あれから、おそらく半年以上が経ったと思う。確信を持てないのは、この赤ん坊になってしまった身体が、まるで猫のようにやたらと睡眠を欲しがるので、一日の半分を眠って過ごしているせいだ。
日付感覚が、全くわからない。

不安定だった首も座り、子持ちには見えない金髪美人に、舌ったらずの口で「ママ」と呼んだのは、つい最近のことである。その時、金髪美人(メアリーというらしい)は、涙を滲ませて、興奮しながら喜んだ。

この世界で覚醒してから、約半年と少し。やはり私の中での"お父さん"と"お母さん"は、生前にいたあの二人しかいない。

しかし、私にミルクを与え、初めての子育てに四苦八苦しながらも、必死に育ててくれたメアリーさんは美人な上にとても優しかったので、"新しい母親"として、やっと受け入れることができた。ようやく、ある程度回るようになった舌で「ママ」・・・というよりも、発音としては「まぁーあ」だったのだけれど、そう呼んだ時の喜びっぷりに、呼んでよかったと心底思った。

しかし――問題は、父親である。父親であるという以前に、ゲームで知っていた"悪の組織の首領"というイメージに加え、あの威圧感。覚醒している時、家に何度か訪れた部下は、彼に感じている畏怖を必死に隠しながら"サカキ様"と呼んでいた。
確かに、彼は"サカキ様"だ。"様"付けで呼ばれても全く違和感がないのは、ある意味で尊敬に値する。(私を"お嬢様"と部下の人達が呼ぶのは本気でやめて欲しいけれど)(むずかゆくてしかたがない)

そんな"サカキ様"を、父親と呼ぶ気にはなれなかった。
これはただのゲームではなく、実在している――私が生きて、幼過ぎるとはいえ身体も存在し、心臓が動き、息をしている世界なのだ。
そんな世界での父親の立ち位置は"犯罪組織の首領"で、私の立場はその娘である。メアリー改め、ママは、現在専業主婦に徹しているけれど、私が生まれる前は、多分ロケット団に所属していたのだと思う。そうでなければ、"サカキ様"との接点が見つからない。

ママがサカキに「ベニカが"ママ"って呼んでくれたの」と嬉しそうに報告した時、彼女の腕に抱かれている私は、彼を"さぁさま"と呼んだ。
幾ら父親だと思うことができなくとも、ロケット団の首領を呼び捨てにする勇気はない。まぁ、ママの時と同様、口はうまくまわってくれなかったが。

私がそう呼んだ時のサカキの表情は、本当に見物だった。ママが驚いているところは何度も目撃したが、あの威圧感に包まれている男が、呆然としていたのだから。


『部下があなたを呼ぶ言葉が移っちゃったのよ』


と、ママは言ったが、そうではない。私は意図的に、彼を"サカキ様"と呼んだ。
それを知ってか知らずか、呆然とした後のサカキは酷く満足げであったが。




ここまでくるのに、何も悩まなかったわけではない。

どうして、再び生まれたのか。

どうしてそれが、ゲームだと思っていた世界なのか。

どうして、私には前に生きていた時の記憶がはっきりと残っているのか。

なにより――どうして、よりによってサカキの娘なのだろうか。

生前、私と関わりのあった人達のことは、一つも取りこぼさず覚えている。

お父さん、お母さん、飼い猫のポン太と、飼い犬のレオ。親友二人に、銀の両親と、妹さん。
勿論――銀のことも。
数少ない友人との思い出は、日に日に白いモヤがかかったように霞んでしまっているけれど。




私が一歳の誕生日を迎えた時、サカキは私に何かの卵をくれた。
まだそこまで話すことの出来ない私がママとサカキの会話に耳を傾けると、どうやらそれはポケモンの卵らしい。
サカキのペルシアンが大好きだった私は、純粋に嬉しかった。ゲームでも、今の現実でも憧れてやまないポケモンを、私は手に入れたのだ。


『まだようやくハイハイができるようになった子供に、ポケモンは早い』


と、ママは怒っていたけれど。
それから数週間が経って、生まれたのはニャースだった。サカキのペルシアンの子供だそうだ。

額にこばんをくっつけた愛らしい猫に、私は"ギン"と名前をつけた。もしも、いつかポケモンを手にする日がくるのであれば、私は最初の子に"ギン"と名付けようと、そう決めていたのだ。
本当は、彼が似ていたゲンガーに進化するゴースがよかったのだが、ニャースは可愛いので構わない。この愛らしいニャースが、いつかサカキの手持ちである美しいペルシアンになると思うと、わくわくした。

――しかし、
ニャースを手に入れ、赤ん坊になってしまった私は、その頃から悪夢に悩まされることになった。

忘れていたわけではない。
忘れられる、筈もない。

それでも、それなりに"幸せ"だと思っていた日々の中。
夢に、出るのだ。

――暗闇の中。
しゃがみ込んで、俯いている背中。
細身の身体も、人工的に染められた赤い髪も、私はよく知っている。

私がそんな彼を見ていたことに気が付いたのか、彼――銀が振り向く。
端正な顔立ちの銀は、泣いていたのか、目を真っ赤にさせていた。


"なんで"

"こんなにも、愛しているのに"

"お前は俺の元に来ない"


彼の赤くなった瞳から、新しい涙が零れた瞬間、目を覚ます。
私の傍らですやすやと寝息をたてる、私とそう背丈の変わらないギンを見て、私はいつも安堵した。

――それから、毎晩夢に出ては私を責める銀に、私は眠ることへ恐怖を覚えるようになった。
覚える、というよりも、思い出したのだ。

これは、生前の私が何度も見ていた夢なのだから。

生まれ変わってなお、私を苦しめる悪夢。再び不眠症を再発してしまった私に、ママは困惑し、サカキは打開策を思案していた。
子供に睡眠薬はよくないということで、サカキがどこかの洞窟でズバットを捕まえてきたのは、まだ記憶に新しい。("催眠術"を覚えているズバットを探すのは相当大変だったらしいが)

それから、サカキの手持ちであるズバットは、毎晩私の為に催眠術をかけてくれる。

それでも――夢さえ見ない深い眠りに堕ちる寸前、悲痛な表情で私を見詰める銀が、私の前から消えることはなかった。




廻る悪夢

(私だって、)(貴方の傍に逝きたかった)




2011.03.24


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