届かないと心のどこかでは知っているのに、それでも願う私をどうか愚かだと笑って欲しい。
願い続けた絶望の結末あの人がこの場所を去ってからもう何年経ったのだろうか。
突然現れた優しい人は、風のように去って行った。
今もこの春の終わりには彼の温度を思い出す。
季節の変わり目は記憶と密着しているとは良く言ったものだ。
「名前、愛してるぜ。」
ある日私の前に突然現れてそのまま住み着いた男の名は、原田左之助と言った。
脱藩して自由気ままにあちこち旅をしているのだと聞いた。
「じゃあ左之は…、いつかここからいなくなるのね。」
それは確信だった。
この人は留まってはくれない人だと私の中の何かが知っていた。
「…そんなことねぇよ。」
優しくて酷い人は、私を傷つけないように『嘘』を吐いた。
けれど弱い私はその『嘘』が全てだったのだ。
その優しい『嘘』が長く続くとは思っていなかったが、まだしばらく溺れていたかった。
けれども――。
終焉は思ったよりも早く訪れるものだと思った。
左之助はいつもの笑みを隠して、真面目な顔で言葉を紡いだ。
「――名前。俺、行くよ。」
「うん…。」
なんて予想通りの言葉。
今更泣き叫んで引き止めるような真似は出来なかった。
きっとそれさえも左之助は分かっていたのだと思う。
「…行くなって言ってくれないのか?」
余りにもあっさりと頷いた私の反応に、左之助は苦笑混じりに言う。
「行くなって行ったら行かないの?」
「――悪い。」
相変わらず酷い男。
そんな酷い男は一度だけ私の髪を撫でて口付けた。
「――全てが終わったら迎えに来る。だから待っててくれるか?」
一つだけ誤算だったのは、待つことを許してくれたこと――。
あれから幾度季節が巡ったのかは分からない。
数えるのもやめた。
周りだってすっかり説得を諦めている中、私は今日も生きている。
「――また春が来たのね。」
桜が散って行く風景に、ふとそんな言葉が漏れた。
あの愛しい人は今もどこかで自由に生きているのだろうか。
サァァァ――、
桜吹雪が舞った。
向こうに人影を見付けて、目を見張る。
「…う、そ。」
そこにいたのは焦がれて焦がれて夢にまで見たあの人の姿。
自分の想いが見せた幻ではないかと不安になり手を伸ばせば、その手はしっかりと掴まれた。
「――左之?」
名前を呼べば、ギュッと抱き寄せられ気付けば彼の胸の中。
その確かな体温に、涙が溢れて来るのを止められない。
「名前。迎えに来たぜ。」
「――え?」
心なしか低くなった声で、左之助は言う。
「もう俺はどこにも行かないから。ここにいるぜ。」
「――うん。」
ハラハラと散り行く桜だけが、二人を見ていた。
鬼灯より転載
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