「ランス・・・・・・・?」 アポロと名乗るロケット団最高幹部が敗れても、表情一つ崩さなかった女性。 彼女の黒髪は、美しく天使の輪を描く常盤色になり、闇のように何も映さなかった瞳にも、キラキラ、キラキラと煌めくような光が宿っている。 「おはようございます、エスト姉さん」 「ランス・・・ッ!」 女性――エストは、何かに弾かれたようにランスへ駆け寄り、おもむろに首へと抱き着いた。 優しい微笑みでエストを受け止めるランス。 縋るよう、存在を確かめるようにランスを求めるエスト。 ――まるで、天使の両翼が揃ったみたいだ。 究極の緊張感の中、幻想的な光景に魅せられたのか、少年――ヒビキはそう思った。 しかし、ヒビキと同じように唖然と固まっていたアポロは、それどころではない。 「エスト・・・!ランス!」 アポロの呼び掛けに、二人は身体を離し、アポロへと向き直った。勿論、手は繋いだまま。 そうして見ると、ランスが先ほど言ったように、彼とエストが双子であるということがよくわかる。 男女で身長差や骨格の違いはあるが、整った造形物のような顔は瓜二つで、髪も瞳も同じ色――恐らく、瞳に宿る強い炎の色も。 「どういうことですか・・・!お前は・・・本当にエストなんですか!?」 まるで懇願――そうであって欲しくないというようなアポロの悲痛な声に、眉をしかめたのはヒビキだ。 双子は表情を崩さなかったものの、ヒビキの様子に気付いたランスが、彼を視界に留めた。 「・・・貴方が怒る必要はないでしょうに」 「え?あらら・・・」 ランスの言葉に釣られて、エストの視線もヒビキへ向く。 「でも・・・っ!」 この、アポロという人は、サカキ様やらと理想を追い求めるばかりで、目の前の現実すら否定しようとしている。 二人の表情を見れば一目瞭然だった――許されないくらいに、二人が想い合い互いに依存していること。 「君は優しいのね」 ランスとは繋がれていない方の手で、エストがヒビキの黒髪を撫でる。 それは先ほどのランスと同じで、優しく、壊れ物を扱うような、繊細な手つきだった。 「アポロさま・・・私は、私ですよ。ロケット団最高幹部の補佐役である前に、私はランスの姉で・・・父様・・・サカキの娘です」 アポロを、強い視線がいぬく。 そのエストの言葉には、ヒビキも目を見張った。 「サカキ・・・様の・・・!?」 「ええ、私達の父は、貴方がずっと捜し求めている人物ですよ・・・私達も、父の居場所は知りませんが」 「そんな・・・」 ランスの言葉を聞いて、アポロのアイスブルーの瞳が見る見る絶望の色に染まっていく。 それは、信頼する部下からの裏切りにも似た事実によるものなのか、やはりサカキが帰って来ないことを確信したからなのか、この場にいる誰にもわからない。 ――それでも、全てが"終わった"ことは、確かな事実だった。 「父の・・・ロケット団の最終目的は、私達の為にありました」 「え・・・?」 衝撃的な事実に呆然としているアポロではなく、今度はヒビキが疑問符を浮かべる。 「父様が世界を手に入れようとしたのはね・・・"私達"の生きやすい世界を作ろうとしてくださっていたの」 苦笑と共に吐き出された言葉へ、ヒビキは何を言えばいいのかわからない。 「私達は、生まれる前からずっと一緒でした」 「私達を産んだことで身体の弱い母様は亡くなり、父様は私達を疫病神のように思っていたわ」 「・・・ですから、私にはエスト姉さん、エスト姉さんには私しかいなかったのですよ」 「でも・・・ロケット団に・・・」 "疫病神"という扱いをされてもなお、二人の表情に怒りや憎しみは映っていない。ヒビキの中で生まれた矛盾は、いつの間にか声に出されていた。 「父様は・・・私達が五歳の時に、初めて会ったの」 「その時、父は私達の中で培ってきた"依存"に気付き、贖罪のように言ったのですよ」 「"お前達の生きやすい世界は、私が造る"と・・・」 ヒビキは、言い知れない罪悪感に襲われた。 ロケット団とは、ただ悪事を働き人もポケモンも苦しめて、自分達が金儲けをしようとしているような、ただそれだけの組織だと思っていた。 ――"何の為に、" なんて、考えたこともなかったのだ。 子供を思う気持ちは、善い奴も悪い奴も関係ない。 どんなことをしてでも、手に入れたい――理想郷。 サカキも、双子も、悲しいくらいに真っ直ぐだった。 「・・・貴方がそんな顔をする必要はありませんよ」 「これは、私達のケジメなんだから」 優しい二人の言葉に、ヒビキは涙腺が壊れてしまうかと思った。 自分は自分の正しいと思うことをした筈なのに、胸が痛くて堪らない。 「さぁ・・・早くお行きなさい、ここを出れば、貴方はただの英雄になれますよ」 「で、でも・・・」 「私達は、私達の終わりがあるから」 左右からエストとランスがヒビキの頭を撫でると、ヒビキに背を向けて歩き出す。 展望台を守っていたガラスはアポロとヒビキのバトルで吹き飛び、その先は――何もない。 「・・・!」 咄嗟にヒビキが伸ばした手は既に遅く、宙を切る。 カタンと後ろで、何かの音が鳴った。 「エスト姉さん!ランス兄さん!!」 二人の歩みが止まる。 三人が振り向いた先には、ヒビキのライバルでもある赤毛の少年――、 「・・・」 「・・・シルバー?」 シルバーがいた。 「まさか、シルバーが来るとは・・・予想外でしたね」 驚いている表情の双子の足は、あと一歩でも踏み出せば、遥か下のコンクリートにたたき付けられてしまうだろう。 そんな二人を――夢の中以外で初めて会う姉と兄を見て、シルバーは下唇をギュッと噛み締めた。 「・・・ッ!」 「にゅー!」 シルバーの投げたボールから、彼の手持ちのニューラが飛び出す。 ニューラは双子をすぐに思い出したのか、慌てた様子で双子に近づこうとするものの、エストのクロバットとランスのゲンガーに阻まれた。 「・・・ありがとう、クロバット、ゲンガー」 「キィ・・・」 「キシ・・・」 二匹の手持ちは、双子の気持ちを一番に理解していた。双子に育てられ、誰よりも近くで見てきた二匹だからこそ、苦しいくらいに双子の気持ちがわかる。 ――それでも、涙は止まらない。 「・・・んで、だよ!」 「シルバー、」 「なんでだよ!折角見つけたのに・・・俺もニューラも、姉さんと兄さんに会いたくて・・・ずっと探してたのに・・・!」 シルバーの剣幕に、双子だけではなくヒビキも驚いた。 双子の弟だった――つまり、シルバーもサカキの子供だった事実。シルバーが強くなりたいが為に、ウツギ博士の元からポケモンを盗んだ理由の裏側。 ひどい奴だと思った少年にポケモンが懐いているのは、彼の悲しみや寂しさ、弱さを、支えてあげたいというポケモンの気持ちからなのだと。 「思い出したんですね・・・」 「・・・ッランス兄さん!」 「ごめんね、シルバー」 「エスト姉さん・・・!」 「私達は、」 「「止まれない」」 双子が、残された者達に背を向ける。 ヒビキとシルバーが悲鳴のような声を上げ、アポロの声に為らない声、ポケモン達の泣き声が響いた。 「・・・ねぇ、ランス」 「なんですか、エスト姉さん」 「世界の理は変わらなかったけど・・・一緒に生まれてきて、死ぬときも一緒だなんて、素敵だね」 「・・・例え誰にも許されない関係だとしても、私は幸せでしたよ」 「うん・・・次は私達があの星達の仲間になるんだ。神様なら、きっと許してくれるよね」 「そうですね・・・では、この地球(ホシ)に誓いましょう」 「私達は」 同時に踏み出された、足。 傾く身体。 二人の端正な顔には――悲しくとも、幸せな笑顔。 ――悲鳴はもう、誰のものかもわからない。 さよなら、世界 (私達を許してくれない、愛しい世界に) 2011.07.22 |