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 夜の賑わいが嘘であったかのような、静かな朝を迎えた。穏やかな空気だ。宿の前で一行を待っていたのはニクス一人、傍らに妻の姿は無い。

「御使い様、お連れ様御一行。アストラの平穏をお守り下さいました事、深く感謝致します。旅の成功を祈ります。そしてどうか……お元気で」

 ニクスは村の長として出迎えてくれて、言葉を送ってくれた。その最後まで、彼が娘の名を出す事はなかった。

 この時、エルスらはカルーヌを去った。次の目的地イスカへ歩みを進める為に。エルスには、初めてアストラへ訪れた時とはまるで景色が違って見えていたが、方向は違えど山道である事に変わりはなく、実際にはそれ程の差異は無いだろう。
 宿を出てから沈黙が保たれたままの道中、

「ノーアって……本当にいなくなっちゃったんだな」

 と、ついにエルスが発した言葉に、その場の空気が一瞬、冷たいものに変わった。
 ノーアはもうあの場所に存在しない。彼女とは、たった数日の間過ごしただけだ。それなのに、いや−−だからこそ、記憶の中で彼女は鮮明に生きている。これは寂しさというよりも違和感だ。

「あいつ、最後に色々変なこと言ってたけどさ……どういう意味だったのかな」

 エルスの抱いた疑問。本来ならばその答えを知る術は無い。ノーアが遺した言葉には、ガーディアンのみが知り得るべき真実が含まれていたからだ。
 しかしここまで来ては、ファンネルも説明せざるを得なくなっていた。彼らはエルスらと、“共に歩み過ぎた”のだ。

「それには先ず、俺たちの事を……話す必要があるな」

 先導する獣の創始者の意思を受け止め、ターニャは黙したまま彼の足取りに従う。

「以前、ガーディアンとは輪廻転生を正しく管理する為の存在と言った。この世界は、二つの存在が互いに転生する事で成り立っている。ユリエ=イースで生まれた者は、オルゼ=イースの命として。オルゼ=イースで生まれた者は、ユリエ=イースの命として。ミルティスとは、その転生が出来なかった者が集まる場所。俺たちとは、そういう存在だ。つまりあの小娘は」

 話の途中にも関わらず、エルスは思わず訊き返した。

「転生ができなかった、って?」

 ファンネルは事も無げに言っていたが、エルスには疑問に思えた。だがそれに対して彼の回答は無く、代わりに口を開いたのはターニャだ。

「ノーアは……きっと、ミルティスで生まれる事を望んだのだと思います。しかし大抵は、ユリエス(地上人)であるノーアは、別の命としてオルゼン(天上人)に転生します。私たちと同じ存在として生まれる可能性は低いです。その転生に失敗した結果が、私たち狭間の者なのですから」

 ターニャと同じになれる−−ノーアのその言葉は、ガーディアンへの転生を意味していたとターニャは言うのだ。

「そんなほんの僅かな可能性の−−それも過ちの為に、今ある命を投げ出すなんて……私にはまだ、受け入れられません」

 ターニャを慕うように共に居たノーアの存在は、ターニャの中に大きく残っている。その悲痛な表情は、彼女が普段はあまり見せないものだ。
 しかしエルスには、別の疑問が浮かんできてしまって、ここで問い質さずにはいられなかった。

「あ、あのさ、失敗って……。じゃあターニャたちって、どっちでもないって事なのか?」
「……はい。地上人になれなかった天上人。その逆だったかもしれませんね」

 ターニャに付け加えるように、

「狭間として生まれた者は、新たに転生も出来ない。死ぬ事もない。永遠にミルティスに留まるだけだ。いわば……輪廻から外れた存在だな」

 と、ファンネルが言った。

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