彼が謝るのか、エルスには訳が解らないまま、しかし流れる時はそこに留まる事を許さない。
少年に代わって従者の身体を抱え、エルスは歩むべき方向へ駆け出した。彼女の時をも止めてはいけない。行く先を闇色に染めたくはなかった。
_Act 9 end_
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