「・・・・・・おやおや」


手持ちのポケモン達と、窓際で昼寝をする幼い姉弟――私が崇拝する上司の子供である、ベニカ様と若様を見て、私は思わずそう声を漏らした。私の横では、私が訪れる気配を察したのか、玄関で待っていたベニカ様の手持ちである賢いペルシアンのギンが、窘めるような視線を投げてくる。

彼等――否、正確に言えばベニカ様に私が所謂"お目付け役"としての任務を受けたのは、私がまだロケット団に入って間もない頃だった。
崇拝するロケット団のボス――サカキ様直々に、社長室へ招かれたあの日を、私は今だに覚えている。いや、きっと、死ぬまで忘れることなど出来やしないだろう。




「アポロ、少しいいか」


当時の上司にいきなり声を掛けられた私は、二つ返事で了承する。

ロケット団に入りたてで、まだまだ下っ端である私は、十代だった。
若かった。全てを知ると思い込み、何も知らない若造だった。

上司に呼び出された場所は、アジトの廊下。昼休み前の廊下には人通りが少なく、私たちの会話に耳を傾けるような輩もいない。


「・・・サカキ様に、お子さんがいらっしゃるのは知っているか?」

「え?・・・はい。存じておりますが」


我等が敬愛し、崇拝するロケット団の首領・サカキ様。彼には、亡くなった妻との娘がおり、つい先日、違う女性との息子も生まれたと、下っ端同士の噂を耳にしたことがある。


「・・・そのお子さんのことで、お前に話があるそうだ」

「・・・・・・・・・はい?」

「今すぐ社長室へ向かえ」

「・・・、・・・はぁ」


子供のことで、話。しかも、社長室といえば、サカキ様直々の許しがない限り、決して入ることの出来ない禁断のテリトリー。
私は、上司の言った言葉を疑問に思いながらも、緊張と興奮に高ぶる胸を抑えながら、それを周囲へ悟られぬよう、必死に足を動かした。

木目の美しい、重鎮なドア。まさか、入りたての下っ端に過ぎない私が、こんなに早くこの扉を拝めることになるとは、微塵にも思っていなかった。

――コンコン
丁寧にノックをすると、扉の向こうから「誰だ」という、地を這うように低いテノールボイスが聞こえてくる。


「サカキ様の命で参りました、アポロです」

「・・・・・・入れ」


恐る恐る開いた扉の先は、廊下とは比べものにならない程、冷たく重苦しい空気に満ちていた。
私が毎日向かう机とは全く異なり、高級だろう執務用の机、黒い皮張りの椅子にどっしりと腰掛ける、かの人。こんなにも近距離では見たことのない、本物の、サカキ様。


「・・・失礼します」


礼をして、そのテリトリーへ足を進める。
パタリと閉まった扉。緊張に張り裂けそうな私を見て、サカキ様は頬杖をつきながら笑った。
笑ったとは言っても、口角が少しばかり上がった程度だ。ついでに、闇に支配された闇色の瞳は、全く笑っていない。むしろ、冷た過ぎるその視線に、私の背中がゾクりと粟立つ。


「・・・アポロ、だったな」

「・・・は、い」

「お前のデータは調べさせて貰ったよ。随分と年若いが、申し分ない」

「・・・ありがとうございます」


――ニヤリ
サカキ様が、更に深い微笑を浮かべた。ギラギラと、漆黒の炎のような瞳は、まさに人を魅了してやまない悪魔のようだ。


「お前に仕事を頼みたい」

「・・・はい」

「私の子供については、知っているか?」

「ほんの、噂程度ですが」


サカキ様の口から"子供"という単語が出てきたことに、純粋に驚いた。上司から触りは聞いていたものの、本当に子供のことだとは思わなかったのだ。


「教育係・・・とでも言えばいいのか。ああ、だが特に教えることはない。アレは賢いからな。
ロケット団はこれからもっと危険に身を染める・・・目付け役という所か」


サカキ様の子供の目付け役。それは、有り得ない程に凡庸で、責任重大な仕事だ。
目付け役を着ける程に大切な子供。何かあれば、サカキ様直々に殺されてもおかしくはない。
――しかし、


「・・・驚いたようだな」


何も、答えられない。驚いたことは事実であるし、しかも何より――私は子供が嫌いだ。


「まぁ、見ればわかる」


既に、私に拒否権はないようだ。否、サカキ様の命に背くなど、愚かな真似をしようとする輩が、ロケット団に存在する筈がない。
彼のカリスマ性の大元に存在するのは、"絶対的な恐怖"である。


「子供は二人いるが、お前に頼みたいのは娘の方だ。息子の方はまだわからんが・・・アレはこの先、大きな利益になる」


――背筋がゾッとした。
それは、恐怖か感動か、私には区別が出来ない寒気だ。
目の前に佇む彼は、我が子でさえ"道具"のように思っている。
それと同時に、サカキ様からここまで関心を持たれる"娘"に、私も興味が沸く。


「娘は、ベニカだ。今は奥の部屋にいる」


サカキ様が立ち上がり、「ついて来い」と目線で促された私は、少し早足でサカキ様の背を追った。




サカキ様の言う"奥の部屋"というのは、彼のプライベートルームだそうだ。彼専用である緊急時の脱出経路に、部屋があるらしい。
その道中、サカキ様は少しばかり"ベニカ"お嬢様について話をしてくれた。

なんでも、娘はサカキ様を"父親"と呼んだことがないそうだ。ならば、何とお呼びしているのだろうか、と首を傾げれば、背後を歩く私の心を読んだかのように、クスクスと笑いを漏らす。
そして、娘は娘らしくないと、彼は言った。女らしくないという意味なのか、彼の娘らしくないという意味なのか、その時の私には理解しかねた。

薄暗い迷路のような廊下を暫く歩くと、厳重な、金庫のような扉が見えてきた。おそらく、そこに例の娘がいるのだろう。

見たことのないIDカードをサカキ様がロックに差し込み、その後パスワードを入力する。重々しい扉が、ギギと軋むような音を立て、ゆっくりと開いた。


「ベニカ」


執務室とは異なり、広く、豪華な作りであるその部屋のソファで、予想していたよりも幼い少女が、ニャースの毛づくろいをしている。

サカキ様と同じ、闇色の髪。彼の呼び掛けへ答えるように、顔を上げた少女の瞳は――鮮血のような、赤。


「・・・サカキ様」


少女は、父親に向かって、確かにそう言った。見たところ、齢五つにも満たないだろう少女というよりも、幼女であるその娘が。
表情には出していない筈だが、私が驚いたことを悟ったサカキ様は、にやりと笑う。


「言葉を話せるようになってから、ベニカは私をああ呼ぶんだ」


クスクスと笑うサカキ様は、面白い玩具でも見るように、少女へ視線を投げていた。


「・・・サカキ様。そちらの方が、アポロ様ですか?」


その質問に、驚いたのは私ではなく、サカキ様だった。(私は私で、下っ端でしかない私の名前が"様"付けであることに驚いてはいたが)


「・・・やはり、な」


聞き取れるか取れないか、そのくらい小さな声で、サカキ様が呟く。何が"やはり"なのかはわからなかったが、何か思う所があるのだろう。
少女は小さな膝に乗せていたニャースをソファに置くと、私たちの元へ歩いて来た。


「初めまして、アポロ様。私はサカキ様の娘のベニカです」


少女とは思えない自己紹介に、固まりそうになった私も、目線を合わせようと深紅のカーペットへ膝を着く。


「初めまして、ベニカお嬢様、」


垂れた頭を上げた時、赤い瞳と視線が交差する。
――その時、私は先程サカキ様に言われた言葉の真意に気付いた。


「――・・・私はただの下っ端です、」


――少女は、"娘"ではない。


「私なぞに、そのように畏まらなくても結構ですよ」


――彼女は、"子供"じゃなかった。

赤い瞳には、サカキ様とは違う"闇"が、存在している。この歳の子供が出来る目ではない。
サカキ様の"闇"が地獄の業火ならば、彼女の"闇"は、生き物の全てが恐怖を抱く、"死"という"絶望"の闇だった。
幼い少女の持つべき目ではない。こんな目をした大人も、私は見たことがない。

――一瞬、愚かしいことに、本気で"人間"なのかと疑ってしまった。

握手を交わす小さな手は、子供らしく温かい。そのギャップが、私の奥底に芽生えた"畏怖"を増幅させる。


「・・・ベニカ。彼が今日からお前の教育係だ」

「ありがとうございます、サカキ様」

「お前の望んだ"水色の男"だ」


不自然な言葉に、私は疑問を覚える。


「はい・・・では、私はあちらの部屋に行きますね。おいで、ギン」


"ギン"と呼ばれたニャースが、不思議そうな顔でベニカお嬢様に近寄った。名前からしてオスであろうニャースは、ふと立ち止まり、サカキ様を見上げる。
ニャースの瞳は、サカキ様へ何か探るような視線を向けた。どうやら、彼も賢いようだ。


「ダメだよ、ギン。サカキ様は大切なお話があるの」


言い聞かせるような少女の言葉に、サカキ様が肩を震わせた。多分、笑ったのだろう。

――パタン
静かに隣の部屋へと消えた、ベニカお嬢様とニャース。それを確認してから、サカキ様は先程まで少女とニャースが腰掛けていたソファへ座る。


「・・・アレを、どう思う?」

「・・・サカキ様がおっしゃられた通り、"子供"の目ではありませんでした」


率直な感想だった。疑問点は、多々あるものの。
私の返答に満足したらしいサカキ様は、とても楽しそうだ。


「・・・アレが言ったんだ。教育係を着けると言った時、『水色の髪と瞳を持つ優秀な方はおりますか?』と」


今のロケット団に、水色の髪と瞳を持つ部下は、私くらいだろう。しかし、私はベニカお嬢様と顔を合わせたこともなければ、サカキ様の目にも止まらないだろう、ただの下っ端だ。


「ついでに、私はベニカにお前の名前を教えていない」


――流石に、目を見開いてしまった。彼女には、超能力でもあるというのだろうか。


「アレは、ただの子供ではないだろう・・・ベニカの能力は、底知れない。
理解できない力、あの娘に宿る闇の存在――・・・
・・・どうやら、私の元妻は、"化け物"を私に遺したようだ」


決して自分の娘に向けるべき単語ではないが、私も思わず納得してしまった。それは、私も思ってしまったことだからだ。

――彼女は、人間じゃない。


「引き受けてくれるか?」


拒否権のない命。しかし、サカキ様への恐怖や忠誠心からではなく、私の答えは決まっていた。

――勿論、"Yes"だ。

子供は、嫌いだ。無知で、五月蝿く、己が全て正しいと思っている。何とも、愚かで煩わしい。

けれど、彼女は、私の良く知る子供ではない。
少女の皮を被った"闇"に、私はおそらく――惹かれていた。




2011.03.19

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