メアリーが死んだあの日から、三人で住んでいたトキワシティの一軒家を離れ、私はタマムシシティにあるロケット団アジト、サカキのプライベートルームへ居住地を移された。
仕事の他にジムもあり、家を離れることが多いサカキなりの配慮だ。それに、サカキのプライベートルームには広い書斎もついており、長時間の暇を潰すには充分だった。


「ギン、今日読んだ本には上手な毛繕いの方法が書かれていたの。サカキ様でもブリーダーの本なんて読むのね」

「にゃぁ」


この場所で生活を始めてから、約半年が経過した。
私は人間用のご飯、ギンにはポケモン用のご飯を、毎日違うロケット団員が運んでくれる。
何故毎日違うのか――それは、サカキから私に下された教育という名前の命令からだった。

ここへ来た当初、サカキに聞かれた。


「バトルをしてみないか?」


と。
二歳になったばかりの子供には早いのではないかと思ったが、私の知能はとっくに成人している。
子供としてそれらしく振る舞ってはいたのだけれど、サカキの目はごまかせていなかったようだ。それだけの観察眼を持たなければ、ロケット団の首領――ましてやそれに加えてトキワシティのジムリーダーという職務は全うできないのかもしれない。

最初は、生まれてからまだ一度もバトルをしたことのないギンの為に、サカキが捕まえてきた弱い野性のポケモンばかりとバトル経験を積んだ。
ギンのレベルがある程度上がり、私もバトルに慣れてきた頃、相手は野性のポケモンではなく、食事を運んで来るロケット団員にシフトチェンジされたのだ。

負けることは、許されなかった。


「お前は出来がいいからな。もしもこんな下っ端連中に負けるようなことがあれば、それはお前のニャースが弱いからだ」


それは遠回しに、負ければギンを処分して、新しく強いポケモンを与えられるということ。
殆どサカキが帰って来ない部屋、タマゴの時から待ち焦がれ、幸せだった記憶を唯一共有できる大切なパートナー。

ギンが処分――殺されるだなんて、考えることすら嫌だ。

サカキが外道だとは思わない。
元々、このロケット団首領である男の娘として生まれ落ちた時点で、荊の道を歩かなくてはならないことは覚悟していた。

メアリーが死んだ時、サカキは言ったのだ。


「私の家族は、お前だけになってしまったな」

「失うことには慣れたつもりだったが、相手によっては異なるらしい」


サカキは、唯一愛した女の残した形見――私を失うことを恐れている。
悪の組織だからこそ、細い糸の上を渡り歩いているような状態で、少しでもバランスを崩す要因は取り除いておきたいのだろう。
危険も死も隣り合わせの立場、サカキを恨む誰かが、私を殺してもおかしくはない。

バトルの戦略や、ポケモンについての知識を、私はひたすら勉強した。
相手がどんなポケモンを出して来ても対処できるように、ギンの能力を最大限生かすことができるように、必死で知識を詰め込んだ。

元々、勉強は嫌いじゃないし、子供特有のスポンジのような脳みそのおかげで、今では安定したバトルの上、様々な試みをしながらも確実に勝利できるようになった。もう、下っ端の団員ではギンに敵う相手はいないだろう。


「今日のご飯も美味しかったね」

「なぁー」

「・・・気持ちいい?」

「うなん!」


食事を終え、ギンの毛繕いをしながら話をする。
とは言っても、私はイッシュ地方でまだ生まれているのかもわからない可哀相な王様のように、ポケモンの言葉が理解できるわけではない。
ただ、この人生の中で一番長く傍にいてくれているギンとは、それなりに意志の疎通ができるだけ。

ギンしかいない私の為に、ギンは感情表現の豊かなニャースになった。サカキのパートナーであるペルシアンの子供である筈なのに、あまり似ていない。
似ていると言えば、怒った時の獰猛な顔付きくらいだろう。ギンが怒ることも、余程ではない限り滅多に有り得ないのだが。

ギンが怒ったのは、一ヶ月程前のことだったと思う。
その時食事を運んでくれた下っ端に、ギンがいきなり歯を剥いたのだ。

その下っ端は驚いて、ご飯を床にぶちまけ、腰を抜かした。そんな下っ端の足にギンが容赦無く噛み付き、ブチリと腱の切れる音がする。
驚いて呆然としてしまった私には構わず、ギンは次に腕を噛んだ。
四肢が使えなくなった所で解放された下っ端は、既に気を失っていた。

私はサカキの部屋にだけ繋がる内線で連絡をし、すぐに現れた団員――恐らくは幹部の者によって、ぶちまけられたご飯も、気絶した下っ端も回収される。
普段は大人しく、聞き分けの良いギンがどうしたことかと思えば、その謎は次の日に解決された。


「あいつは、ロケット団に入ったばかりの奴だった。ロケット団に恨みを持ち、復讐の為に機会を伺っていたのだろう・・・飯に毒が入っていた。
・・・今まで負けなしとは知っていたが、ニャースを随分と優秀に育てたな」


珍しく朝から部屋へ戻ってきたサカキが、笑う。
この先のギンの命が、完全に保障された瞬間だった。

もしかしたら、サカキはあの下っ端が復讐の念に捕われていたことに気付いていたのかもしれない。

――気付いて、試した。

ギンの忠実さや、警戒心の強さ、危機に対する咄嗟の対応を。
ギンは、合格したということなのだろう。


「・・・ベニカ、ギン、慢心はするな。驕りは油断を生み、敵はその油断を的確に攻めてくる。私たちのような存在には、その油断こそが最大の敵になる」


その下っ端がどうなったのか、私は聞かなかった。
否、今まで私と対戦してきた団員達のことも、一切聞かなかった。

私は、気付いていたのだ。
三歳にも満たない子供に負けた下っ端など、サカキの中で価値はないのだろうことに。

あの男は、同じ人間かさえも疑わしい程に、人間として大切な感情が欠けている。人に対する"情"というものが。

メアリーと私は、異例なのだ。
寧ろ、サカキの人生の中で、メアリーの存在がイレギュラーだったのだろう。

イレギュラーであるメアリーから生まれた私は、この世界においても異端である存在で、サカキにとっては"愛した女の子供"であり、自分にとって都合の良い才能と立場を持つ子供。
しかし、私の異端である部分が"才能"だと思っているサカキは、私が前世の記憶も知識も有して生まれたことは知らない。
私としても、墓に入っても打ち明けるつもりはない。

だから、"ただ才能の秀でた幼子"に負けた――サカキ曰く"使えない部下"は、私がこの箱庭のような部屋を飛び出す日が来ようと、二度と会うことはないだろう。

可哀相だと思う。
申し訳ないと、罪悪感がのしかかるように募る。

それでも、私にとっては赤の他人である下っ端より、まるで我が子か姉弟のようなギンの方が大切なのだ。


「ギン・・・貴方は、いなくならないでね」

「なぅー」

「この世界の・・・今の私には、貴方しかいないの」

「なぁ」


毛繕いを終え、ギュウとギンを抱きしめる。ギンはただ、私の頬を舐めてくれた。

ギンにだけは、全ての真実を打ち明けることができる。
私の記憶も、この先起こるであろうことも、全て。

ギンを――私の大切な存在を守る為なら、関わりのない命や人生など見て見ぬ振りを貫こうと決めた。
テレビの向こうの知らない国で、知らない人が死ぬのと同じなのだと、自分へ言い聞かせる。もう、私を思ってくれる存在を、私が心寄せる存在を失うのはこりごりだった。

積み上げられた屍で荊を避けながら、私は自分の小さな手で抱えられるだけを守り、歩いていく。
振り向くことがあっても、立ち止まってはいけない。罪が重くても、罰が痛くても、私が捨ててしまえばそれだけの犠牲が出るだろう。
根元を消す――私が消えたところで、それに対する犠牲も屍も増えるだけなのだ。

"私"という"駒"を守ろうとする、"サカキ"という"王"によって。

泣いても笑っても、生まれ落ちた瞬間から決められた荊道は逃げることを赦されない。
ならば私は、涙を捨てよう。

こんな私が涙に甘んじることなど、きっと神様は許さないのだから。




そして失う
0
(涙は、他人の命と引き換えに)




2011.07.31


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