――まぁ、強いて言うならば、運が悪かったとしか言いようがない。
その日、私はとても荒んでいた。荒んでいた――というには語弊があるかもしれない。
病気を何個も抱え込む程、鬱になってしまってからちょうど五年。その日は、私の誕生日でもある。
私は、この日が嫌いだ。
否、大嫌いで、苦痛で、辛くて、怨んで憎くてしかたがない日だ。
数少ない友人や、大切な家族すらも、この日は私に気を遣ってくれるので、私の携帯電話が"おめでとう"と私に言葉を告げることはない。
遮光カーテンを閉め切った部屋。オイルアロマをたいて、揺れる蝋燭の光をぼんやりと眺める。
そうしているだけで、かれこれ何時間が経過したのだろうか。時間感覚もなくなり、今がまだ暗い夜なのか、朝なのか、とっくに昼を過ぎた時間なのかもわからない。瞼を閉じても開いても、浮かぶのは懐かしいようで鮮やかな思い出だけで。
――ピンポーン
急に、インターフォンが鳴った。この日に私を訪ねて来る人は、決まっている。毎回人は違うし、名前も知らないけれど、彼等の仕事は全く同じだ。
――出たくない。
出たくないけれど、私がそうしなければ、きっと私よりも辛い人がいる。
二回目のインターフォンが鳴った時、意を決して、腰を上げた。何時間も体育座りのままでいたせいか、あちこちの関節がギシギシと軋む。
「・・・・・・・・・はい」
――ガチャリ
玄関のドアを開けると、規定の帽子に制服を身に纏った優しそうなおじさんが立っていた。
「桐山さんのお宅ですか?」
「はい、そうです」
「お届け物です。こちらにサインをお願いします」
「・・・・・・・・・はい」
紙とペンを渡され、恐る恐る頷く。そんな私の様子におじさんは首を傾げたけれど、再び笑顔を顔面に貼付けた。介入されないことが嬉しくて、だけど、届いた荷物のことを思い出し、そんな嬉しさは一瞬で萎んだ。
「・・・・・・これ」
「確かに。こちらです」
「・・・・・・・・・っは、い」
渡された物は、少し大きくて、それでも軽い段ボール。
差出人は、毎年同じ人物。
「ありがとうございました」と頭を下げるおじさんの笑顔を、ドアで遮断する。私はリビングに段ボールを持ち運び、思い切って封を開けた。
出てくるのは、
――大きな、かすみ草の花束。
私の部屋には、これと同じ物のドライフラワーが、すでに三つある。つまり、今年で四つ目。
私は花束に着いていたカードを抜き、ハンガーに花束を逆さに括り付けて、カーテンレールへ引っ掛けた。この花束も、いずれはここにある三つと同じ、ドライフラワーになる。
手に残ったカードに書かれている内容は、わかっていた。毎年その内容が変わることはなかったから。
"ごめんなさい"
"おめでとう"でも何でもなく、ただ、その一言。
その一言の下には、二つの名前。いつもそこに、"彼女"の名前はない。
当たり前だ。だって、私は、
――怨まれ、憎まれている筈なのだから。
きっと、この花束は、来年も、再来年も届くのだろう。いつか、かすみ草のドライフラワーで、私の部屋は花屋敷になってしまいそうだ。
そうしたら――花に埋もれて、窒息死でも出来るのだろうか。
随分とロマンティックな死に方だ。自分が一番好きな花の海で溺れ死ぬなんて、素敵過ぎて笑えてしまう。
元の体勢に戻った私は、暗闇の中、ぼんやりと浮かぶように見える三つの花束へ視線をずらした。今は朧げな輪郭くらいしかよく見えないけれど、花束へ埋もれるように置かれている写真立ての中では、相変わらず"あの人"がニヒルな笑顔を浮かべているのだろう。
「・・・・・・ゲンガーみたい」
――いつだったか、私がそう言った台詞を、貴方は覚えてる?
そう言うと、決まって貴方は私に言うのだ。
『お前、本当にポケモン好きだな』
って、ゲンガーみたいなニヒルな笑顔で。
『そんなに面白ぇの?』
『うん、ハマってるよ。小学生の時から』
『長ぇなぁ・・・お前いくつだよ。もういい大人だろ?』
『好きなんだからいいじゃん。あんただってモンハン好きなんだし』
『モンハンは大人のゲームだからいーんだよ』
『・・・意味わかんないしモンハンはそんなやらしそうなゲームじゃないし』
『はは。つーかさ、そのゲンガー?って、どんなの?』
『こんなの』
『え・・・こんな悪どい顔してる?』
『そっくり』
『えー・・・』
『ねぇ、私は何に似てるかな?』
『ポケモン?』
『うん』
『・・・悪ィ。俺、あの・・・ぴ、なんとか?しか知らねーや』
『ぴ・・・?ピカチュウ?』
『そうそう』
『私、似てる?』
『あんな可愛くねーだろ』
『ひっどい!』
『あはは』
――はっと、意識が戻ってきた。
幻覚のような、鮮やかな過去の記憶の中へ、私の意識は迷い込んでいたらしい。
その記憶が鮮明過ぎて、いたたまれなくなった。出来ることならば、逃げ出したかった。
私は冷蔵庫からビールを取り出し、テーブルに置く。思えば、この部屋も、あの時とはほとんど変わりない。
――花束が増えた代わりに、隣にいた筈の"彼"がいなくなってしまっただけで。
鞄から出した錠剤を、ぷちぷちとありったけ、手の平に出した。いくつもの病気の一つである、不眠症の為の睡眠薬。
お医者さんからきちんと処方されている、強めの薬。まぁ、いつも用法・用量を守らないから、担当の先生に叱られるのだけれど。
それを口に含み、ビールで一気に流し込んだ。
本当は、お酒と薬を一緒に飲んじゃいけないって、よく知ってる。だけど、毎回毎回増えていく薬は、もうこうすることでしか、私の弱虫な身体には効かなくなってしまった。
――逃げよう。夢の中に。
夢の世界ならば、苦しくて悲しくても、幸せだったあの日に帰ることができる。
『お前は、お前以外の何者でもねーよ』薄れ行く意識の中で、ふて腐れた私にそう笑う彼が見えた気がした。
涙が伝う感触がする。そんな物、とうに涸れ果てたと思っていたのに。
――それから、意図せずにだけれど、私が現実で目を覚ますことはなかった。
私の、誕生日。
私がこの世で一番憎い日。
死因は、薬物による中毒死だ。
奇しくもそれは、彼と同じで、彼の命日であるこの日に、私も死んでしまった。
――パパ、ママ、ポンちゃん、レオ君、数少ない私の親友に、おじさんおばさん、"彼女"と――"銀"。
みんな、ごめんなさい。
逃げたかったけど、死にたい訳じゃなかったの。
因果の輪廻
私は生きなければならなかったのに
2011.03.19
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