ヤドンの井戸とかいうふざけた名前の井戸での任務を、ふざけた子供によって中断せざるをえなくなった忌ま忌ましいあの日から、数週間。
完遂出来なかった任務の代わりにアポロから渡された鬼のような書類をやっと片付け、私はようやく得た休日を満喫しにアジトから街中へ出てきていた。


「・・・おや、」

「げ・・・」


親しげな雰囲気で男と歩いていた一人の女――彼女は、ナナシ。コガネの仮アジトへ初めて来た三年前からの知人だ。
私と目が合った瞬間に笑顔という表情から歪な表情へ顔を変える彼女はいつものことであるが、隣を歩いていた男のキョトンとしたその表情に、先程まで開放感で溢れていた私の胸は苛立つ。


「貴女のような方にもデートに誘う相手がいたんですね」

「そう言うアンタは、珍しく私服なのにデートに誘う相手もいなくて寂しく一人みたいね」

「休日くらいは一人で楽しみたいんですよ」

「あら、そう。じゃあ、"独り"の邪魔をしたらいけないから、私達は行くわ」


お互いに、貼付けたような笑顔で嫌味の応酬。これは、私達の仲では既に挨拶代わりとなっていて、子供の頃に遊んだ"睨めっこ"の進化系のようなものだ。笑顔を崩した方が、負け。


「・・・ナナシちゃんの、友達かい?」


他の誰も知らない私達のやり取りに、困惑した表情で彼女へ問い掛ける男。
年頃は私と同じくらいだろうか。金色の少し寝癖のついた髪に、菖蒲色の瞳。一見、今流行りの草食男子と呼ばれる優男に見えるが、男の雰囲気はそれと違う。
纏う空気が己の唯一の上司を思い起こさせ、思わず舌打ちしそうになった。休日にまで、あの優男の振りをして殺人的な書類を突き付ける鬼上司を思い出したくはない。


「友達なんかじゃないよ。近所の野良ニャースっていうか・・・気まぐれで餌をあげたら噛み付いてきた狂暴なペルシアン」

「え?彼に噛まれたの?どこ?」

「どんなボケよそれ」


そう相手に言いながらも、ナナシは私から視線を逸らさない。
彼女の勝ち誇ったような表情からして、私は舌打ちしそうになった時に顔を歪めたらしい。今回は私の負けのようだ。


「まぁ、私などに構わず楽しい時間を過ごしてください」

「もちろんそうするわよ。アンタも精々独りの時間を楽しんだらいいわ」


負け知らずな悪役のように捨て台詞を残し去っていく彼女と、その隣を歩く金髪の男の後ろ姿を網膜に焼き付けて、私はふつふつと沸き上がる感情を押し殺しながら別の方向へ足を向けた。




**




あれから、数時間。
特に買いたいものもしたいこともなかった私は、一度アジトの自室に帰って眠った。そうしたら、昼間に会った知人と、出会った時の夢を見た。滅多に夢なんか見ない私には珍しい現象だ。


――ナナシと出会ったのは、本当にこの街へ訪れた初日のこと。
任務をこなしながらカントーからジョウトへたどり着いた私は、幹部候補という立場でありながらなんとも無様で、カントーのジュンサーに追われながらの任務をこなした身体はボロボロだった。

部下は逃げ切れたのか。こなした任務から足はついていないか。薄れ行く意識の中でそんなことばかりが思い浮かび、最終的に「なんて面白みのない人生なのだろう」と嘲笑った。

意識がフェードアウトする寸前、ナナシは現れた。

大丈夫?酷い怪我。
そんな言葉を掛けられた気がする。
結局、目が覚めた時にはナナシの家に居て、熱でうなされていたらしい身体を引きずりながら新しい仮アジトへ向かった。


「近所の野良ニャースっていうか・・・気まぐれで餌をあげたら噛み付いてきた狂暴なペルシアン」


目覚めたその瞬間のことを思い出せば、確かに昼間ナナシが言った通りだ。

カントーと地繋がりであるジョウトなら、かすかにでも情報は入っているだろう状況で、私の着ていた団服を見てジュンサーに連絡するわけでもなく、ただ介抱してくれたナナシ。
彼女は様々な手で私を安心させようとしてくれたのだが、私はその手を払ったのだ。後付けのような言い訳はたくさんあるが、結論を言えばああ優しくされるという行為を私の中でのプライドが許さなかった。

仮アジトにやっとの思いでたどり着き、すぐさま連れていかれた医務室。しかし何故か、ロケット団のテリトリーであるそここそが私の居場所であると言うのに、熱で朦朧とする意識の中、思い出すのは彼女の家の優しい匂いと引き止める白い手を振り払った時の悲しそうな笑顔ばかり。

余程酷い状態だったらしく、数日後に目を覚ました私は、無事に逃げ切れたらしい部下からの厚い信頼やら、命を張ってなお任務を遂行し証拠も残さなかったという功績が認められ、新しいロケット団の幹部として昇進したのである。


「・・・また、あの夢ですか」


目を覚ませば、あの頃とは違う幹部専用の――私だけの私室。窓から見えるコガネの空は、すっかり夕暮れに染まっていた。

幹部になってから、私は今まで以上がむしゃらに仕事をこなした。若いからと舐められたくないという理由もあったし、毎夜見る夢を忘れたかったということもある。おかげで、今の立場を確固たるものとして手に入れることができたわけだが。


「・・・・・・」


小さく息を吐いて、私は再び部屋を出た。






2011.11.08

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