時刻は22:34。月明かりの指す夜中の森には、夏になりきれない春先の夜風が吹いている。 踏み出した足の下でパキリと小枝が音を立て踏み潰された。
「嵌められたな」 「嵌められたなぁ」
困ってなさそうな顔で笑った仲内が、隣に立つ甚爾の肩を叩く。 二人が立つのは東京郊外の山の中。駅から車で35分かかるが、きちんと道路は走っているし山から降りればコンビニがある。その程度の森、の筈だった。
「これ領域展開か?」 「どっちかというと簡易領域?なんだっけ、こないだ習ったやつ…未完成の領域だっけか」 「何級予想だ?一級に夜食賭ける」 「甚爾相手に同意見なの悔しいけど俺も一級だと思うわ。賭けになら無いから夜食はカップ麺で」
適当に会話を繋げながらも互いの視線は周囲を警戒していた。初めて目にしたそれを理解するために意識を張り巡らせる。 足元にある小枝が本物なのか、それとも作られたものなのか。判断に困ったのは初見だからだ。 聳え立つ崖、色彩の変わった景色、夜だった筈の空間は血のように赤い夕焼けを思わせる色へと変化した。
未完成の領域
領域展開…とまでは言わずとも、そんなものが出来ている時点で本来の報告から呪霊の強さが二段階以上等級が上がっている。 入学して2ヶ月も経っていないギリギリ四級呪術師の仲内と甚爾を送り込むには、異様な任務。 やはりこうなったかと呆れを通り越して笑い始めるのがこの二人であった。
「俺ら嫌われすぎな」 「ハッ、今更」
ちなみに、ここで二人が問題視しているのは一級任務に"入学間もない"呪術師が派遣されていると言う事実なのであって "四級術師の自分たち"が派遣されていることは対して気にしていない。 等級が四級から上がるのは早くて三年になった頃だろうという二人の見解もあり、そんな四級"として扱いたい"自分たちのことを底辺に留めるだけではお高いプライドを納められず嫌がらせをしたがるのは予想できていたことである。
そして
「まぁ、余裕でいけるっしょ」
爛々と瞳を歪ませて笑った烈を横目に、甚爾も柄を握る指を持ち替えながら口許を緩めた。 初任務がこれか、笑わせてくれる。言葉にせずとも互いに何を思っているかは分かっていた。
「舐められてんな」 「それも今更ー」
この程度なら範囲内だと視線を交わせて口許を歪ませる。
領域展開してくるタイプだったらまだ絶望の念を抱いたかも分からない。 だがそれが出来ていない故のこの未完成の領域。必中の術式が出てこないなら大した問題にもならないこれを態々気に掛ける二人ではない。
首に手を掛けポキリと鳴らした。 背中にかけていたホルダーから呪具を取る。 左右から迫ってくる気配に向かって、力強く地面を蹴って駆け出した。
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「はい、しゅーりょー。甚爾どこまで行ってんだ?」
ため息にも似た呼吸を一つ。 展開されていた領域が解かれたと共に、烈は大きく伸びをした。 地面に延びる影は周りの景色と同化して馴染んでいる。帳はまだ上がらず、空は暗いままだった。 最初の地点から交差するように駆け出した二人。どうにも標的である呪霊が操るこの空間は呪霊擬きの無限湧きが起きていた。烏合の衆を真面目に相手取る気も特になく、各個撃破で先に呪霊を見つけた方が祓うつもりで動き出したが予定よりも雑魚が多く。 予定していたよりも甚爾と烈の位置は離れているようだった。 ここからまた甚爾がいる地点まで探しながら戻らないと行けないという事実に顔をしかめた。
烈が思考に耽る後ろから迫る刀身。死角に入っているそれに気付ける筈もなく、それは烈の胴体を切り込む。
「なぁんてね」
伸びをしていた腕を振るう勢いを利用して半身を捻る。咄嗟に掴んだそれを握りしめ、膝で目の前に来た体を蹴りあげた。
「ッグァ」
「ビーンゴ、てことは甚爾も狙われてるかな。むしろあっちが本命?」
呻いて腹を押さえた男の頭が自然と下がる。その頭を間髪いれずに横から蹴り飛ばす。刀を手放し体が地面に沈み込む。 ガードもせずに転がされた男を見つめ、
「え、弱くない?大丈夫?」
息をするように煽った。 否、仲内は否定できない事実を突き付けただけのつもりだ。 後ろから突き刺そうと迫った刀を握りしめたせいで血濡れた掌からポタポタと血が流れる。刀身から装飾の綻びた柄へと持ち替え烈の掌へと収まった刀がそのまま元の持ち主へと向けられた。
「呪詛師、でいいよね。目的は?」 「ッ…誰が言うか」
倒れた男の首に当てられた抜き身のそれが、ゆっくりと皮膚を撫で上げる。薄く皮膚を切り裂いていくその刃が、男の返答と同時に赤い糸に似た細い筋を流した。
「目的は?」
「ここに来た呪術師を殺れたら1000万だとよ」 「あれ、甚爾早っ」
膠着状態のこの場に新しく入ってきた声に、刀身が突き付けられていた男の体は震え上がった。話が違う。話が違う!!強く唇を噛みながら早く終われと願う。 男が聞いていたのは楽な仕事だった筈なのに。高専に入りたての餓鬼が二人、今日ここで呪霊を祓うから確認次第殺せ。一人殺せたら1000万。二人殺せたら1500万。内容に反して破格の値段だった。高々餓鬼二人、しかも四級。そう聞いていたから男と、良く組む他2名は依頼を受けたのに!! 悲憤のあまり噛みきれた口から血の味を滲ませる男の頭上で、烈が声の主を目に映し笑っていた。
「そっち何人だったん」 「二人」 「へぇ〜、微妙。怪我無いの」 「こんなんでするかよ」 「そりゃそうだわ」
風の音だけが聞こえるこの場所で、喉の奥から押し出されるような笑い声と共に烈の隣で足が止まった。 別れる前と何も変わらない様子の甚爾を見ながらさてどうするかと脱力する。
前触れもなく、振り下ろした鞘が男の首裏へと直撃した。バタリと倒れた男を見下ろし、口を開く。
「やっぱ暫くはこんな感じかね」 「面倒だな」 「コツコツ伸してこうぜ」 「ガンガン行こうぜ?」 「どっちかというとバッチリがんばれ、だろ。ガンガン行きたいの?珍しくない?てかなんでDQ」
軽口を叩きながら何処からか出した縄で手際よく腕を縛っていく。一分もしない間に指の一本も動かせないように縛り上げられた男。 ついでと言わんばかりに適当に丸めたタオルを男の口へと噛ませた烈は、しゃがんでいた姿勢から立ち上がる。
明らかな等級違いな任務が初任務。しかも終わったかと思えば雑魚とは言え呪詛師の急襲があった。 何とも言えないこの状況に思わず甚爾へと目線を合わせ、溜め息を吐き出す。
「そんなに気に食わないかねぇ」 「気に食わないし視界にも入れたくないんだろ」 「視界どころか存在するのも嫌って感じなんだろうな。そっちからこなけりゃこっちからは行かねぇっつーの」 「今のところな」 「ほんとそれな。もういいや、帰ろうぜ。ラーメン食わないとラーメン」
動いたから腹が減ったと夜食へ思いを馳せ始めた烈に腕を引かれ、甚爾もその場から動き出した。 当然のように放置された男を置き去りに、横にならんだ二人は山を降りるために足を動かす。
「補助監督ちゃんといるかね」 「名目上はただの任務にしたいだろうからいるだろ」 「偶々等級が上がった呪霊と偶々ここら辺を狙っていた呪詛師に運悪く出会っただけ、ってか。まじで糞」 「辞めるか」 「まだ駄目〜」
甚爾の肩へと腕を回しながらそう告げた烈の顔はニヤニヤと緩んでいた。巻き込んだ自覚はあるが、思いの外きちんと巻き込まれてくれる甚爾の様が面白くてしょうがないと、自然と口許が緩むのだ。
「痛っ!!」
そんな烈を見てなにもしない様な奴ではなく、当然の如く頭を叩いた甚爾の拳に確かな感触と、音が伝わる。
時刻は23:07、月明かりの指す夜中の森には、夏になりきれない春先の夜風が吹いている。行きに感じた呪霊の気配は祓われ、通り抜ける風が運ぶのはぬるい春の香り…そして、消しきれない錆の匂い。
呪術高専東京校に入学した烈と甚爾は、ここから問題児として嬉々として呪詛師叩きを始めることになる。
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