「死にたい」


自宅の縁側で、整えられた庭を眺めている彼は、とても静かにそう呟いた。
人には聞こえないような声量だったけど、残念なことに、私はとっても地獄耳なのである。

そんな彼の台詞に、私は「ならば死ねばいいじゃない」と、心底思った。勿論、声には出していない。声に出せば、きっと彼は本当に死んでしまうから。物質的な意味ではなく、精神的な意味で。


「マツバ、お茶持ってきたけど・・・飲む?」

「・・・うん、飲む。ありがとう、ナナシ」

「いえいえ」


彼に湯飲みを渡すと、今度は庭からお茶に視線を移し、口を着けずに水面を見つめている。
でも、彼が見ているのは、きっと湯飲みの中で揺れるお茶なんかじゃない。庭を眺めている時だって、こんなに綺麗な庭じゃなくて、別のものを見ていたのだろう。

私には、見えないモノ。
彼にしか、見えない"者"。

生まれた時からそんな能力を持ってしまった彼の、アメジストのような瞳には、この綺麗な庭がどんな光景に見えるのだろうか。
マツバがリーダーを務めるジムの、ジムトレーナーのイタコのお婆さんが、前にそういった類の本をくれた。
マツバ様の傍にいるナナシちゃんだからこそって、不安定なマツバ様を支えてくれるナナシちゃんだからこそって、そう言って差し出された本は、とても年季の入った威厳のある本だった。

タイトルはなくて、書体も古い。多分、とっても貴重な本。"本"というよりも、"書物"と言った方がいいのかもしれない。
畑でうねるミミズみたいな字は、マツバに教わっていなければ、絶対読めなかったと思う。

その本には、マツバが持ってる能力のことが、事細かに記載されていた。

精神を常に集中させていなければ、"それ"は見たくなくても見えてしまう。
"それ"は、見える人物に気がつくと、助けを求めて寄ってくる。
そして、それが無理だとわかると、その人物に失望し、怒り、己と同類にさせようとするそうだ。

極度の精神不安定なマツバにとって、常に集中していなければいけないというのは、とても苦痛なのだろう。
見えない私には、想像することしか出来ないけれど。

それでも、"それ"に連れて行かれていないということは、彼もちゃんと集中している、ということだ。
――いつもいつも、張りつめて生きている。そういう、ことだ。

きっと、今はあまり集中できていないのだろう。
だから、綺麗な庭も、湯飲みに映る自分ですらも、私の目とは違う世界に見えている。

人とは違う世界を見て生きるマツバを、私は全く怖がりもしなければ、傍にいることに躊躇いもしなかった。
そんな私を、マツバはとても信頼してくれている。
「愛してる」と、そう告げる程。

本をくれたイタコのお婆さんを始めとした、マツバの周囲の人たちも、私をとても信頼してくれている。
自意識過剰な訳じゃない。
言葉の端々、私を見る目、全てがそれを語ってくれるのだ。

――でもね、みんな、"私"を間違えている。


「死にたい」


そう呟いた彼に、「死ねばいいのに」と思った私。
みんな、気付いていないのだ。私を「愛している」マツバだって、気付いていない。

――不安定なマツバの傍に私がいるのは、私も彼を「愛している」から。

でも、マツバの「愛してる」と、私の「愛してる」は、違う。
同じ場所から来る気持ちなのに、それに伴う理想や願望が、全く違うのだ。

マツバが望んでいるのは、私が彼の傍にいて、お茶を飲みながら、笑って、大したことでもないような会話をする。そんなこと。
そして彼の理想は、それが永遠に続いていくこと。穏やかで、"平和"と呼べる、そんな日常。

――対して、私の願望は、マツバを"私だけの者"にすること。
それだけ言えば、単なる深い愛情から来る言葉に聞こえるかもしれない。けど、それは違う。

例えば、彼の白い首を両手で絞めつけて、動かなくなった彼に寄り添って眠りたい。
例えば、彼をぐちゃぐちゃに切り刻んで、髪の一本も残さず食べてしまいたい。

私の願望は、本当に、言葉通りマツバを"私だけの者"にしたいのだ。

アメジストのような綺麗な瞳に映るのが、他人と違う世界なんかじゃなくって、私だけならいいのに。
風に揺れる金糸も、太陽を知らないような白い肌も、私と一つになればいいのに。

――不安定なマツバの傍にいる"私"は、誰にも理解されない程、歪んでいる。


「・・・マツバ」

「ん?」

「骨の髄まで、愛してるよ」

「・・・え、どうしたの、急に」

「別に、どうもしないよ。いっつも思ってること、言ってみただけ」

「・・・いっつも?」

「うん。いっつも」

「・・・ありがとう。僕だって、ナナシのこと、すごく愛してるよ」

「うん」


もしも、彼が本当に自害するのなら、どのように息絶えるのだろうか。

首を吊って、色んなものが出てしまったら、全部残さず食べてあげよう。
手首をかっ切ったのなら、溢れだした血液を全て飲み干してあげよう。勿論、床に広がった分だって綺麗に舐めてあげる。
薬や溺死なら、ずっと抱きしめて眠りたいな。腐敗したって、骨になったって、ずっとずっと、離してあげないんだから。
でも、私が尽きようとした時は、やっぱり食べちゃうと思うけど。

私は私の理想を叶える為に、歪んでいる"本当の私"のことを、誰にも教えない。
マツバに愛して貰えなくなるのは嫌だから、幾ら望んでいるからと言っても、私から手を下すことはないけれど。

「死にたい」って言ったマツバに、「死ねば?」と私が言わないのは、心が死んでしまったら、私を愛してくれなくなるでしょ?
そんなの、絶対にあっちゃいけない事なの。
身体が尽きても、心や魂は尽きないって教えてくれたのは、他でもないマツバなのだから。

嗚呼、でも、私にはよくわからない者に連れていかれてしまうくらいなら、そうしてしまった方がいいのかもしれない。
マツバが連れて行かれそうになってしまったら、私が引き留めてあげなくちゃ。
勿論、マツバの心を死なせはしないよ。その細い首に、ありったけの力を込めるだけだから。


"私のマツバ"は、誰にもあげない。
私に見えない者になんか、絶対させてあげない。

だって、マツバは私と一つになるって、決まってるんだから。





骨の髄まで愛してる
(私、嘘は吐かないよ)
(真実も、言わないけどね)




2011.04.28
良く解らない話になった


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